いのちが輝くときって、必ずしもワクワクとかじゃあない
自分らしく生きる、とくに仕事も含めて自分らしく働いて、幸せに生きようと思ったら、
もちろん好きな分野に関われたらいいし、得意なことを活かせたらいい。
そうなんだけれど、人がほんとうにいのちを輝かせるのって、なんというかな、
楽しいとか好きとか、巷でよく言われる「ワクワク」とかとは限らないんですよね。
ワクワクすることでエネルギーが湧くっていうのはもちろんあるよ。それはあるし重要。
でも、地球に生まれて、愛を持って生きようと思ったら、絶対にワクワクみたいなポジティブな気持ちだけにはならない。
もしそうなってたら、そのとき僕らは99%、全力で生きることからは逃げてると僕は思います。
別に逃げることがいけないって言ってるわけじゃないんですよ。
それでもいい。僕もちょいちょいあるし。
でも、ほんとうにいのちを燃やしたかったら、ほんとうにいのちを輝かせたかったら、
よくよく見直した方がいいと僕は思う。
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僕が知る限り、多くの人のたましいは、不可能を追い求めてる。
「いやいやそんなこと、ムリでしょ、明らかに」っていう願いを持ってる。
たましいの声に真摯に耳を傾けるなら、世界平和を願っていたり、
地球を丸ごと救いたかったり、ほんとうの愛を極めたかったりする人は少なくない。
別に大きなことじゃなくても、誤解だらけのこの人と本当に深く愛し合いたいとか、
不治の病にかかったこの人を苦しみから救いたいとか、簡単じゃないことだらけなんです、
人が心から望んでいるのは。
でも当然、「自分がそんなこと言っていいのか」「自分にはできるわけがない」
「自分はそれに値しない」「願って得られなかったら耐えられない」
「なんでいつまでたってもこうなんだ」などなど、
不安や怒りや自己否定など様々な痛みがそこには沸き起こる。
そりゃそうだよね、限りなく不可能なことを願ってるんだから。
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そこで僕らが、真の自分とつながるための道は、その不安や怒りや自己否定に入って通り抜けた先にある。そんなにこころ乱れるのは、そこにほんとうに大切なものがあるから。
どうでもいいことにはこころは乱されない。
そのこころの乱れや痛みを避けて通ったら、
それは本当に大切なものを大切にする生き方からも離れてしまうの。
そうするといのちは、輝きを失っていく。
だからね、ワクワクとかだけじゃないんですよ。
あなたが嘆き、悲しみ、怒り、不安にとらわれたら、
そこにあなたのいのちが輝く世界への通路がある。
ちゃんと嘆くことを自分に許したら、あなたのこころは再び開くし、
つまりはいのちの輝く人生への扉が開く。
僕はこれまでたくさんの人が、その道に入っていくのを見届けて来たけれど、
みんな笑顔でワクワクして入っていくとは限らなくて(そういう人もいるけど)、
むしろほとんどの人はもっと真実の泣き顔で入っていきます。