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online数学授業

ギリシャ幾何学の著しい特徴 (A編コラムより)

2018.04.20 14:15

 古代ギリシャの幾何学はエジプト,バビロニアと並び幾何の創成期からありました。

 民族,時代の分析により解釈はかわるでしょうが,私は次の点に興味を持ちました。 

1. 概念が明確であって,結論が論理的に厳密であった。 

 バビロニア,エジプト,インドあるいは中世の幾何学と比べても表現は厳密であった。のちのローマの時代ではギリ シャの哲学,詩歌,美術について模倣したにもかかわらず,数学にはその傾向はなく,術語は不明で,定義,公理およ び法則の証明は記していなかった。ローマではギリシアの科学のかわりに,実用的な幾何があった。それはローマの測量技師たちの経験となって,インフラ整備技術はは今日のそれの礎となっている。

 2. 一般的な原理,方法が欠けていた。 

 ギリシャ人は,接線を引く一般的方法をもたなかった。 幾何学者は,1つの定理を証明するにも,異なる位置によって別々の証明を与えるものと考えられていた。 


つまり実用化されている技術と学問としての概念は歩調をとる発達がいつから始まったのか. . . 

これから興味の広がるところです。

 日本は学問をどう扱っているのか哲学がないから「哲学」さえ学ぶ場を大学は消滅させようとしてい ます。 


下のエピソードは小数,対数の時代からの要請にジョン・ネイピアが答えたものです。

  三角法はギリシャの時代ではサイン(正弦)は今の二倍であった。一方でインドの三角法では今の正弦(サイン)が定義されていました。それは時代を経てアラビア人に渡り,12世紀になってイタリア生まれのチボリのプラトによりラテン語でsinus(湾 曲)と訳され,三角法に「正弦」の言葉が生まれました。幾何としての三角法は実用化が進む一方で,計算としては他の数学の発達が必要でした。 またアルキメデスの時代に概念が生まれた指数は,そのまま対数へ発達したものではなく,ネイピア(1550~1617)が対 数を作ったのは正弦の対数を求めること,三角法の計算を簡単にすることを目的としていました。対数が指数記号となったのは ,のちににオイラーにより認められたものでした。授業の導入ではウソをついていかにも指数にとって対数が必要かを語ってしまいます。



実は三角関数の積和公式で正弦をより手ごろに扱うことが目的だったのです。  

同時に対数表のためにネイピアが小数を初めて使ったとされています。