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参議院議員 赤池まさあき 日めくり

4月11日生誕祭 10月7日墓前祭 橋本左内

2018.04.21 07:47


 NHK大河ドラマ「西郷どん」が平成30年に放送されています。その中に福井藩医で藩主松平春嶽の意を呈して、江戸で西郷隆盛と交友する橋本左内(風間俊介)が登場します。


  橋本左内(天保5・1834年〜安政6・1859年)は、越前藩医橋本長綱の子に生まれ、大坂の緒方洪庵の適塾で医学を修得し、嘉永5年(1852)帰国。安政元年(1854)江戸に遊学し、藤田東湖、西郷隆盛らとも交友します。帰国後、父が逝去し18歳で藩医を継ぎます。書院番・藩校明道館学監同様心得(教授)などに取り立てられ、横井小楠を招くなど福井藩の藩政改革の中心となります。安政4年(1857)江戸に赴いて藩主松平慶永に侍講兼内用掛として仕え、14代将軍に一橋慶喜を擁すべく奔走しましたが、井伊直弼の大老就任により挫折。安政の大獄により江戸で斬首されてしまいます。享年26歳でした。号は景岳。 

 ・国会図書館編「近代日本人の肖像」  http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/313.html?cat=54


  橋本左内の洞察力は凄まじく、幕末時に国際情勢を展望して、鎖国の弊害、忠孝仁義の教えを固く守り、万国交易の必要性、国際連盟の創設、日英同盟、日露戦争を予見しています。そのための将軍継嗣や公武合体等の国内体制の改革を、朝廷や幕府、各藩に訴えたのでした。井伊大老に安政の大獄で死刑に追いやられた理由が、これだと言われています。幕府の重臣でさえ、井伊大老が橋本左内先生を死刑にしたことが倒幕の理由として十分だと言わしめたほどです。(平泉澄著『物語日本史』下P122)


●福井県での顕彰活動と今でも教育に活かされる 

 橋本左内先生顕彰会は橋本左内先生のご遺徳を顕彰し、合わせて郷土文化の振興に寄与することを目的に、昭和34年4月1日に発足しました。毎年、4月11日には生誕祭が春山2丁目常盤町の左内先生の育った生誕地で、10月7日には墓前祭が左内先生のお墓のある左内公園(墓前地)で、挙行されています。

  https://www.city.fukui.lg.jp/kyoiku/gakusyu/sgakusyu/kenshoukai.html  


 さらに福井県の各中学校で、郷土の英雄・橋本左内先生が15歳の元服(成人式)の時に記した「啓発録」の中にある「立志」に基づき、「啓発録」を学び、立志式や立志作文を実施していると聞いています。

  http://www.fukui-city.ed.jp/asuwa-j/fureai/fureai_gif/h22/fureai2011_03_01.pdf   

・「橋本左内先生に学ぶ」推進協力校について https://www.city.fukui.lg.jp/kyoiku/gakusyu/sgakusyu/suishinkyouryokukou.html#meido  

・橋本左内先生冊子作成について

 https://www.city.fukui.lg.jp/kyoiku/gakusyu/sgakusyu/sasshi.html  


 ●『啓発録』橋本左内著  

 橋本左内は、15歳の時の著書「啓発録」には、①幼心を去り、②気を振るい、③志を立て、④勉学し、⑤友を択べと書かれています。


 ①稚心を去る(去稚心)

 子どもじみた甘えを脱却せよ。 遊びにばかり熱中し、甘いものをむさぼり食い、毎日怠けて安楽に流れる。それも幼い子供のうちは強いて責めるほどのこともないが、学を志す十三、四にもなって、そんな気持ちが微塵でも残っていたなら、何をしても決して上達することはない。まして天下一流の大人物になることなど程遠い。 


 ②気を振う(振気)

 恥辱を知って、人に負けまいと強く決意せよ。  気とは、負けじ魂と、恥を知り、それをくやしく思う気象のことである。常にそうした心を持ち、その精神を奮い立たせ、緊張をゆるめず油断のないように努力しなければならない。


 ③志を立つ(立志)

 自分の目標を揺ぎなく定め、ひたすら精進せよ。  志とは自分の心が向う目標である。一度決心したからには、真直ぐにその方向を目指し、迷わず進まなければならない。聖賢豪傑になろうと決意したら、聖賢豪傑らしからぬところを日一日取り去っていけば、どんなに才能が足らず、学識の乏しい者でも、最後には聖賢豪傑の地位に到達できるはずである。また、志を立てる近道は、聖賢の考え方や歴史の書物を読んで、その中から深く心に響いた部分を抜書きし、壁に貼り付けたり、常用の扇にしたためておくなど、常に目に触れるところにおき、自分を省みることである。


 ④学に勉む(勉学)

 優れた人物の立派な行いを見習い、実行せよ。学とは、本を読んで知識を吸収することだと思われがちだが、それは間違いだ。学問とは、優れた先人の立派な行いに習い、自分も負けるものかと努力することであり、忠義の精神を養うことである。どのような立場になろうとも、私心を捨て、公のために貢献しなければならない。 次に勉とは、自己の力を出し尽くし、目的を達成するまではどこまでも続けるという意味である。何事によらず、強い意志を継続し、努力を続けなければ、事は成らない。


 ⑤交友を択ぶ(択交友)

 自分の向上につながる友を択(えら)べ。自分と交際してくれる友人は、皆大切にしなければならない。しかし、飲み食いや歓楽を共にするために付き合い、馴れ合うことはよいことではない。学問の講究、武芸の練習、志や精神の研究などの上で交わりを深めるべきである。堕落につながる交際を求める友人がいたら、正しい方向へ導くべきである。 また、自分の過ちを遠慮なく指摘してくれる友は、時に厄介(やっかい)なものではあるが、とても大切だ。厳格で意志が強く正しい。温和で人情厚く誠実である。勇気があって果断である。才知が冴え渡っている。小事にとらわれず度量が広い。この五点を目安に友人を見定めればよい。小人は、他人にへつらい媚(こ)び、小利口で落ち着きがなく、軽々しくいい加減なものであるが、すぐに心安くなれるので、世間では人柄がほめられたりするものである。しかし、聖賢を目指そうと志す者は、彼らとは違った厳しい目を持たねばならない。  ・『啓発録』全文 http://www.j-texts.com/kinsei/keihatu.html