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「運命」とは何か

2018.04.18 15:00

古来より、あらゆる国で為政者も人々も、見えない流れや人生の明暗を知り、何とか良くしたいと 運命 について考えてきました。中国の武将達は戦局を月や風景で読めるものが将の器たりえるとしていたそうです。多くの芸術家、特にシェイクスピアがあれ程支持されたのも、人々が思う 運命の波 を描いていたからでしょう。

世界や人生の 大きな流れや傾向と、自分の 意識や気持ちや行動選択、他者の考えや行い、時間等、常にすべてが「影響しあって世界は変化している」と、古代の叡智でも 現代物理学(量子力学/二重スリット実験が有名、シュレディンガーの猫も設定が占いに近い)でも言われています。

その「相互作用的現象化」のことを「運命」と 私は認識しています。

あるいは「可能性と傾向の流れと波」。

決まりきった運命は無く、あくまで大きな可能性と己が持つ要素等が組み合わさる事で 未来や人生のシーンは変わっていきます。自身が物事を理解し、選択や行動をする事で 幸せや良い人生に変えていけます。良くないとされる出来事も、それ自体の評価ではなく、それから何を人間として経験するか で 人生の彩りが変わります。

「占い」という文化は、その為の「情報活用術」だと捉えています。


(例えば、あなたがこれから出掛けるのに迷っていて、大きな可能性として 厚い雨雲が近付いており、家には傘がある、など 今後の傾向や可能性の情報、あなたが持つ要素を洗い出すことで、「出掛ける選択」なら 傘を持っていけば雨に濡れず楽しめる、という未来を創る事ができます。

もちろん 様々な要素が響き合うので 雨雲が薄まり降雨が無くなる場合や 出掛ける先を変えたら風雨でレインコートを買う事にする等もありますが、現時点の本人からの最も高い可能性や要素を洗い出すことで、傘があるのに気付かず(情報がなく) ずぶ濡れになる事も、余計な不安(悩みの足止め)で お出掛けの楽しみを避ける事もない、そんな より良い未来を今から創っていけます。)


運命はある。

それは怖れるものでも期待するものでもなく、共に変化し続けるものであり、主体的に歩むことと 受容的に認めることの 両立を大切にしましょう。

Image by :NASA Image and Video Library



「運命の相手」かより いかに「運命を体験するか」が大事


誰々は“運命の相手”か、と気にされるケースが多いと思いますが、私個人の意見としては「運命の相手は複数いるから 決めつけるな 怖れるな」という思いが基盤にあります。

3〜50年パートナーとなる(結婚とか起業)ことが“運命”でしょうか。それは人生の一面や一部分に過ぎないのに。

たとえ1年でも、1日だったとしても、互いの人生を響き合わせ、心が動き、喜びや痛みや学びや調和の感動を共有したなら、それはもう“運命の相手”でしょう。


その人に会えたことで人生の彩りが変わる、その人を通じて新たな自分に出会う、そんな経験そのものが“運命を体験”するということだと思うのです。

だから奇跡は何度でも起こるし、素晴らしい時期は幾度も来ます。それに伴う影も。

それらの時空 全てを紡いだ 人生の総合芸術、その大切な要素だけれど それだけが全てではない 他者と認識するもの が“運命の相手”です。

そしてその人を通して、あなたは“何を見たい”のでしょうか。“何を表現”していくのでしょうか

運命の波を泳いでいく人間は、たとえ溺れ掛けたとしても、泳ごうとしない事より美しいのです。失敗や傷つくことを怖れ、運命の相手かどうか を躍起になって確かめようとするより、その人と響き合う“自分を楽しむ人生を泳ぐ)”方が大切だと思います。


社会通念や様々な事情で実行動自体は調整するとしても、「運命かどうか」自体を悩むのではなく、「運命をどう味わっていくか」主体的に歩む方が良いと考えています。

その歩みのために色々考えたり、占いを参考意見(違った角度から見た情報、なので、占師毎に言ってる事が違ったり、本人の意識が変わると相互的影響で 同じ問いでも鑑定結果が違ってくるであろう)と見て、自分で判断し行動するのが、依存ではなく活用のスタンスでしょう。

辛い時は 良いお酒や音楽を味わえば その深みが人生の滋味になるし、喜びやパワーが溢れた時は チープなお菓子や当たり前のことだって 最高のパーティになるのだから。


してはいけない恋なんてない。無駄な経験などない。怖気付いて殻に篭ったり、他人や出来事のせいにしたり、素敵な運命(人や事)が降ってくるのを待つだけの依存姿勢はもうやめて、“運命を体験”しに出かけましょう。


(※本文は「占ジャーナル」というシリーズで寄稿したコラムです)