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死と再生の体験

2018.04.19 15:00

様々な文化、精神世界の本に共通してある「死と再生のイニシエーション」。

人間が根源的な何かを求めるとき、おそらく“通ること”になるパターンなのだろう。

心理学や精神世界、神秘思想は受け入れているが、“スピ系”(商売目的の欺瞞の匂いや依存助長のクローズド感、単純に印象が浅薄だったり辛気臭かったり、特権意識とか病的な思い込みのノリ)がどうも苦手な私は、この種の体験に興味がありつつも参加する勇気もなく、想像で済ませていた。


表現活動の勉強として、アートワークショップの取り組みに興味を持ち、ワークショップに参加するようになった。

そのワークショップ(この分野のアートには音楽も身体表現も言語も含まれる)のとあるタイトルに惹かれ、台風が迫る夏に急遽参加、ディープブレスというワークに予備知識なしで飛び込んだ。それはヨガの一番深い方法や各種文化におけるイニシエーション。低音で大音量のシャーマンドラムのライブの中、特殊な呼吸法を実践するだけで驚くほど、すんなりとトランスに入っていた。手足はみるみる痺れるように冷たくなり、ドラムに身を任せていると腹から頭へ“自分”が上がり、焼いたお餅の様に頭がパリッと割れて、そこからぷく~っと白い膨らみが出た。(自分の魂のイメージがお餅…)


そこで体験したのは、コバルトブルーの海と空に、たくさんの丸い魚のような群れがキャッキャッと楽しんでいるビジョン。自分はその魚であり、周りのすべての魚たちも同時に自分であった。

いわゆるワンネスの一つ手前なのだろう、古来よりインドなどで言われているが、「人生は楽しみ(遊び)であり、すべては自分」なのだと再確認した。


いつかこういうイニシエーションはやってみたかったけれど、インドや南米で儀式を受けるのは怖いと思っていたのだが、こんなにナチュラルに簡単にできるとは。

(※もちろんこういった体験は、きちんと大切なことを理解したファシリテーターかつ信頼できる人のもと、自己責任で取り組んでください。安易に特別になりたいからと飛び込むと良くない場合もあります)


台風の最中、東京に戻ってきて、その一ヶ月後にまた台風が来て、嵐の中である人と様々な話の流れでこの「死と再生」のことも伝えた。そしてそこでの話から、自分の“血のルーツを巡る旅”へ繋がった。(それはまた別の話で。)


死と再生を自分の体と心で確かめる行為、そこで確かめたのは、ただ「喜んで生きている自分」だっただけ。青い海と青い空のもとで、生きていることを喜んでいる自分。

絵画も踊りも仕事も日々の生活も、人間は表現し続ける生き物で、人間として味わい描くことが生きていることであっただけだ。

芸術は神と悪魔の共作」だと、その時ふと思った。光やポジティブを良しとしがちだけれど、影も悲しみも悪も全て内包して宇宙は響いている。想い、彩が変化し続ける。

ただ、全てを愛している。そんな当たり前の事を再確認した体験だった。今ここにある自分を表現しよう、それが生きることそのものだ。とりあえず、すべてを愛している。

(本文は、2016年の体験の感想を調整したものです)


Image(C)夜の魚.2018