ルーツの旅.4〜東京、丘の上で〜
祖父の故郷を訪ねた3日後、旅の報告を兼ねて墓参りに向かった。好物のワインとキスチョコをコンビニで買って、丘を登り区画を確認し辿り着くと、ガーデニング墓かと思うほど野草が茂っていた(ウチにお盆という習慣無し)。
本目的をば先に全うせんと、ご挨拶、ワインとチョコを供え、旅の報告。
「お爺様のお祖母様の神社に行きました」と言った途端に涙が熱く流れた。
それから怒涛の草むしり、墓石拭きをしていたら祖父のChristian nameが彫られている事に気付き、丘の上は無人なのでアヴェ・マリアを歌う。
家は曽祖父がプロテスタントに改宗し宗教的弾圧も受けた様で、祖父の代からカトリックなのだが、抑圧への反発や自分のポリシーにより小学生時代に私は信仰離叛。だから賛美歌を自分の意思で歌ったのは初めてだ。
風通しの良い人柄の祖父に、そんな形式的なことはいいと言われた気がしたので、iPhoneでイマジンなどオススメ曲を何曲か一緒に聴き、思いも曲も時刻も丁度いい頃合で引き上げた。
抑圧的で機能不全の為、私の中で反発と影となった親族というテーマ。何年も心理学に取り組み、自己分析と解放を重ねてきたが、このタイミングでルーツの話が出たことはひとつの区切りだと思う。
母方のルーツは、この豊かな海の土地にスピリットが根付いている事を体感した。
父方のルーツは、長閑で豊かな山の里のスピリットの強さを実感した。
カトリックの軛。子供の頃から反発していた私自身は無宗教を身上とした。それでも、普通に日曜日に遊ぶ事ができず、私のしたい事や好きな事や感情を「悪いこと」「あなたが悪い」と繰り返し否定されてきた生い立ちは、根深い自己否定を生んでいた。
神経症気味で、常に不安と精神的飢餓感で頑張り、素直な自分や他人を認められず、情緒不安定や人間関係問題や、どうしようもない辛さを抱えていた半生。
10代からの心理学の独学と実践、カオスとカーニバルのような夜遊びによる解放、様々な出会いと経験を通し、やっと素の自分として生き始めたのが30代だ。
流転や離散を繰り返しながら、ルーツを認めることができた怒涛のような1週間の旅。
時刻と移動記録、調べたアドレスと発見したものを書きとめたノートは、エネルギーに満ちた小さな自叙伝だ。そしてこのルーツの旅を一旦締めくくり、心はまた旅に向かう。
(気になることが重なり、思いつきで占いへ行き ルーツというキーワードを得た1日目。手記等からキーワードを拾いネットリサーチし、現地に行ってみたいと旅のプランと準備をした2日目。新幹線で午後に鹿児島着、七ツ島へ行き鹿児島泊の3日目。岡山へ向かい、午後に神社へ行き、バスで岡山駅に戻り泊った4日目。群馬へ向かい、温泉へ着き、夕方に山を降り、意外とつながっている都内の部屋へ帰った5日目。弾丸旅行の疲れを癒し、次の準備をした6日目。都下のお墓へ参り、歌って、部屋へ帰った7日目。
いわゆる、人生のターニングポイントに、苦手なファミリー問題を自分なりに決着つけられたようで、身軽になって 新しいステージへ進んだ。私という存在。
Image(C)夜の魚.2018