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「宇田川源流」【日本万歳!】 初日の出を愛でる日本人の心

2023.01.04 22:00

「宇田川源流」【日本万歳!】 初日の出を愛でる日本人の心

 今年は親族が昨年亡くなっていることから、新年のあいさつを遠慮させていただいています。そのことから、「本年もよろしく」しか書かず、あとは寒中見舞いで全て済ませている状態である。

 さて、本来は毎週月曜日に行っている「日本万歳!」であるが、年初にも行いたいと思い、1月5日は木曜日ではあるが、この連載をやりたいと思っている。

 毎年、年初の内容は「大晦日の風物詩」である「NHK紅白歌合戦」について書いているのであるが、残念ながら、どうも今回の(昨年大晦日の)紅白歌合戦は、あまり「日本らしくない」、それも「合戦」ではなく「単なる歌謡ショー」になってしまったというような感覚が少なくない。まあ、「平和」の中で、または「ジェンダー」などがうるさい時代になって、男性と女性で「合戦」というように戦わせるというのもいかがなものかという意見はあるが、しかし、やはり「風物詩」というのは、祖その様なものではないかという気がしてならない。少なくとも「そのようなことをしてきた歴史」というものがあり、その歴史を否定しても意味がないのである。

 その上、なぜ韓国のグループばかりをあれだけ出しているのか全く意味が解らない。本来「日本人の放映権料で作る日本人のための歌合戦」であるはずが、外国人のグループが出てくるというのも全くわけが変わらない。まあ、女性の韓国人グループが多かったことから、白組が勝ったのはせめてもの救いかもしれないが、もっと日本の歌を聞きたかったという声は少なくないのではないか。

 実際に「歌」というのは、その歌そのものを聞くと、その歌の流行していた時代やその歌が流れていたところの思い出などが出てくるものではないか。「あああのころこんなことがあったな」というような思い出とともに歌があるはずなのである。一年の締めくくりに「今年何がったのか」ということを思い出し、その一年を様々に考えるというのが、本来の紅白歌合戦であるはずが、なぜか古い歌ばかりの歌謡ショーになってしまったというのが残念でならない。

 ないか一つ年末年始の風物詩を失った気がする。

銚子の犬吠埼“日本一早い初日の出”に約5万8000人 千葉

01月01日 10時41分

山頂や離島を除くと日本で一番早く初日の出を見られる千葉県銚子市の海岸では、およそ5万8000人が集まり、新たな年の誓いを立てていました。

千葉県銚子市の犬吠埼は、山頂や離島を除くと日本で一番早く初日の出を見ることができます。

1日朝は風も強くなく波も穏やかで、午前7時前、空がしだいにオレンジ色に変わり、水平線の上にあった雲から太陽が顔を出しました。

訪れた人たちは手を合わせたり、写真に収めたりしていました。

犬吠埼は日本の最東端ではありませんが、銚子市によりますと、地軸の傾きの関係で元日前後の10日間に限って初日の出が早くなるということで、1日は去年とほぼ同じおよそ5万8000人が訪れたということです。

家族と訪れた松戸市の女性は「海岸で見る初日の出は初めてで、とてもきれいで感動しました。ことしはコロナの影響がなくなり、自由な行動ができればと思います」と話していました。

また、東京都内から来た30代の男性は「日本一早い初日の出と聞き、終電で来て海岸で5時間ほど過ごしました。コロナの影響などで去年は趣味の旅行があまりできませんでしたが、ことしはしたいです。新年を迎え、心新たに頑張りたいと思います」と話していました。

2023年1月1日 NHK

https://www3.nhk.or.jp/lnews/chiba/20230101/1080019686.html

 さて、「日出国の天子」という言葉を使ったのは、聖徳太子といわれている。聖徳太子は実在していないなどということを言う人もいる。まあ、聖徳太子という呼称で呼ばれていたかどうかは不明であるが、少なくとも実在していた人物ではあろうと考えている。私は歴史家ではないので、その歴史をどのように考えてゆくのかということが重要なのであるが、しかし、ある意味で「日本を作ってきた人々」というのは様々な意味で大きく考えてゆかなければなら名のではないか。

 「和を以て貴しとなす」と書いた十七条の憲法を一番初めに作った、世界初の憲法であるから、それなりによく考えてよいのではないか。そのようなことを否定しても何の意味もないのではないか。

 さて、聖徳太子の礼賛は別にして、その時代から「日出国」であるにほんであり、その「初日の出」ということを日本人は非常に大きな意味を持ってみているのではないか。毎日変わらない朝日が昇ることに関して、「初」を言う言葉をつけて、その言葉から様々な意味を見る。特に「太陽」が登ること、ある意味で「天照大御神」の司る太陽が登ってきて日本を照らすことに非常に大きな意味を持つというのは、やはり日本特有なのではないか。山国や内陸の国では、申し訳ないが、日本のような日の出を見ることは少ないであろうし、また、その態様にそこまでの意味を持つことは少ないのかもしれない。

 宗教的に言えば「太陽」をあがめる宗教は少なくない。砂漠も似たような地平線の国であるということを考えれば太陽を一日5回奉るイスラム教の方が太陽を祀っているのかもしれない。しかし、水平線から登る日本の日の出は、水(海)の上に道ができるのは、日本の特有の姿ではないか。人間が生きている地上と、一瞬ではあるが太陽までに光の道が通る。このことが日本をどれほど勇気づけてきたのであろうか。

 日本という国のすばらしさは、このような「日本の国」の置かれた環境や日本の「環境に対する考え方」があり、そして、一神教などに毒されずに、自然を常に奉り、感謝の心を持つことが、日本のすばらしさではないか。

 今年も日本人であることにすばらしさを感じる毎日でありたい。