オンライン読書会 シーズン2 第1回の報告
こんにちは。
オンライン読書会 シーズン2 第1回(2023年1月9日)ヒュームの「人間学」の報告をします。
メンターは、シーズン1に続き、高萩智也さんにお願いしました。
26歳、慶應義塾大学 文学研究科 哲学・倫理学専攻 後期博士課程、新進気鋭の研究者です。
テキストは、ヒューム『人性論』(土岐 邦夫、小西 嘉四郎 訳、中公クラシックス)。
著者のデイヴィッド・ヒューム(1711-1776)はスコットランドの哲学者です。
テキストは古い翻訳なので、タイトルも『人性論』と厳めしい感じですが、最近は『人間本性論』と訳されているとのこと。
人間の本性、英語で言うと human nature と聞くと、だいぶ親しみがもてますね。
まず最初のほうを読みました。
テキスト① pp.7(ところで、あらゆる学問は〜)-11(他にはるかにまさるものとなろう)
メンターのレジュメを引用すると、
・学問は全て、人間によって営まれる。その限りで、人間がどのようなものであるかを知らなければ、正しく学問することはできない。
・人間がどのようなものであるか(=人間性、人間本性)を考える学問を「人間学」といおう。
・人間学は、人間を実験室のなかで特殊な状況下において調べるのではなくて、日々の生活における行動を観察するという方法によってなされる。
シーズン1のデカルト『方法序説』では(異端と言われないためにも)何かというと「神」が出てきて、「人間」とは何か、といったことはあまり書かれていなかったので、まず新鮮に感じます。
デカルトは17世紀前半の人ですから、1世紀経つと、かなり21世紀の感覚に近くなるんですね。
参加者も、「私も普段から人間観察してます(^^)」と共感していました。
次はヒュームの「人間学」の結論部分を読みました。
テキスト② pp.121(なるほど、われわれの観念にある〜)-127(これが私の哲学の起源なのである。)
メンターのレジュメより。
・人間学をやってみると、人間の理性が実際はとても不安定なものだということがわかった。
・それを考えると、何が正しくて何が間違っているのか、何もわからなくなり、何も信じられなくなってしまう(懐疑論)。
・これを癒してくれるのは、友達との遊びや会話だけである。
・友達と遊んで懐疑論がつまらないものだとわかると、私(ヒューム)は好奇心と有名になりたいという気持ち(名誉欲)から、再び哲学をしたくなる。
おっと、人間の理性は「不安定」だと言われてしまいました。
デカルトは、完全なる神の似姿である人間の理性は、同様に完全だと考えていたはずですが…
しかも「友達との遊びや会話」推しです。
暖炉の前で独り思索にふけっていたデカルトとは大違いです。
「懐疑論」のイメージから、ヒュームは陰キャだと思い込んでいた管理人でしたが、間違っていました。
ヒュームは陽キャだったんですね。
参加者も、「パリピっぽいですねww」と盛り上がっていました。
(メンターお気に入りの高価な翻訳を読みに)「図書館行きたくなりました 」と言っていた参加者もいましたよ。