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世界中の2000万箇所の『家』ミュージアムで展開される無名のミニマルアーツ

2018.04.20 09:28

SMAILE:Social Movement of Arts with International Literacy in Environment

世界中の2000万箇所の『家』ミュージアムで展開される無名のミニマルアーツ


世界中の2000万箇所の『家』ミュージアムで展開される

世界の『家』(アッサンブラージュ)ミュージアムプロジェクト



スマイルプロジェクト共同藝術運動


今後数十年間で、人々の心の中に地球規模の意識が出現するであろう。その本質や大きさは今のところ分からないが、やがて世界は距離がなくなり、クラウド・シンキングのその新たな意識は、私たちに論理的な結論をもたらすだけでなく、他の人々のタスク(行動)を通じて、世界中で群発的に発生する。「スマイル」という共同芸術運動は別に誰かが「そうしよう」と決めるわけでもないし、主導するような社会理論があったわけでもない。集団的な叡智が発動するときというのはそういうものである。

今後、世界中の紛争地区や被災地区で群発的に「スタンド」がわき起こる。世界の構築に参加する諸々の主体からなる多様体のなかで共有し、特異的形象を発明する。これが「芸術」のシンギュラリティである。「芸術」は、スタティックな、モニュメンタルな造形を想像することではなく、スタンドと化した構想的プロセスのことである。STAND 3.0はこの文脈において、言語表現やシーニュではなく、潜勢力であり「芸術」なのである。

このリ・コンシャスースマイルプロジェクトの作品はアートとコモディティの統合表現として、現代アートの領域にこだわらず、商業ディスプレイやデジタル・サイネージなどのBtoBの領域へ障がい者によるアール・ブリュットを持続可能なアーツ・アンド・クラフツとしてアプローチを展開している。そしてコスト意識を持って市場展開を図ることにより、障がい者を中心とした人々の手による、アップサイクルで持続可能な「小芸術」=コモディティを持続可能なキャッシュフォーワークの事業として取り組んでいる。疲弊地区に集まって居住する障がい者やスラッカーの雇用を促進し、生活を再生させていく。家電製品を修理して再利用する割合を高め環境問題に寄与する。このリ・コンシャスでアップサイクルなアーツ・アンド・クラフツとは、スラッカーとプリミティブが合流する点、あるいは区別されない点のことだ。21世紀の芸術を変えるのは、アカデミーのアート教育を受けたアーチストと言われる人々ではなく、アール・ブリュットの感性により、今まで通りの常識や発想ではなく、何ものにもとらわれず、何かを創造できる無名の人間なのである。

私たち全ての人間が芸術家なのです。アカデミーやカウンシルにおける権威などなんの意味も持たない。

究極的には世界中の多くの〝無名な人々〟が〝自己学習〟により、自足的に「ミュージアム」を構えることを理想とするのである。つまり、SMAILEという共同藝術運動の本質は初発的には『家』ミュージアムの形象にある。

「学習」とは、教えられることではなく、「能力」から選択すること。いいかえれば、組み込まれていない「能力」は出てこないという制約がある。「教育』によって『アート』を得るのではなく、すべての人間は生まれもって芸術家であり『アート』が「デフォルト」なのである。

いまや、アートを学べる情報・映像が過去から現在のものまで時間性・距離性を超えて広く安価に世間に行き渡ってきており、何が悲しくて、アカデミーに美術の偏見を植え付けられ、美意識を窒息させられる必要があろうか。タブレットとグーグルさえあれば距離性・時間性を超えて世界中のあらゆる情報世界を縦横無尽に駆け巡ることができる。

つまり、美術アカデミーやカウンシルなどは無いのが最高であり、教師も不要である。ルドルフ・シュタイナーは言う、良い教師とは空気のごとしと。つまり、「芸術」とは、人間の自己学習アルゴリズムのことなのである。

究極的には世界中の多くの〝無名な人々〟が〝自己学習〟により、自足的に「ミュージアム」を構えることを理想とするのである。

そして、ショークの「小芸術」=コモディティは美術館やギャラリーとかじゃなくて、小さなスペースの「家」に分散して展示されて行く。「世界を変える家」という壮大な芸術アプローチである。地球規模での〝芸術の再構築〟の観点から、初発的に「家」の形象を全ての始まりにするべきという考え方だ。ショークの「小芸術」=コモディティは、都市や国家という地理的概念を超えたリージョンというオルタナティブなレイヤー=領域において、無数のアッセンブリーを構成し、社会の細部に至るまで重要な意味を持つ〝境界なきアート〟だとも言える。