Living Hair Spring
グニュウ活動時期 ファンから
身内が亡くなって この歌詞の意味が急に見えた。
死生観の歌詞なんですね?
とファンレターが送られてきたことがあった。
”正解” と返信してあげた。
Living Hair Spring
*The thing can't live without the hairspring
They unwind the steel by degrees
Make the air quake minutely
Make the air quake minutely
ゼンマイなしでは生きていけない
鋼を少しずつほどきます
細かく空気を震わせる
命というものを 無機質なゼンマイで例えた歌詞。
きつくまかれたゼンマイが次第に緩まりまっすぐに戻っていき
その反動する力が失せて それが命の終わりに比喩した。
If they think an only person is real
They have nothing which perplexes
Nothing to be lost
This light with a spare
It's like being on trial
But everyone is tenacious
**The stick and faith. Say or Not\par
もし唯一の個性を現実だと考えるとしたら
当惑するだけで 何もありません。
この光にスペアがあると思えば(輪廻)
それは(命)お試し品ってこととなってしまう
しかし皆粘り強く 執着と信仰ははびこり、
そんな信仰を言うか言わずかだけで 皆同じ
命をとことん個のもの 個が有するものと考えるから
全体が見えてこない、命に代用品はないとか あえて言ったり
信仰はそれを ややこしくしてる。
Everytime. Where's the center of the whirlpool?
That's in the outside of the beginning
”永久的な 渦の中心はどこ?
それは始まりの外側にある”
宇宙の理は無から有が出現するわけでない。始点とおもわしき地点でも
その始点のための素地が必ずある。
個としての命を例えるとすれば
脳のシナプスで何かを考え感じた時に ぴぴっと一瞬はしった電気のような物
一つの記憶や思考が沸き起こる=個の生命の始まり
その記憶を忘れる=個の生命の終わり
実に部分的な活動を個とよび その源はその外側にあるという事
つまり個が認識する命の外側に生命の全体存在がある。
渦の中心は 個の命の起点 それは外にある。と歌でしめくくった部分
宇宙観 恒星間 宇宙空間に空気はないけど 明らかに何もないと判断するのは
愚の骨頂、物理的説明がつかないけどなにかあるとするしかないはずと考えれば
そこに命の母体があってもおかしくない。
ということを27歳の時にふと思って書いた歌詞