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伝統と革新と。セッションから生まれる音楽文化。【KYOTO SESSION TALK】

2018.05.25 01:32
家口 成樹
佐藤 元彦
EIJI

PON2

DAICHI


東日本大震災後、京都の音楽シーンも大きな変化があったという。移住したミュージシャンがもたらしてくれた新しい刺激。伝統のなかに刻まれてきた自由。古くからセッションという文化が継承されてきた京都で、東京では起こらない、音楽文化のひとつが熟成されつつある。


文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi

写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashi


京都という街が持つ自由。

ー 〈ボロフェスタ〉や〈京音〉など、京都では街を巻き込んだフェスやイベントが多いように思います。それだけ音楽が街に定着しているということなのでしょうか。京都に住んでいらっしゃるみなさんに、まずそのことからお聞きしたいと思います。

EIJI 確かにひとつの街で、ブロックパーティーや街フェスがいくつもあるっていうのは京都くらいかもしれないですね。実際にミュージシャンの人口比率も多いと思いますね。

佐藤 ミュージシャンやアーティストを含め、ものづくりをしている人が多いと思います。

PON2 大学もたくさんあるので、学生で音楽をやっている人も多いっていうのがその理由のひとつだと思います。いっぽう、磔磔とか拾得とか古いライブハウスもあって、昔から続く独特の文化もあって。

家口 大学が多いということはインテリも多い。そしてそこからドロップアウトした人も多いのも京都ならではなんだと思う。京大に入って、そこからドロップアウトしてしまった人ってけっこういますからね。

EIJI 大学が多いことで若い世代の層は厚くなりますよね。京都にそのまま残る学生も多いと思うので、文化が積み重なっていっているんじゃないですか。

DAICHI 僕は他の街に住んでことがないのでよくわからないのですけど、京都には周りのことを意識せずに、好きなことをずっとやっているところがあるんじゃないですかね。こういうふうになりたいとか売れたいとかじゃなくて、自由にみんなが自分のことをやっている。街の時間の流れ方がとてもゆっくりで、ゆっくりものをつくるにはいいところやなって思っていて。


ー佐藤さんとEIJIさんは東日本大震災の直後に京都に引っ越してきました。そしてふたりとも京都で暮らし続けている。つまり京都での暮らしに満足しているっていうことですよね。

佐藤 戻らなければならない理由がないんですよね。いろんな部分でストレスがないんです。音楽をするのでも、生活をするのでも。

EIJI 逆にライブのために東京へ行くと、スピード感が違っていて、ここでは暮らすことは難しいとさえ感じてしまうことがあります。物事に対する考え方の根本にあるものが、東京に暮らす人と他の地域に暮らす人とは違っているんじゃないかなって。

佐藤 モチベーションの置きどころみたいなものが、東京と京都では違う気がします。特に何か制作するとき、あまり焦ってものづくりをしないようになりました。何かに縛られて、そのスピード感のなかで作業を進めていくという感覚は、東京にいたときよりもだいぶ少なくなりました。良し悪しではなく、それが自分にも合っていたんだと思います。


セッションが文化として残る特性。

ー京都はミュージシャンにとって優しい街ですか?

家口 住みやすい街ですよ。幅広く、おもしろいもの、楽しいものがたくさんあるし。

EIJI 平日でも音楽イベントが当たり前に行われていますから。それがすごいなって思って。小バコが多いからか、みんなで夜を楽しむイベントが多いんです。気楽にセッションできる場があって、それが日常化している。音楽がみんなの日常にあるというか。

佐藤 その文化には、最初はびっくりしましたね。

家口 セッションができるっていうことのバックボーンには、ハコ代がかからないっていうことが大きいですね。吉田寮とか京大の西部講堂とかでずっと培われてきたセッション文化というものが京都には今もあるなって思っていて。気楽に食堂に行ってセッションしようぜみたいなノリがあって。それができる場所が、特に左京区にはいっぱいありますからね。

EIJI かつては吉田寮でパーティーをやっていたんですよね?

PON2 OUTPUTとかやっていましたね。SOFTも出ていました。

DAICHI SHOCK-DOライブとかも、2000年前後はかなり盛り上がっていましたよね。当時は京大や周辺のミュージシャンたちが吉田寮に集まって、毎晩のように練習したりセッションしたりしてましたね。

家口 今もやっているんですよ。学生の祭りなんやけど誘われてセッションしに行ったんです。食堂もまだやっていて。本日休演あたりのバンドのメンバーとかが、グレイトフル・デッドみたいな熱いことをやっているんですよ。めちゃおもしろかった。キセルとかくるりとか辻あやのとかSHOCK-DOから出て行ったアーティストは少なくなかったですから。

PON2 好き勝手にできるっていうことが京都にはあって。それは今も確実に残っている。自分の好きなようにできることが京都の一番の魅力かなと思っていますね。

EIJI この街では誰も否定しないし。好きなことを続けていける土壌がある。誰もが学生時代に持っていた目線をそのまま持ち続けていてもいいんだって感じさせてくれる街。可能性が残されている街なんだだと思います。

DAICHI たまにはケツを叩いてくれる奴が現れるといいやけど(笑)。

PON2 締め切りを自分たちで設定しなければならないんで。ここ数年、SOFTで新しい作品を出さんの?って聞かれたら、いつもレコーディングはしているっていう返事をしているような状態。その会話が5〜6年も続いているかもしれませんね(笑)。今年は結成25周年でもあり、新作を出そうと思っています。

佐藤 移住組の感覚で話をすると、東京に住んでいるときにはなかなか出会えかったタイプの人と、一緒になるタイミングがよくあります。さらに若い世代から先輩まで、みんなが同じ目線で付き合うことができていて。あと土地柄、アーティストを含めて海外の人も多く来ますが、東京では大バコに出るようなアーティストもMetroやUrBAGUILDなどのコンパクトなハコに出演するので彼らとの距離感もすごく近くなるんですよね。アーティストも東京にいるときよりもすごくリラックスしているように感じます。そのおかげで僕自身、海外のアーティストとの共演や共作がおもしろいなと積極的に思うようになりましたし、実際そういったチャンスが身近にあると思います。こういう感覚は他の街ではなかなか持てないんじゃないかと思っています。

DAICHI きっと街が持っているサイズ感もいいんですよね。ジャンルやフィールドが違っていたとしても、友だちの友だちくらいまでで収まってしまうようなつながり。僕らのような何をやっているのかわからないミュージシャンやアーティストだけではなく、おっさんがブラブラしていても日常の風景として違和感がないんですよ。

佐藤 確かにあるかも(笑)。

PON2 まだまだ先輩がいますしね。脈々と続いている。

DAICHI 精神的に助かりますよ(笑)。

EIJI 人に対して街が寛容なのかもしれないですね。

家口 好きにさせてもらえるし、変わった奴も多いけど、変わった奴に対する免疫もみんな強く持っていて。振り幅がでかいことをみんなが目にしているから、自由にできる範囲も広い。世代もジャンルの幅としても、広い街だと思いますよ。

京都から発信される音楽。

ーこれからどんなものを発信していきたいと考えていますか。

家口 パソコンで自宅で完結する作品が作れるから、どこの世界にいてても生み出されるものはそう変わらない環境になってきていると思うんです。だからその状況をもっと生かしていきたいというか。京都では暮らしはゆっくりできるし、セッションにも行けるし。それを全部フィードバックしたものを作っていきたいですね。それとEP-4の佐藤(薫)さんがはじめられたレーベル、フォノンの運営を手伝わせてもらっていまして、自分の作品を含め、どんどんリリースしていければと思っています。

EIJI ものづくりを自分のペースてずっと続けていけるような環境を作ろうとしていて、実は自分のスタジオを作っているんです。結局、ものづくりをやっていきたいんですよね。僕の場合はそれが音楽であって。音楽をちゃんと生活の一部にしたい。それがこの京都という街なら可能だと思うんです。DACHAMBOでは今年はいっぱいライブをしますよ。

DAICHI 僕はずっと京都やから京都で何かっていう意識はないんですけど、DJ的なアプローチをしている人とミュージシャン的なアプローチをしている人をうまくミックスさせたようなイベントをやっていきたいですね。そしてそこから何かしらの作品としての形になっていけばいいなっていうのがひとつ。もうひとつがアジアの伝統音楽をもう一回自分のなかで消化して今の音と混ぜていくこと。その一環としてギタリストmarron aka dubmarronics とのBASED ON KYOTOで東京月桃三味線って三味線弾きをフィーチャリングしたアルバをリリースしたいのと、同じくBESED ON KYOTOで3年前くらいから作りはじめているラップも含めた歌もののアルバムをなんとか今年は形にしたいなと。

佐藤 京都に来てびっくりしたのが、パーティーのクオリティというか、音に対してのリテラリーがすごく高いことでした。音がいいことによって、同じ素材を聞いても、まったく違って聞こえるし、そのことによる刺激を京都に来て改めて感じていて。音を良くするということだけで、こんなに景色が変わるんだっていうことを教えてもらったんですね。その感覚を自分の作ったものにもっと入れなきゃと思っているところなんです。バンドをやりながらもDJが作り出すパーティーの感覚や打ち込みも好きなので、そのふたつがクロスオーバーするところに出て行きたいし、交じることによって新しいものが生まれると感じてもらえるようなものを作っていきたいですね。

PON2 今さら焦ることはないんですけど、まずは今年25周年のSOFTのアルバムを出さないととは思っています。自分たちが作るものはなるようにしかならないというのが正直なところ。自分たちがおもしろいなと思えるものを作っていきたいなとは思っています。夏から秋にはリリースできればと。


佐藤元彦
2000年にインストバンド、L.E.D.を結成。2011年より京都に拠点を移し、2013年にomni sight を結成。3年ぶりとなる新作「split/ flip」がスプリットe.pとしてリリースされる。


DAICHI
90年代中頃よりライブPA、DJ活動開始。BASED ON KYOTOなどで活動しながら2017年より京都木屋町の森川ビルディング地下にてイベントスペースDNAPARADISEを運営。


EIJI
フェス番長Dachamboのベーシスト。2011年京都へ移住後シンガーソングライターとして4枚のアルバムを発表。


PON2
SOFTのドラマーであり結成時からのオリジナルメンバー。京都を活動の拠点に置きながら、数々のセッションやレコーディングで活動している。


家口成樹PARA、EP-4[fn.ψ]などの鍵盤、シンセサイザー奏者。即興演奏家、兼サウンドプロデューサー。


取材協力 natural food village