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美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

ルネサンスはなぜ起きたのか ?

2018.04.17 13:39

<「美の巨人たち」放映番組(2016.6.18)の主なコメントより引用>
  2016年は、日本とイタリアが国交を結んで150周年にあたる。芸術の革命とも言われる、
「ルネサンス Renaissance」はなぜ起きたのか?
「再生」(re- 再び + naissance 誕生)を意味するフランス語であるが、
ジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』には、「神も美しいが、人間も美しく価値がある」と記し、「人間性の回復」を謳った。
   ルネサンスの勃興期ともいえる15世紀初頭、番組ではサン・ジョバンニ洗礼堂の東側の扉の制作が、ロレンツォ・ギベルティ(1378〜1455)と、フィリッポ・ブルネレスキ(1377〜1446)との間で、コンペにより争われることが紹介された。結果、繊細で優美な表現が特徴的な、ギベルティの作品が「天国の門」として採用される。
    また、サンタ・マリア・デル・フィオ-レ大聖堂のドーム建築を経て、それまで「職人」という存在でしかなかった人々が、「芸術家」として尊重され、尊敬されるきっかけとなっていく。
   つまりは、この頃から、「建築家」「画家」「彫刻家」といったジャンルも、明確になってきた。ルネサンスという時代の幕開けに、ふさわしいエピソードである。
 さらに、サンドロ・ボッティチェリの作品である、「春 プリマベーラ」( 1482年頃)と、「ヴィーナスの誕生」( 1485年頃)をとりあげて、ヴィーナスの共通のモデルとなった、当時の美人女性 シモネッタ・ベスプッチの存在を明らかにする。
    シモネッタ・ヴェスプッチ は、ジュリアーノ・デ・メディチの愛人。フィレンツェ一の美女として讃えられ、15歳で、マルコ・ヴェスプッチ(探検家アメリゴ・ヴェスプッチの遠縁にあたる)と結婚したが、その後23歳の若さで肺結核で死んでしまう。

   「彼女の前では、死もまた美しい」として、若きレオナルド・ダ・ヴィンチも「シモネッタの頭部」を、瞬く間にスケッチしたのである。ボッティチェッリが『ヴィーナスの誕生』を完成させたのは、それから9年後のことであった。
<視聴後の私の感想コメント>
 それはたしか、高校の美術の教科書であった。カラー刷りで「ヴィーナスの誕生」がグラビアで紹介されていたのを、なぜか鮮明に覚えている。
 ただし、試験のために作品や制作者の名前を暗記した以上のことは、特段の印象に残っていないのは、今更ながら情けない気持ちで一杯である。17〜18歳で、芸術の価値がよくわかるという方が、むしろ無理というものかもしれないが。
 また、「春 プリマベーラ」も、ギリシャ神話を題材に描かれたことが、番組でも紹介されていたが、口から花を吹き出しては、フローラへ変身を遂げるなど、見事な変身ドラマとして描かれているのには、脱帽である。
 「美の追求」「美の究極への旅立ち」として、そこからは、並々ならぬ情熱あふれるパッションという、オーラのようなものが、作品全体から滲み出ているように感じた。
Adesso, la cucina italiana e molto popolare in Giappone.
Ma, prima, devo studiare la lingua.

<写真: 「美の巨人たち」放映番組(2016.6.18)より引用転載・視聴者センター許諾済 >
 右下:「ヴィーナスの誕生」
(いずれもボッティチェリ作)

 左上:「春 プリマベーラ」