1995阪神大震災後原稿「新しい神社像創成への期待」
今日は、阪神大震災の日です。そのとき、造園学会としての被災実態調査チームに参加し、神社空間を担当しました。私自身も神主家系なので、その縁も感じながら。で、下記のような原稿を書きました。せっかくなので、神社新報に提出した原稿を紹介しておきます。実際掲載されたものは、仮名遣いなど直されていましたが、原稿の方が読みやすいのでこちらをば。あと、学会発表のOHPを画像で載せておきます。当時なので写真は直貼りだったみたいで、データになくすみません。写真はネガなので、デジタル化してあるかなー。うう。
近藤隆二郎(1995): 新しい神社像創成への期待, 神社新報. 1995.11.6.
近藤隆二郎(1995): 14その他のオープンスペースの被災実態(5)神社境内,(社)日本造園学会阪神大震災調査特別委員会編「公園緑地等に関する阪神大震災緊急調査報告書」, 45-49.
近藤隆二郎(1995): 阪神大震災における被害・利用実態をふまえた神社空間のあり方に関する考察, 土木計画学研究・講演集No.18(2), 605-608.
新しい神社像創成への期待
神社空間の被害・利用実態
今年1月に起きた阪神淡路大震災に関して、神社を取り上げた調査が耳に入ってこなかったため、現地の状況を考慮しつつ私は3月4日~6日、50ccバイクを駆って被災地区の53神社を調査した。神社空間の被害実態と被災時の神社空間の利用形態、現在のコミュニティにおける神社像などを把握するためである。
参道空間にある燈篭、狛犬といった石造物はほとんどが倒壊した。とくに小規模の神社では参道が倒壊石造物で埋まり、通行や参拝が不可能かつ危険な空間となった。重い石造物は復旧の障害にもなった。社殿空間にある手水舎などは、屋根を細い柱で支える構造であるために容易に倒壊し、本殿および拝殿も重い屋根を支えきれずにペシャンコになる被害が多く見られた。目をそむけたくなる光景だった。鉄筋コンクリート造の社殿などは被害が小さかった模様。併設される神楽殿や社務所なども同様の被害を受けた。摂社・末社といった小祠は転げ落ちる被害が多かったが、境内の樹木はほとんど被害を受けなかった。つまり、神社空間の被害の中心は、石造物と古い建築構造物であり、自然要素の被災は少なかった。
被災時の利用は、(ア)短期的避難所(余震からの避難)、(イ)長期的避難所(滞在型避難所として)、(ウ)救援拠点、(エ)水の提供(湧き水・井戸・手水舎)、(オ)安心感の提供(清浄な空気・参拝)、(カ)空間の提供(遺体安置所・駐車場・洗濯干し場など)、などに分類でき、多様な利用形態を確認した。
現地調査より、神社空間が震災時に利用された条件を次のようにまとめた。
①空間(余地)の存在…小さな神社では石造倒壊物が充満して利用できない場合が多かった。逆に、ある程度の空間規模を持つ神社空間は、倒壊物を避けることにより利用が可能となった。
②自然的要素の存在…湧水や鎮守の森といった自然的要素の存在が、多種多様な利用を促進した。石造物と建築物だけでは利用形態が偏っていたと推測される。
③頑強な社会的施設の存在…滞在型避難所として利用されたのは、氏子会館・結婚式場のような強固な建造物であると同時に、宗教的施設というよりは社会的施設である。鉄筋コンクリート造であっても、拝殿などが避難所として利用されることはなかったと思われる。
④日常的利用者の認知…参拝や祭祀、散歩などで神社に対して日頃接していた近隣住民は、境内の規模や自然条件について認知度が高く、緊急避難先や水などを求めて集まったと思われる。
さらに、今後の神社空間デザインへの視点として次の3点が挙げられる。
危険性の排除・低減…「今後、石造の鳥居などは近隣住民の不安感からも不可能になるのでは。」という声も神職から聞かれたが、少なくとも石造物を限られた空間に詰め込むことは見直されるべきであろう。
自然的要素の保全管理…被害が微小であったことからも、多様な利用を担保する自然的要素の保全が望まれる。従来より鎮守の森は、自然界の多様な生物相の種を保存できる場として重視されてきたが、サバイバル的な状況が浮上した際の人間にとっても、精神的にも生物的にも有益であった。
プロポーションの導入…以上より、神社の空間構成にプロポーション概念の導入を唱えたい。小規模な神社と大規模な神社とがほぼ同じ規模・量の建築物や石造物を持つことは、小規模の神社空間の危険性を高める。規模に応じて、自然要素と人工物要素の比率にある程度の割合(プロポーション)が共有化していれば、小神社は建築物や石造物の規模は小さくなるものの、小さく豊かな森や空間余地をそれなりに確保できる。
現在、復興事業の区画整理等でいくつかの神社が合祀等の切迫した状況に直面していることに危惧を覚える。同時に、神社の復興は復旧が第一とされているが、さらに進めて震災時の体験をふまえ、次世代の神社像を提案してもよいのではないか。前述の提言および現在のまちづくりの方向性をふまえつつこれからの神社像を私なりに考えてみたい。
新たな神社像の模索
もともと神社は神雛(ヒモロギ)や磐境(イワサカ)といった自然要素への信仰空間が起源とされている。このことから考えても、強固な鉄筋コンクリート造という方向だけではない神社空間のあり方も探るべきであろう。極論を言えば神社は御柱だけでよいのではないかという意見もある。象徴好きの日本人にとって、神社は自然のカミとヒトとをつなぐ媒介=情報装置であったと言える。建築様式よりはその媒介様式(伝達手法)を重視したい。
また、神社空間はもともと複合空間であり、集落と多様な関係を育んでいた。その複合的な価値は、①変わらないものとしての価値<歴史性>、②自然地としての価値<自然性>、③オープンスペースとしての価値<空間性>、④聖空間としての価値+コミュニティ<人間性>、と挙げることができる。墨田区で雨水桶と地蔵が複合して「路地尊」として再生したように、神社の保持していた複合性を現在のコミュニティの文脈で再生することが必要である。一つの価値に偏ることも考えられる。人間性に偏れば高齢者施設やコミュニティ施設などとの複合が考えられる。もちろん宗教空間との境界は必要であるが。また、自然性に偏れば、自然への畏敬を伝達する空間+自然生態系を再現する小空間(ビオトープ)としての神社=「ビオ神社(Bio Shrine)」などが考えられる。この一例が山形県朝日町の「空気神社」であろう。このような新しい意味を創造していくためには、神社の専門用語を共感しやすく「翻訳」することが重要であると共に、氏子とは別に、神社の新しい運営方法を語り合える柔軟な支援組織を、地縁を問わずに市民に開放して持つことが求められる。俗語的に言えばファンクラブ・サポーターであり、世代を超えた意見や外部からのまなざしが日常的には気づくことがない新しい価値を掘り起こすことが多い。神社という肩書を取ってしまえば、神社空間とは、空間+豊かな自然+歴史+運営組織、という地域づくりの核になりうる潜在力を秘めている。震災時に仮設された神社を場とするコミュニティは、そのような新しい支援組織の萌芽としてもとらえることができよう。今後の展開に注目したい。
複合性の再生と共に、神社自身が情報を鋭敏に発信・受信するしかけを持つことが重要である。「空気神社」が朝日町エコミュージアム(地域の人々の生活と環境を守り育てる博物館)の衛星施設として位置づけられているように、神社は地域の歴史文化を継承・伝達する役割をも期待されている。既に活動しているという神社も多かろうが、一般の人々には見えにくい。現在、各地で「小さな博物館」が設置されつつあるが、そこでは館長としての市民が自宅あるいは作業場を開放して訪問者に対して「わざ」や「コレクション」を説明する、体験させるといった交流システムがまちかどで生まれている。一方向なサービスではなく、館長側も訪問者から多くの情報や反応を得ることで本来の仕事や趣味にフィードバックさせるという双方向の効果も見られる。核となる歴史伝統をしっかり持ちながら、時代に合わせた柔軟性をも併せ持つことが「元気な」神社の条件ではないか。
以前私は、大阪の上町台地で複数の寺社を選別連続化して「太陽への巡礼」という特殊化した意味を歴史から掘り起こして市民に体験させたまち巡りイベントを企画実施した。非日常化するコンセプト時空における体験は神社空間の潜在力を引き出すと共に参加者との交流の中でコンセプトが補強されるフィードバックを確認した。新しい意味は旧来の意味を隠すのではなく、むしろ明示させる。地域における神職の役割も問われる時代だと思う。