日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第三章 月夜の足跡 9
日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄
第三章 月夜の足跡 9
「ところで大沢三郎先生は、最近はどうなの」
菊池綾子は、いきなり切り出した。青山優子と菊池綾子は、一度拉致というような感じで都内をドライブしたが、その後は打ち解け、日本の国を守るために協力することを考えている。それ以降、青山優子は、事あるごとにここ「流れ星」に飲みに来て、菊池綾子に様々な報告をしていた。菊池綾子も、いかにも青山優子の後援会のメンバーであるかのように振舞い、また、その後援会の中では目立たないように差し入れなどをするということをしていた。そして、近付きながらも、その心根をしっかりと把握していたのである。
青山優子の方も、最近の大沢三郎に不信感を抱いていた。もちろん、青山優子は、元々なんでもなく、地盤も看板もない状態で大沢三郎に見いだされ、大沢の莫大な援助によって議員の地位を得ている。当然に現在のありようは、全て大沢三郎のおかげであり、大沢には、文字通り足を向けて眠れない関係である。当然に、現在の地位にいる間は理不尽な要求も全て受け入れなければならないような音がある状態であるし、また、青山優子自身そのことを自覚していた。また、本人はそのことで自分自身が傷ついても、また、自分自身がどんなに悲しい思いをしても、それは仕方がないと思っていた。実際に、求められるままに寝屋を共にして身体を提供していた。女性として耐えがたい事もあったが、それでも耐えてきていた。それも日本の為であると考えていたのである。
しかし最近の、いや、六本木飯倉片町奉天苑の会合以来、青山優子には大沢三郎の態度が何か違ってきたような気がしていたのである。本当に日本の為なのか、あるいは大沢三郎の個人的な感情によるものであるのかはよくわからなくなっていたし、また、それが中華人民共和国の手先になっているような気がしまう。
今まで、何もかもささげてきたつもりであっただけに、なんとなく裏切られたような気がして、虚無感に苛まれていたのである。しかし、それでも今まですべてをささげてきただけに、他に相談することができず、一人で悩んでいたのである。そんな時に、拉致されたとはいえ相談に乗ってくれて、それ以降自分の中に入ってきた感じだ。後援会もすべて入ってくれている菊池綾子には、既に大沢三郎の「邪心」と戦う戦友のような感覚が在った。
これまで奥田モータースの奥田政子のような、大沢三郎から差し向けられた後援会の会員もいるのであるから、なかなか相談できる人はいなかったところで、菊池綾子のような人物がいたのは、青山優子にとって、自分の精神を保つことの最も大きな支え位なっていたのかもしれない。そのようなことから、「どうなの」という問いかけが何を差しているのか、そしてどのような話の展開になるのかを全て優子自身がわかっていた。
「Tの事」
あえて、聞かれてもよいように天皇陛下とは言わず「T」と略していた。もちろん「天皇」の「T」である。ここでは敬意を表することではなく、他に聞かれても疑われないようにすることが最も重要なのである。
「そうよ。大沢先生の直近の課題でしょ。でももしも間違っているならば、それを阻止することでわかっていただけるはずだと思うの」
「そうね。それが、大沢先生はあれ以来、飯倉さんや早稲田さんと何回も会合していて困っているのよ」
飯倉さんとは、飯倉片町の奉天苑の店主、そして中国のスパイと目されている陳文敏の事、そして早稲田とは、西早稲田に本拠地があるとされている松原隆志の事である。ここも「T」と同じように、二人の間の隠語で話をしている。やはり誰かに聞かれてもよいような話になる。実際にこれだけを聞いていれば、「T」というのは、何かのプロジェクトの事か、あるいは政策の頃であるというような感じになるし、また、飯倉や早稲田は何か他の人の名前に聞超えるのではないか。
「そんなに何回もあっているの」
「そうなのよ。何だか仲間外れにされているような感じで悲しいかな」
「本当に悲しいの」
「いや、まあ、そんなことはないんだけど」
このような会話がところどころに挟まるのが女性の会話である。
「どうもTが京に入ることが決まりそうだということのようなの。どうも、京都の大学から宮内庁と国会に申請があって、野党は近々中で公務に支障がない場合は賛成するということを与党に打診したみたい。そこで、ちょうど秋に奈良県で国体(国民体育大会)がある時に、そのまま拍数を伸ばして京に入るということのようなんです。」
「国体なんですか」
「そうなの。ちょうど国体があるということなんだけど、与党、特に阿川首相は、Tが奈良に行くこと、特に今回は橿原だということなので、凄く神経質になっていたみたい。それが、野党側から京都もある、それも京都の事は中国も絡むということから、野党側も大きく反対はしないということのようなの」
「中国が絡むと反対しないの。何か変ね」
菊池綾子は、素直にそのように言った。何にでも反対する野党が中国が絡んだらすぐに賛成に転じるというのも何か変なものである。
「本当に変なのよね。野党って、自分の存在感を示すために反対したり、日本の事ではないのに賛成したり、本当に何だかわからない。でも今回は、中国が絡むからということで、京都の学会から野党にも要請書が届いたらしいの。だから、野党側は何か知らないけど、反対はできないというような話になったみたい。」
「へえ」
「京都の建物や街並みの話で、その大会を秋に行うということになったみたい。」
「秋ね。それも、国体の前後でということなのね」
「そうよ。国体は本来はTではなく、その子供とか親戚とかが行くことになるような感じなのに、そのようなことだから今回はTが入るのだって。そういう大事なことは、大沢先生は全く私たちには相談なしに決めちゃうんですよ。こういうところは、昔からあったから、仕方がないんだけどね。私たちチルドレンはそのような判断の時には、大沢先生が迷っているとき以外は全く相談がないのよね。私たちの意見なんか関係ないというような、あるいは知能が低い人は大沢先生に従って言うとおりにだけしていればよいというような、そんな感じなんですよ。ちょっと頭に来るのよね。先に少しだけでも情報をくれれば、こっちも心構えがあるのに。いつもきまってから結果だけ。」
青山優子は、愚痴を後ろにたくさんつけると、ウイスキーの水割りを一気に飲み干した。
「ねえ、綾子さん。ちょっと薄いからもっと濃いの作ってよ」
「いっそのことストレートにする」
「そうして」
綾子は、個室の中のチェストからショットグラスを持ってくると、その中にウイスキーをなみなみと注いだ。
「これでいい」
綾子が言う前に、青山優子はそれを飲み干していた。綾子は笑みを浮かべると、そのままもう一杯ショットグラスをウイスキーで満たした。
「今日も、酔ったらちゃんと家まで送らせますよ」
「お願い」
そこからは、青山優子がいかに頑張っているか、そして、大沢三郎への愚痴がとめどなく続いていた。中には奥田政子への愚痴も有ったので、綾子は少し笑ってしまった。
「あの、今田陽子さんですよね」
二人がクラブ「流れ星」に移動する前、というか「女子会」が終わった直後、ホテルの前で、小川洋子が今田陽子に近付いてきた。
「はい、そうですが」
「少しお話があるのですが」
「はい、時間があるので、いいですけど、どこか場所を探しましょうか」
今田陽子は、タクシーに乗るのをやめて、ホテルのロビーに戻った。ホテルのバーコーナーならば、ラストオーダーまでに1時間位はあるはずだ。
「ホテルのバーですか」
「おいやかしら」
「いえ」
二人は、そのままホテルのバーに戻っていった。