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逆のものさし講新聞 「後世への手紙」

山田航平「無いから書くのです。」

2018.04.20 21:00

私たちは「何」によって己、個を認識できるのでしょう。鈴木大拙氏がこのように仰っております。

問うことは人間のみに与えられた特権です。

動物は問いを持たず、動物自身が実在であり、実在から分離されることは無いのです。この時点で禅僧たちは尋ねます。「すべてのブッタや祖師たちの師は誰か。これらの悟った人たちはどこで教える特権を得るのか」と。そして、自らの問いに答えます。「犬や猫から」と。(中略)私たちは人間の特権を使い、そして苦しみ動物たちが自分の師であると知るのです。そして、結局は自分自信が自分の師であると判断するのです。また、どうして自分たち自身を実在から分離し、それゆえに自ら苦悩するのかを知るのです。(中略)人生はまさに思考にほかならない。人間の特権は、苦しみ、また楽しみ、幸せを感じたり、不幸を嘆いたりで、これは動物にはないものです。

鈴木大拙氏が仰っていることが「真理」です。

私たちは「何」によって「何か」をどのように認識しているのでしょう。それは、人間の特権である思考によってでしょう。

では思考は何を前提に思考するのでしょう。

私はそれを「言葉」ないし「文字」によってだと感じております。

人間は「言葉」ないし「文字」によって苦しみ、楽しみ、幸せを感じ、不幸を嘆くと私は考えています。そして、動物にはそれがないからこそ「師」なのでしょう。そのままの実在だからです。

もし、人間から「言葉」や「文字」を無くしてしまえば、実在のままであり続けられるでしょうが、だからこそに「この世」には人間が必要なのでしょう。

いつも、明確にし、無いものを有ると感じられるのは人間の「特権」によるからです。

誰かが、「無いもの」を「書き」「言葉」にし続けなければ「この世に」森があり、海があり、日があり、人があり、命があり、「愛」が有るなんて気づきもしないことでしょう。

私たちは、「有る」ことにより「苦」を感じる

一方「有る」ことにより「愛」を感じることができるのです。

私たちは「そのためにも」「書く」のだと感じます。

なんて「この世」はこんなにも「美しい」のでしょう!

私は人間でよかったと実感できる瞬間です!