いよいよブレードランナーの世界か。 2023.01.11 13:39 「篠原さん、最近は四日市に来られていますか?」最近、旧知の友人(若い女性)、2人から問われました。いなべ市へ移住する前は、長い間、四日市に住んでいましたし、自分が経営する会社の事務所もありました。しかし、いなべ市へ移住して14年。また、2年前に四日市の事務所を引き払いました。それまでは、毎日、四日市にいましたし、議員以外の活動のベースは四日市でした。「たまに行くけれど、最近は、桑名から名古屋へ行く。いなべ市からの距離感を体感しておくのと、名古屋を上手に使いたいから」「なるほど。篠原さんらしい」クレバーな彼女たちは、私の意図をすぐに察したらしい。いなべ市から名古屋。ぼーっと考え事をしながら1号線を走れば、気が付けば、熱田区ぐらいにはいる。熱田からは、名古屋の方々へどんなルートをとってもアクセスできる。つまり、いなべ市民でも名古屋は完全な生活圏である。逆に言えば、そのくらいの感じで、名古屋からいなべ市には来られるのだ。この感覚を心身に入れて、いなべ創生を考えねばいけない。私はそう思っている。必ず、大須を歩く。大須は、かつては秋葉原と同じ、電気屋街であったが、15年ぐらいまえから、やはり、アキバと同じようにオタクやアイドルのまちとなった。また、数年前、タピオカが流行ったころに、台湾屋台のような店がやたらに増えた。目に見えてインバウンドのアジア人も増えた。大須というまちは、常に、蠢いて変化を繰り返す。つまり、そのぐらいアンテナがたったまちなのだ。 というわけで、表紙写真は、台湾あんみつなるもの。スイーツおじさんとしては、甘いタピオカとバニラアイスの相性もよく、大満足だったが、店内には、様々な言語が飛び交う。日本語、ハングル、ポルトガル語、英語・・・。香港の威勢のいい広東語と思われる言葉も交錯していた。いよいよ、日本もあのSF映画の名作ブレードランナーのようになってきた。それを確信したのが、東仁王門通り。 ここはどこの国やと思うぐらい、他国料理の屋台が並ぶ。各屋台の雰囲気が、その国を雰囲気を表すような作りで、その前に、外国人がたむろする。ゲストハウスが多ければ、昔のバンコクのカオザンのようだ。こんなんだから大須はおもしろいし、なんか、日本が行き着く果てにも見えてくるのだ。また、たくさんの若者が並ぶおにぎり屋、似顔絵専門店などなど、都市部の若者のニーズや新しい実験的な商売もある。万松寺近くのビルの中、アイドルショップの隣に、古い電気屋があり、古いパーツが無造作にぶら下げられている。この混沌感がたまらない。 さらには、その万松寺。私は勝手にお寺の最先端と思っている。カラフルに輝く液晶看板。多彩なデザインの御朱印。からくり時計に、巨大な白竜の像。完全に現在を肯定し、今のお寺デザインを提案している。若者もひっきりなしに詣でるが、身代不動尊に、2礼2拍手1礼は、なかろう。とみていたが、後に続く、若い女性たちも同じスタイルで、寺へ参る。まあ、そのぐらい、常識なんてものは破壊されているし、そんなもんはどうでもよいという、江戸時代の庶民のように、今の若い人たちは楽天的なのかもしれない。名古屋は、実におもしろい。さて、そんな名古屋へ向けて、私たちは何を発信すればよいか?いなべ市はしっかり見えているだろうか?