【深川②】北本所代地町
2018.04.16 14:20
町名:北本所代地町
読み方:きたほんじょだいちちょう Kita-Honjo-Daichichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1871(明治4)年
冠称:「北本所」
現町名:江東区白河四丁目、三好四丁目、深川二丁目、門前仲町一丁目
概要:葛飾郡西葛西領のうち。1698(元禄11)年、北本所表町付近の隅田川河岸通りの元地が上地となり、1705(宝永2)年に扇橋続地の当地に代地が与えられた。検地は1697(元禄10)年、元地の時に行われ、石高は4石余(備考)。1706(宝永3)年、家作が許され、1713(正徳3)年から町奉行・代官両支配となる。化政期(1804~1830年)の家数8軒(町方書上)。東に亥の堀川が流れているので、「亥の堀」の俗称があった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1871(明治4)年、深川扇橋町一丁目に編入となり消滅。現行の白河四丁目、三好四丁目のうち。
もう1ヶ所、西と南に油堀川と接する地にもあったが、『本所深川繪圖』や『大江戸今昔めぐり』では「北本所代地」とあり、「町」が付いていない。
そちらは慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、深川蛤町、深川富岡町、深川西平野町添地(『大江戸今昔めぐり』では「深川平野町添地」)、南本所石原町代地(南本所石原代地町)と合併し、深川和倉町の起立となり消滅。現行の深川二丁目、門前仲町一丁目のうち。
※『角川日本地名大辞典』には「深川扇橋町2丁目となる」とあるが、深川扇橋町一丁目が正しい。
撮影場所:北本所代地町