法制化が見えない日本の「尊厳死」
文藝春秋12月号に、「ゴダール『安楽死』の瞬間」(宮下洋一氏)という記事がありました。「勝手にしやがれ」(1960年)などで知られる映画監督、ジャン=リュック・ゴダール氏が、スイスの団体の支援を得て、2022年9月、薬物を服用して安楽死した件に関するレポートです。
記事では、「日本では安楽死を検討する方向にはまだ動いていないが、個人の生き方(つまり「死に方」)を全面的に尊重する欧米社会との違いによるところが大きい。(中略)安楽死とは本人の希望だけでなく、残された家族の受け止め方も重要なはずである。周囲の気持ちをおもんばかる日本では、ゴダールのように『個の生き方』を貫くことは簡単ではない」と、この問題の難しさを指摘しています。
とはいえ、日本の高齢者の死の捉え方、死への向き合い方はかなり変化してきました。葬儀は身内だけで済ませるケースが増え、葬儀をしない「直葬」という形も出てきています。「墓じまい」や散骨を望む人が増えているのも、自分の命を自分だけのものとして、残された家族への影響を最小限にしようとする意思の表れとみていいでしょう。すっかり一般化した「終活」は死を前提にした取り組みですから、死という言葉を口にするだけで「縁起が悪い」と考え、思考や対話から排除していたような、ひと昔前とは様変わりしています。
実際、筆者に次のような手紙が届いたことがあります。(一部省略)
「日本では、『本人の意思』や『家族の要望』は無視され、『命は大切なもの』『命はかけがえのないもの』という一方的な倫理観から、徹底的に『延命治療』が施されます。一方で、苦しみに耐えながら生き永らえている本人にとって、その措置が本当に人間の“尊厳”に照らした“倫理”なのだろうか? “幸せ”なのだろうか?
私事ではありますが、過去15年の間に、『延命治療』により両親と姉の3人の、病魔に冒され、哀れで悲しく、苦しみながらの最期をみとった経験を持っております。かくいう私も現在83歳、いつなんどき、前記のような状況になるかもしれない年齢になっています。
『あなたの命はあなただけのものではないよ、親も子もきょうだいもいるよ、皆を悲しませてはいけないよ、元気で長生きしなくちゃ、命は大事にしなくちゃ…』と、もっともらしく言われています。しかし、苦しみと絶望の中にいる本人にとっての本音は、『社会や親きょうだいはどうでもいい、早く楽にしてくれ、早く死なせてくれ!』だと思います。
何といわれようと、『命の尊厳』は究極のところ、その人のもの、本人のものです。なぜ日本では、法制化の機運さえもないのでしょうか? 日本でも、欧米の国々のように『終末』を迎えたときの『尊厳死』や『安楽死』の法制化を検討すべきです」とありました。
●放置されている「死」の問題
このように、自分の死に向き合い、“死に方”を考える高齢者が増えてきたのに、それを支える仕組みの検討は遅々として進んでいないのが日本の現状といえるでしょう。
高齢化の進展に対応すべく、介護保険制度の導入、地域包括ケア体制の構築、年金制度改定、定年の延長、高齢者住宅の整備、通いの場などをつくることによる社会参加の促進など、さまざまな施策が打たれてきましたが、すっぽり抜け落ちているのが「死」に関する問題です。何度か政治家が口にしたことはありましたが、物議を醸して、しばらくすれば忘れられる…の繰り返しで、超高齢社会のテーマの一つとして「死」が国会などでまともに取り上げられることはありませんでした。
延命治療を拒否して、「平穏死」「自然死」を実現するための「リビング・ウイル」(自分の意思を記しておく事前指示書)を推進してきた「日本尊厳死協会」の登録者も、2002年に10万人を突破してからは横ばいのようで、これも公的な議論をほとんどしてこなかった結果なのかもしれません。
「死に方は生き方で決まります」とは、105歳の天寿を全うされた医師、日野原重明さんの言葉。いつか必ず訪れる自分の死を見つめ、「どのように死にたいか」を考えることによって、生き方をよい方向に変えていくことができるという意味です。
また、スティーブン・R・コヴィー氏が著した「7つの習慣」には、「あなたは自分の葬儀で、誰にどんな弔辞を読んでほしいか」という問いがありました。人生の終わりをイメージすれば、それまでの期間を、目的を持って有意義に生きることができるというメッセージです。
そう考えると、ここ数年、目に見えて増えてきた趣味や学び、運動などに取り組む活動的な高齢者や、住み替えなどで環境を変えて人生のリスタートをする人たちは、漠然とでも「死」をイメージしている人たちなのかもしれません。国民的議論や法制化には至っていないものの、それを待たず、自発的に死に向き合おうとする高齢者が増加していることで、人生終盤の暮らしの質が向上しているのだとすると、「終活」は超高齢社会の活力に、大いに貢献していることになるといえるのではないでしょうか。