7年目に一歩
有ちゃんが還った日から、2023年1月12日でまる6年経ち、あの日生まれた悲しみは6歳になりました。
様々な場で、出会った方々に支えられて、立って歩けるようになっている現在です。
そして7年めがスタート。
(張り切り過ぎたか? イタイことになっていました)
命日に、有ちゃん在学当時の校長先生と、今現在の教頭先生(当時は教育委員会に属し、有ちゃんの事案では迅速に動いてくださった方)が、お二人で弔問予定でしたので、念の為に私は痛み止めを朝昼飲んで(^_^;)待機していました。
差し障りのない会話の大半の中、おもいきって私が上げた話題。
2016年9月に、校長先生も引率で行われた校外学習、ポルトガル大使館での記録。
by 有希(食レポだろ…)
☆そして班ごとの記念写真☆
有ちゃんはたまたま校長先生のとなりでパチリ☆
私のお気に入りの一枚です。
初めての三者面談のときに中学校の廊下に貼り出されていたこの写真を、目を細めて眺めていたものです。
本人の悩みも知らずに、親バカならぬバカ親の記録でもありますが…。
お気に入りの記念写真なのに見れなくなったもの、ご遺族の皆様にもたくさんあると思います。
今回の弔問で6回目になる当時の校長先生が、ネットでアップするのを承諾してくださったので解禁。ありがとうございます<(_ _)>
私のこころのお蔵入りからも、ついに☆解禁☆
先立った一年後の卒業アルバムにも載せてくださっていた写真なので、同学年だった子たちがアルバムを開いたときに、遠い記憶として思い出すこともあるでしょう。
なんだか申し訳ない気持ちにもなります。
でも今は、私個人としては心底有り難いと思っています。
どんなにショックで悲しい事であっても、経験していない子たちよりはこの先、生きていく社会で耳に入ることもある『自死』について、妙な偏見等持たずに想い考えていける大人になっていることを望むのです。
高校一年で、友人の一人を自死で亡くした私がそうであったように。
*
7年目にして、弔問時で話題に上げ、有ちゃんの食レポにそそられたせいもあり、妙に異国情緒溢れるお料理が食べたくなった私と主人は、こころのままに近所にある本格インド料理店へ🚘。
久々に食べ過ぎ、オペ後の創部が引っ張られるような痛みに襲われる羽目に!
_| ̄|○…這うように駐車場まで歩く…
主人も焦る。
そういえば、父が大腸癌の手術後暫くの間、食べた物が創部のあたりを通過するときが地獄の苦しみだった!と語っていたことがあります。
縫い合わせた内蔵部分が?、ある程度馴染んでくるまでに時間を要するのでしょうね。
(1月16日の診察で訊いてみよう(◎_◎;))
痛み…悼みを伴うこちらの記念写真も、まる6年見ることを拒んでいたのを思い出しました。
隣で、お姉ちゃんは20歳でした。
有ちゃんの振り袖も見たかったし、描いてあげたいと息巻いていた時もありましたが、いつの間にか、その姿にあまり執着していない自分に気づいたんです。
というかマジで20歳の有ちゃんなんて想像できない、無理にしなくていいよね、此の世では永遠の14歳だよね、みたいな。
人それぞれに違うと思いますが、想いも変化していきますね。
またある日突然描きたくなるかもしれない。
今――
この世での器を脱した彼女に贈りたい振り袖があるとすれば、それは――――
還って逝った日の、真冬の晴天をベースに、これからの私の歩みで描いていこうかな、と思っています。
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