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江戸町巡り

【深川②】深川猟師町

2018.04.17 08:59

町名:深川猟師町

読み方:ふかがわりょうしまち Fukagawa-Ryōshimachi

区分:総称

起立:江戸期

廃止:不明

冠称:なし

後身:深川佐賀町一・二丁目、深川黒江町深川相川町深川熊井町深川諸町深川清住町深川富吉町

現町名:江東区佐賀一・二丁目、永代一・二丁目、福住一丁目、門前仲町一丁目、清澄一・二丁目

概要:「深川漁師町」とも書き、単に「猟師町」、「漁師町」とも称した。隅田川東岸、永代橋近くの8ヶ町の総称。葛飾郡西葛西領のうち。1629(寛永6)年、熊川理左衛門等、8人を代表とする漁師が幕府に願い出て、深川海手潮除堤外の干潟を埋め立てて、居住8人の名前をもって次郎兵衛町藤左衛門町助右衛門町新兵衛町(親兵衛町)、理左衛門町(利左衛門町)、彦左衛門町弥兵衛町助十郎町とし、8ヶ町の総称を「猟師町」とした(江東区教育委員会によると深川大島町を足して9ヶ町)。

1630(寛永7)年から漁師等は幕府へ菜魚を献上。明暦の大火後、本所・深川地区の拡大に伴い、1670(寛文10)年、検地を実施。1695(元禄8)年、次郎兵衛町藤左衛門町を合併、地形が肥前国佐賀湊に似ていたので深川佐賀町一・二丁目とし、他の6町をそれぞれ深川黒江町深川相川町深川熊井町深川諸町深川清住町深川富吉町と改称、さらに深川大島町を加えた(備考・新編武蔵)。猟師町内各町は町奉行の支配を受ける一方、年貢は幕府代官に納めた。『元禄郷帳』の総石高は134石余、『天保郷帳』では142石余、『旧高旧領』では145石余。明治初期、深川猟師町の名称は消滅し、町奉行支配の各町は次第に深川佐賀町一・二丁目、深川黒江町深川相川町深川熊井町深川諸町深川清住町深川富吉町となる。やがて俗称「深川猟師町」はその他の町も含まれるようになり、昭和の中頃まで漁業や海苔の養殖を続けていた。

撮影場所:深川猟師町(深川富吉町)

撮影地:江東区永代一丁目13番6号(富吉ビル)

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