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Colorful Garden

自分にかえる旅~これまでの人生~

2023.01.05 04:48


【自分迷路】

繊細で気弱な性格だった幼少期。

自分の家族と祖母と祖父、そして従兄弟家族が同居する少し変わった家庭環境で育ちました。


関東から地方に嫁いできた母は、いきなりの大人数での暮らし、姑との間柄、祖父が営む自営業の経営難の問題など大きな心労を抱えていたようです。


私が3歳くらいの頃の記憶。

ある日の食卓で、目の前に座っていた母がプツンと糸が切れたように茶碗をひっくり返し机に突っ伏して号泣する姿を見て、子供ながらに衝撃と悲しさを感じた記憶が強く残っています。


そんな家庭環境の中、母にかける負担を少しでも減らそうとワガママを言わない“ 手のかからない子”に成ることで偽りの自分を無意識に作り上げていました。


その影響もあり自己表現や自己主張が上手くできず、自分を抑え込んで生きてきた10代。

そんな性格ゆえジャイアン気質の子のいいなりになってしまったり、人に対して苦手意識を強く抱くようになりました。

中学高校と不登校や引きこもりを経験。

人間不信の人間嫌い。



『本当の私って、もっと自由だったはずなのに…』


そんな想いを心の奥に感じながらも、本当の私ってなんだろう?

どうしてこういう自分になってしまったんだろう?

そんな葛藤を抱えていました。



人が、社会が怖い。

この世界はなんて恐ろしいんだろう。

自分勝手な人たちばかり。

やさしい人が損をする。馬鹿を見る。


この世界で生きることが苦痛。

自分のことも人のことも、何もかも大嫌い。

心の中が悲しみや憎しみでいっぱい。


こんな苦しい思いをするくらいならこの世に生まれたくなかったとすら思っていました。


それでも何とか“ 普通の人”になりたくて、自分なりに“ 幸せ”になりたくて、生きてきました。


20代半ばの頃、引越しや転職を目指しコツコツと貯金を貯め、その為に数年続けた接客業の仕事を辞めた時。

自分自身を直視するタイミングが訪れました。


『私って、何のために生きてるんだろう』


底見えぬ暗い感情が自分に覆っていく感覚。


自分には、好きなことも、やりたい事も、夢もある


と思っていた。


だけどそれが全て表面的なものであることに気付いた。


『え、じゃあ私って何…?自分のこと何もわからない…』


20代半ばという世間一般的には華の年齢であろう時に、私は引きこもりうつになった。


今まで無意識に作り上げて偽ってきた自分、押し殺して見ないふりをしてきた悲しみや憎しみの感情、世の中に対する恐怖。


蓋をしてきたものがもう見て見ぬふりが出来ないくらい溢れてきてしまって、どうすればいいのかわからず絶望した。


私は、どうしてこんなに無能なの。


自分が情けなくて許せなくて、自分のこともますます嫌いになった。


その時一番初めに自覚したのは“ 自分のことが大嫌い”だったということ。

それが自分が頭で思っているよりも遥かに。


自分の中の自己肯定感って100%中どのくらいだろう?

20~30%くらいだと思っていたものが実は-500%だったり。


自分の長所と短所を書き出した時、短所は紙から溢れるくらい止めどなく出てくるのに、長所は散々頭を捻られて出てきたたった一つが“ 強いて言うなら爪の形が綺麗”だった。(もはや性格ですらない)



自己肯定感-500%(よく生きてんな)


自分の長所 “ なんも無いけど強いて言うなら爪の形が綺麗”


そんな自己肯定感もへったくりもないところから、気が遠くなるような自分自身と向き合う作業が始まりました。


その間に自分がアダルトチルドレン(家庭機能不全)であること、HSPであることが分かり、その事実が自分にとって生きづらさに更に拍車をかけていきました。



【精神世界】


毎日暗い部屋で横になっているか、かろうじてYouTubeを観るということしか出来ない期間がありました。


そんな時、普段見ないような初めて観るチャンネルが目に留まりました。


その方は、脳科学や量子力学などの観点から潜在意識やスピリチュアルについて発信している方でした。


それが、私が精神的な世界を学ぶきっかけになりました。


スピリチュアル自体は、否定も肯定もない人間でしたが私的には脳科学、量子力学などの観点からの方が入りやすかったです。


ちょうど同じ頃に、別の媒体で発信している気になる方がいました。

その方はスピリチュアル、魂の観点から人生や生き方について発信されていました。


その時に気がついたのです。


スピリチュアルも科学も、言ってる根本は同じことだ!!


そこからスピリチュアルに対しても偏見を持たず学ぶことが出来るようになりました。


精神的な世界、魂や生き方、愛など…


それらの話が私の心に灯りを点してくれたような感覚でした。



【祖母との別れ】


※この章には生死の表現があります。








そんな世界の在り方を知り自分なりに学び初めてから約半年後、今から4年前の2019年に遠方に住んでいる最愛の祖母(母方)に末期の病気が見つかり、余命数ヶ月の状態であることがわかりました。


私は昔から大のおばあちゃん子でした。

人生がどんなに辛くても、家や学校が嫌でも、自分のことが大嫌いでも、おばあちゃんの孫でいられたことが自分にとって一番の幸福で、おばあちゃんが無条件に愛してくれたことが一番の誇りでした。



そんな祖母の先が永くないと知った時。



私は、自分で自分のことを愛して生きていくことを学ぶ必要がある


おばあちゃんはその為の学びを私にくれた



そう思うことが出来たのです。


きっと、精神的な世界のことを学ぶ前の自分だったらこんな風な捉え方は出来なかったと思います。


おばあちゃんに依存して、おばあちゃんが愛してくれることでなんとか人としての形を保っていたので、きっと学ぶ前の自分だったら後を追っていたかもしれません。



祖母は病気が見つかってから2ヶ月後に天国へ旅立ちました。


初めて、人の死を見届ける経験をしました。

 


それよりも以前に父方の祖父や、母方の祖父が亡くなる経験はありましたが、亡くなってから顔を見に行く経験しか無かったので、自分が祖母の死を見届けられるのかとても不安でした。


最愛の家族が、段々と死へ向かっていく姿を間近で見続けることは、とても辛く心が何度も何度も張り裂けました。


何度も何度も、母を残して地元へ帰ろうと思いました。


母も、辛かったら帰ってもいいんだよと言ってくれていました。

だけど、祖母を置いて帰りたくない。

亡くなってから駆けつけるほうが余程辛い。

だけど、傍にいる今もものすごく辛い。


心が粉々になってひとしきり泣いた後、それでも最期まで近くに居ると覚悟を決め、その覚悟が何度も崩れ去ってはまた覚悟を決め、の繰り返しでした。


祖母は最期は自宅で過ごしたいと希望していたので、一番傍でお世話をする母を筆頭に、ケアマネージャーさんや医師や看護師さんなどたくさんの方々に支えられました。




段々と笑顔が少なくなる

段々と立てなくなる

段々と食が細くなる

段々と会話が出来なくなる


そのスピードがあまりにも早くて、何度も何度もすべて夢であって欲しいと願いました。


頭はしっかりしていたのに、強い痛み止めを使用することで段々と寝ている時間が多くなり、会話も殆ど出来なくなりました。

起きている時も、ぼんやりとしていて。



いつからか、おばあちゃんの顔を見ることが怖くなりました。


私の事、わかるかな

わからなかったらどうしよう


わかったとしても、どんな顔するだろう

力なく笑う顔を見るのはいやだ



おばあちゃんが寝ている時に寝顔を眺めることしか出来なくなりました。


ごめんね、でも傍にいるからね

手を握ってそう心で伝えながら。


最期の方はもう起き上がることも目を覚ますことも水を飲むこともできなかったので、最期がもう近いとわかりました。


一日でも永く生きてほしい

でももう一日だって傍に居るのが辛い


両極の本音が心をせめぎ合っていました。






おばあちゃんが天国へ旅立った日。


看護師さんが来てくれて祖母の様子を見るなり、「天国へ行こうとしているから、皆さんでその準備をしましょう」と言ってくれた。


その日は介護入浴の方々が来る予定だったけど辞めて、自分たちで祖母の身体を拭いてあげることにしました。


これ以上ないくらい、熱をもっている祖母の体。

母と叔母と看護師さんと私の女4人で、泣きながら丁寧に暖かいタオルで身体を拭いて新品の下着とパジャマに着替えさせた。




その後、祖母は安らかに天国へ旅立ちました。



普段寝ている時みたいな少し大きめのいびきのような呼吸を何度か繰り返して、吸って、吐いて、吸って、吐いて……


もう次の息が吸われることはなかったけど、がんばったねって思った。


傍で手を握って顔を見て見届けられたことに、私自身すごく安堵した。











「ゆりちゃんなら、絶対大丈夫だよ」




まだ元気だった頃、そう言ってくれたおばあちゃんの言葉は今でも心の中のお守りだ。



祖母との別れは、私にとって大きな出来事であり転機だった。


私は、祖母が愛してくれた私を、祖母が信じてくれた私を、今度は自分自身が愛して信じて生きていけるよう前を向いて生きていくことを心に決めた。


そこからより深く、過去も含めて自分自身と向き合い、自分をゆるし、自己受容を重ねていきました。


【“ 自分”が解りはじめた】


翌年の2020年には自分にとって大切な夢が見つかりました。


フラワーエッセンスに出会い、“ 花療法士”を目指すことを決めました。


はじめて、心から強く「これをしたい!!」という自分の本当の望みの声のようなものに触れました。



その頃、ちょうどコロナによって世界が大きく変化していった年でした。


まずは自分を癒したい。

そんな想いから勉強し始めて、いつか人のことも癒せる手助けをできるようになれたらいいな。


フラワーエッセンスを通して、自分の中の恐怖心のようなものが少しずつ溶けていきました。


同じ花療法士の仲間や先生に実際に会いに行ったことで世界が大きく変わっていきました。


人も、世界も、やさしくて楽しいものになっていった。


自分と向き合い、自分のために行動し、どんな自分も愛すると決めた自分のことを、少しずつ好きになれた。





2021年。


以前より心が軽く前向きになり、同じスクールでもうひとつフラワーエッセンスに関する認定資格、花音セラピストの勉強を始めました。


1年間を通し、全国各地からの仲間と一緒に成長する機会を与えられて、とても貴重な経験となりました。


そして久しぶりに社会復帰し接客業を始め、人にも環境にもとても恵まれた場所で働くことができました。


仕事のモチベーションを整えることなどにも、フラワーエッセンスは大いに役立ちました。


セラピスト的なお仕事でも、普通のお仕事でも、やっぱり人のサポートをすることが好きなんだなと感じました。



2022年。


とりあえずやってみよう!精神が身に付いてきた。

以前は失敗が怖くて行動できなかったことでも、結果よりもチャレンジしたことに意味があると思えるようになった。


発信始めたり音声配信に挑戦してみたり。


「やってみたいならとりあえずやってみなよ!」


自分自身にそう思えて枠が外れていったのも、花音セラピーの仲間のおかげだったり、やっぱりフラワーエッセンスの力が大きかったと思う。



認定資格を取得し、1年間自分や仲間と成長してきた経験により、もっと自分の人生を楽しみたい!自分を幸せにしたい!


必要な人のサポートもできる人になろう

そしてフラワーエッセンスをもっと人に知ってもらいたい


もっともっと自由に人生楽しんで生きるぞ!という気持ちになれた。

解放されはじめた心に、たくさんの“ 希望”が溢れてきました。


❀ 𓂃𓈒𓏸



辛いことも幸せなことも

色々な経験をしてきながらも


ここまできた自分を、私は誇りに思います。


そして、あなたのことも私は誇りに思うのです。


あなたも私も、色々なことを経験しながらも

ここまで生きてきてくれてありがとう。






自分のことが大嫌いで、生きることが辛かった私へ、辛い時をがんばって生きてくれてありがとう。


生きるの諦めないでくれてありがとう。


長い道のりでも、また一歩ずつ前を向いて歩くって腹括ってくれてありがとう。


勉強も学びも経験してくれてありがとう。

させてくれてありがとう。


ここまで生きてきてくれてありがとう。


自分のこと好きになってくれてありがとう。


今なら心から、大声で言えるよ





愛してるよ、私!!(*´▽`*)❤️






これからは

どんな旅が始まるかな。


もっともっと明るく楽しい

愛と希望に溢れた世界へ向けて。



2023.1.6

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ここまで読んでくださりありがとうございます💐

皆さまとこの愛と喜びの世界を、共により楽しんで生きていけることを心から嬉しく想います。


YURI