心象風景のおはなし(1)-機嫌よく生きる-
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心に痛手を負ったとき
その影響はすぐには出ません。
長い間気づくこともなかったりします。
じわじわと時間をかけて
ボディブローのように
効いてきます。
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自分が直接関わって
ひどい扱いを受けたとか
きついことを言われたとか
なにか被害を被ったわけでなくとも
身近な大切なひとが
理不尽に傷ついている姿を
見続けたときに
見ている側は自らの無力さを感じ
手をこまねいてみているしかない
もどかしさを感じ
ゆっくりと傷つき続けます。
タスケラレナクテゴメンナサイ.......
ムリョクナワタシデゴメンナサイ.....
近くで、傷ついたひとを見続けること
そのひとを救えないことを感じ続けることは
思いのほか
見ている側に深いダメージを与えることなんだと
思い知っています。
自分が悪いわけではないのに
なぜか、あやまらなければならないような気がしたり、
にこにこと楽しく生きているのが悪いような気さえしてきます。
ネガティブなエネルギーの影響力は大きいのです。
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もし、あなたの周りに
自分のことをひどく責めて
苦しみ続けているひとがいたら
きっと
そのそばにいるひとも
その影響を強く受けているでしょう。
同じだけ苦しまなければならないと
無意識に自分を責めているでしょう。
だって、
その "自分のことをひどく責めているひと” は
だれのどんな一言も
自分を責めるために利用することに長けていますから。
誰かの一言、誰かのちょっとした態度を
見逃さずに巧妙にとらえて
自分責めの材料にして暴れる
機嫌の悪さをまき散らし、その場を汚(けが)す。
オマエニオレノキモチガワカッテタマルカ...ト
そんなひとがそばにいたら
できることなら
即刻、避難することを勧めます。
できれば一定期間連絡を絶つのがいいでしょう。
一緒に暮らしている家族ではそうもいかないかもしれませんが。。
そのひとはいま、
周りを傷つける刃(やいば)です。
そのひとを癒したり救ったりすることは
簡単にはできないのです。
許しとは、自分を許すことです。
そのひとは、
誰かに傷つけられて苦しくて暴れているのではないのです。
自分の内なる声に傷つき続けているのです。
周りのどんなささいなことも
自らのフィルターを通して受取り、
自分への攻撃ととらえて暴れるのですから。
そこにいたるまで、
いったいどんな人生だったのでしょうか。。
幸せな瞬間、楽しかった瞬間は
ひとつもなかったのでしょうか。
感謝したいことは何ひとつないのでしょうか。
自分から、
地獄ループに乗っていることが
オカシイ、と気づかない限り
降りることはできません。
それまで、ずーっと暗く辛い
心象風景を生きるしかないのです。
自分を責めて機嫌が悪いひとがいたら
なるべくその挑発に乗らないことです。
無意識に非常に巧みに、自分を責めさせるような話し方をしてくるのです。こちらが無邪気に発した一言が地雷を踏んだ状態になって、こちらはただひたすら ハテナ(・・? 状態に陥るだけです。。そのひとと接するときにはおのずと身構えて神経質になっていくでしょう。。疲弊します。
大事なのは、
そのひとが機嫌が悪いことと、
あなたが何かしたかどうかは
関係がない、ということを知っていることです。
あなたのせいで
そのひとが傷つき機嫌を損ねているのではないのです。
そのひとは、機嫌を損ねて暴れる理由を探し続けているのです。
自分を責める材料が減ってきたら、無理やり集めてきて
自分責めの焚火に薪をくべ続けるのです。
あなたは、そのひとが機嫌を損ねたからといって
自分を責めたり、機嫌を損ねてはいけません。
ここがミソです。
そのひとが機嫌が悪いことと
あなたの尊い存在理由とは一切関係がないのですから。
冷たいといわれようが
助けてくれなかったと言われようが
縁を切るぞと脅されたって、
あなたはあなたの生きたい道を
光射す道を歩いて行っていいのです。
無意味に機嫌が悪いというのは罪なことです。
機嫌が悪い、は
悪い
ことなのです。
機嫌よく生きる
それは、自分も周りも楽しく幸せにする
奥義です。
Thank you for reading my blog.
Sofie KT.