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鬱の事に関して,もっと知ろう。今は心を病んでいる人達が沢山いる時代。

最近若い子の自殺率が増えてきている様な気がします。自殺の大半は親からのしつけと言う名目の教育虐待や幼稚園・小・中・高校での部活や学校の周りの子達からの苛めが大半である。

2023.01.20 11:35

どうもこんにちはブログ更新です

最近色々と思う事があります。

テレビやネットのニュース等をよく見るのですが両親や兄妹姉妹も含め幼稚園児から小学校・中学校・高校等で様々な所で虐待や苛めががあちこちで続発しています。両親からも虐待されて育って来た子も多くいるし兄妹・姉妹間でも苛めが起こっています。それだけでは無く教師が生徒に対して指導と言う名目で虐待しているんですよ、おまけに理不尽な校則にしばられて学校を窮屈に感じている学生も数多くおります。

信じられますか?昔の昭和の時代だったら確かにある程度の体罰はある程度黙認されてきました。

自分も小・中・高と教師に叩かれて育って来た世代でもあり体罰は半ば黙認されて来た時代でもあります。しかし今は昭和処か平成を飛び越えて令和の時代ですからそれなのにいまだに昭和の価値観に囚われている先生や教師が数多くおります。

幼稚園児に対しても幼稚園の先生が園児に対して頭や尻を叩いたりしているんですよ。

小学校でも中学生や高校生等男女を問わず男子女子生徒達に対して教師やクラスメートから暴言を吐き周りのクラスメートからも酷い苛めを受けている子も沢山いて苛め被害に遭っている子もいると思います。

そもそも苛めの本質は何かと言うと異質な物を排除したいと言う気持ちからききます。

異質な人間は、良く親の仕事上の関係で他の学校に転校せざるを得ない状況もありますが転校してきてしばらくしてから転校先の学校で回りのクラスメートから苛めを受ける事がありますがそれも余所者を排除したいと言う感情があるからこそ苛めは起こるのだと思います。何処かの辺鄙で閉鎖的な集落や村や町なんかも余所者を嫌う傾向がある様です。

どちらにせよ

それこそ生徒の人格や人間性迄否定される様な事ばかり散々言われてしまったらどんなに強靭なメンタル(精神力の事)やレジリエンス(回復力の事)があってもいつか必ず骨が折れるみたいに心が折れてどんどん自尊心や自己肯定感が低くなり何をやるにも自信の持てない人間になって仕舞います。

最悪自分は生きる価値は無いと思い込んで自ら死を選んでしまう事もあります。

又体育会系の部活ではコーチや監督に実際に思いっ切りそれもグーで殴られた事もあると話で聞いたことがあります。特に体育会系の部活では俗に言うブラック部活化して要る事も事もありコーチや監督の指導が熱血しすぎていつの間にか指導が虐待になって仕舞っていた事も少なくありません。

小・中・高校はクラスがそれぞれにあってクラス事に担任の教師が受け持つ事があります。

ランダムにそれぞれのクラスに入れられるのですからクラスの中には気の合う人と気の合わない人も居るかもれません、

やがて気の合わない人から嫌がらせや物を隠されたり机に簡単に水で消えない油脂マーカーで死ねとか書かれたりするので、クラス内での苛めに拠る自殺も多くなってきております。

私は相手を自殺にまで追い込む事は間接的な殺人だと私は思っており苛め加害者を殺人罪で犯罪として逮捕し厳罰化するべきだと思います。

いじめにあっている被害者を自殺に迄追いこんでいるんですよ。例え直接手を下しては居なくてもこれはもういじめ自殺は苛め加害者に拠る間接的な殺人です、明らかに犯罪として捉えて苛め加害者を逮捕すべきだと思います。去年か一昨年に起きた元プロレスラーの木村花さんの自殺もSNSでの誹謗中傷が原因で自ら死を選択してしましまいましたが、SNSの誹謗中傷は直接声に出すより文章の方が余程ダメージが大きい物何です。

一度誹謗中傷の文章をSNSに投稿したらもう取り返しがつかない事を誰もが薄々気づいているはずなんだと私は思います。それでも、薄々気づいていながらも木村花さんと言う一人の女性を誹謗中傷と言う文章を使って大勢で寄ってたかって制裁・私刑(リンチ)を行ったも同然です。

しかも自分には絶対に攻撃が当たらない物陰に隠れながら相手に対して石をぶつけている様な物だと思います。誹謗中傷の文章をSNSに投稿した人を人一人を自殺に追い込んでいるんですから死刑とはいかなくても投稿した人を特定し何らかの重い処罰をうけさせるべきだと私は思います。

どちらにしろ生徒を自殺に追い込む様な学校や部活は廃部や廃校にした方がまだましなような気もするし

学校の教師も教員試験に合格するだけで教員免許を与えただけで教師になれる制度は少し考えなおし方が良いのかもしれません。

本当に教師になりたいと思うならばしっかりした理性やモラルのある人を教師にすべきだし人選に慎重にすべきだと思います。

その為にはその教師志望の人がどの様な人格を持っているか。様々な心理テストやあらゆる心理検査等を行う事を最初に受ける事を義務化しそれにパスした物だけが筆記試験等をして合格しそして最終的に直接面接を行った上でそれにパスした物にだけに教員免許を交付する制度にすべきだと私は思います。

そして人格的に教師不適格と判断したら教員免許の試験を受ける資格さえ無いと私は思います。

人格的に教師不適格と判断したら教員免許等与えない方がまだ学校がよくなる気もします。

そもそも男子女子生徒を問わず生徒が自ら自殺してしまう様な学校は生徒が自殺した事を世間に隠す事も珍しくありません。学校の評判が堕ち入学希望者達が減る事を恐れるからです。

当然自殺に迄追い込んだ生徒の親御さんは学校に抗議しますが、あれこれ言い訳がましくのらりくらりと言い包められて結局親御さんの方が泣き寝入りするケースが数多くあります。

そもそも生徒を自殺に追い込む様な学校は即刻廃校にすべきだと思います。

今の苛めと言うのは、分かりやすい殴ったりけり飛ばしたりす様な物では無く非常に陰湿かつ狡猾な手口になってきております。時には暴力を恐れて半ば強制的に万引をさせられる生徒や暴力に屈し親の財布から金取ってこいとかと脅されて取ってこなければ又ぼこぼこに殴られたいのか?暴力に屈して仕方なく親の財布から一万二万と掠め取ってしまう子もいます、(コンビニで万引し様が親の財布から金を掠め取ろうが、どちらにしても窃盗罪が成立しますやってる事は泥棒と同じだと思います)その様に例え自分の本意ではなくとも悪い事をしてしまったと言う罪悪感が生まれそれを一生自責の念を抱えて生きて行かなくてはなりません。そして自分をせめて仕舞いいたたまれなくなって真面目で優しく繊細な子程自ら自死を選んでしまう子もいます。

つまり今の苛めは最早犯罪に直結して居るのが現状の苛めの実態何です。

これからなろうと思えば何にでもなれる可能性が自殺と言う行為によってその子のすべての可能性が永遠に失われてしまったんですよ。学校の教師に自殺してしまった生徒の親御さんに対して責任が取れるんですか?。ある程度纏まった賠償金や慰謝料を払った処で、一度失った命はもう二度と取り戻す事は出来ないんですよ。

いっそそんな自殺に追い込む様なそんな学校ならむしろ学校に行かずに、

むしろ両親や兄妹が何を如何言おうとも部屋に鍵をかけて引きこもってでも生きていて欲しいと私は思います。

なんで学校に行かないの?と親御さんは不思議で理解出来ないかもしれませんが学校に行かないのではなく学校が怖くていけないのです。何故なら学校に行けば苛めっ子達に又苛められるし、かえって苛めがより過激・苛烈さが増すかもしれません。

五体満足で病気もせず健康に生きてさえいればいろんな可能性があるんですから。

そもそも、苛めが蔓延している状態でありながら、ましてや.

い苛め自殺まで実際に起こっている事を世間から隠そうとする様な学校に存在価値はあるのか?

今ではネットを使って様々な知識を仕入れられるようになった以上

最早学校の存在意義は薄れつつあります。

知識だけを仕入れたいのならばグーグルやユーチューブ等の動画で幾らでも知識を仕入れる事が出来る様になった今、学校の役目は終わりを迎えつつあります。学校幾つかの、オンラインの学校も段々増えてきて段々認知されつつあります。オンラインの高校ではN高等学校・S高等学校 (通信制高校 広域・単位制)が有名で如何しても高校卒業資格を取りたいならばこう行ったオンライン高校に入学・転入出来るのならば転入するのもありだと思いますし大学卒業資格を得たいならば日本中に様々な社会人大学や通信制の放送大学 - 大学生を諦めない――放送大学はあなたを応援しています。や通信制大学| サイバー大学を検討しても良いのかと思います。生きてさえいれば色々旨い抜け道等幾らでもありますから自棄にならずに自ら自死を選ぶ事だけはよしてください

それでも学校に通う意義があるとすれば、

本来は学校と言う存在は学生達が安心して勉学に励み友達うを作り楽しく様々な事を学べる場所を

提供するのが本来学校が生徒達にその様な価値を提供してあげるのが学校の役目であり存在意義があると思って居ます。しかしただ勉強の場を与えるだけではなく友達を作る事や毎年開かれる体育祭・文化祭等同級生と一緒に何かをやりとやり遂げる事も生徒達とっても大きな学びになるし学校は小・中学や高校の最後の年には修学旅行等もありますから!

その時に仲良くなった友達と写真等を取ったり両親にお土産を買ったり等一生心に残る思い出を作って欲しいと思います。10代20代の学生の時は、まだまだ遊びたい時期なのかもしれません、

しかし何時までも10代20代でいられる訳ではありません。10代20代は長い様で短くもあります。

いつの間にか、あっという間に時がたっていきます。それも年を取れば取る程、時間の流れが速く感じられて行く物です。その貴重な若い10代20代の時期を思う存分青春を謳歌して頂きたいと思います。

若いと言うのはそれだけで価値のある存在です。その若い時代はあなたたちが考えているよりもはるかに短い期間ですよ、その若い期間を無為に過ごさないで戴きたいと私は思っております。

つまり学校は一生心に残る思い出を作るに相応しい所でなければならないと自分は思っております。


しかし残念ながら学校の機能が正常に機能していない学校が数多くあるのも又事実であり

更に女子生徒に対しては男子教師からの性暴力等もあると聞きます。

学校の男性教師も女子生徒に対して性の対象とでしか見られ無いのかもしれせん。

今の女子生徒は例え化粧等しなくても、すっぴんのままでも十分にかわいい子が多いので女子生徒に対して欲情してまう気持ちはわかりますが、そこは理性で押さえる事が出来るのが教師なのでは無いのですか?

逆に女子生徒の方から男子教師を誘惑したり性に興味深々な性欲の強い女子生徒もいます。

がやはりそこは理性を働かせないと教師と生徒の立場をを弁えて理性で押さえる事が出来ない人は取り返しのつかない事になるかもしれないんですよ。


余り不細工な顔とかデブな女子等は見かけなくなりましたが、殆どの女子生徒はスッピンのままでも十分にモデルとしてやっていけるのでは無いのか?思いますよ。

先生から謂れのない理不尽な暴言を吐かれたり殴られたりしたらもう完全に虐待であり性暴力も、いやがっている女子生徒に対して無理やりやられるのですから完全に強姦罪に相当します、それでも、抵抗出来ない訴える事の出来ない理由は教師は内申書と言う切り札を持っているからです。女子生徒に取ってみれば拒めば、内申書にどの様に書かれるかそれが怖い為嫌々ながらも受け入れてしまう子もいます。

内申書の内容によっては進学出来ないかもしれない。

その事を恐れてやられるままになって泣き寝入りして仕舞う子もいます。

その為に望まない妊娠をしてしまいおろすか産むかの究極の2択の決断を迫られます。

学校での性暴力の現実とその実態を漫画コミックスにしたものがあり全部で6巻で完結しますが学校の中でこの様な事が現実に起こっていると言う事を痛烈に実感させられる漫画でした。

自分も読んで見ましたからコミックスになって要るだけあって真実味があってリアルさがあります。気になる方が今したらぜひ購入して見てもよろしいのでは無いでしょうか。お金に余裕のある人なら全6巻まとめて大人買いしても良いかもしれません。

果たして苛めや虐待・性暴力をなくす事はできるのか?と言うとおそらく私は無理だと思います。

何故なら相手に対して苛めをする事自体が既に楽しい行為であり快楽や娯楽に代わって仕舞ている可能性があるからです

一時苛めや虐待ははもうやめようと思って居ても覚せい剤中毒見たく禁断症状がでてまた弱い人を見つけは苛めを繰り返します。虐待も同じ理屈です。弱い人間を虐待したいと言う衝動が抑えきれなくなって又別の弱い人を見つけては虐待したくなってくるんですよ、これに中毒と言う名がつくなら苛め中毒・虐待中毒と呼ぶべきものかもしれません。

苛めや虐待が中毒化している以上もう本人の意思の力だけで苛めや虐待を止める事は難しくある種の脳の病気か何らかの精神疾患の可能性があり脳外科もしくは精神科医に受信させる方が余程懸命な判断だと思います。


当時まだ小学6年生だった当時10歳の栗原心愛(みあ)さんの児童虐待死事件の記事を引用します。

当時まだ小学6年生だった栗原心愛(みあ)ちゃんの児童虐待死事件の事を覚えている方は居るでしょうか?何年か前に起こった事件なので覚えているか方も多いと思います。
その事件は実の父親から虐待を受けていた様です。
その凄惨さに多くの人が衝撃を受けた千葉県野田市の栗原心愛(みあ)さん虐待死事件。懲役16年の実刑判決を出された、父親の勇一郎被告はどのような人物なのか。事件の背景や裁判の様子を取材したAERA 2020年3月30日号の記事を紹介する。
「被告を懲役16年とする」  3月19日午前11時過ぎ、千葉地裁201号法廷。裁判長の判決言い渡しを、証言台に立った栗原勇一郎被告(42)は身じろぎせず聞いた後、一礼して自席へ戻った。  千葉県野田市で2019年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん(当時10歳)が死亡した事件。心愛さんを虐待死させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告に対し、千葉地裁は懲役16年(求刑同18年)の実刑判決を言い渡した。  黒のスーツに青のネクタイ、めがねを身につけた勇一郎被告は、判決理由が朗読される約1時間、まっすぐ前を見たまま。表情を変えることなく淡々とした様子で聞いていた。  懲役16年は児童虐待事件としては異例だ。過去、同種の虐待事件では10年前後の判決が多く、東京都目黒区で5歳の女の子が虐待を受け死亡した事件では昨年、東京地裁が父親に懲役13年を言い渡した。今回の判決は、勇一郎被告が心愛さんに食事や十分な睡眠を与えず、冬に冷水シャワーを浴びせるなど「もはや虐待の言葉では表現できず、拷問、弄り殺し」と強く訴えた検察側の主張に沿った量刑となった。もちろん、その罪を考えれば、どんな量刑も見合うものではないのだが。  しかしなぜ、尋常では考えられないほど凄惨で非道な事件が起きたのか。 「典型的な虐待加害者による事件です」  DV被害者の支援団体「エープラス」代表理事で、多くの虐待加害者とも関わってきた吉祥(よしざき)眞佐緒さん(50)は言う。 「まず、外面がいいのが虐待加害者の特徴。その一方で家庭では自己中心的。この家は俺の家で、俺を中心に回っていると考えているからです」
吉祥さんは6日の被告人質問を傍聴したが、被告の自己弁護に終始した発言が印象に残った。この日は心愛さんの死亡当日の様子について被告への質問が続いた。検察官から、心愛さんに食事を与えなかったことなど虐待の詳細について踏み込んで質問されると、被告は「覚えていない」と繰り返し、亡くなる2日前から風呂場に立たせ続けたことについては「心愛が自分から『立っている』と言ったので」と自己弁護を繰り返した。 「虐待加害者は『覚えていない』と言えば、それ以上追及されることはないとわかっています。一方で、認めたら自分の人生が台無しになるとわかっているので、全力で否定してきます」(吉祥さん)  被告は法廷で何度も「ごめんなさい」と謝ったが、これも虐待加害者に共通の行為だという。 「謝れば許されるという経験を何度もしているからです。謝ることで今までの事をなかったことにしてもらう。ゲームのリセットボタンを押す様な感じです。逆に、『謝っている自分は偉い』と考えていると思います」(同)  それも、自分の方こそ被害者という意識があるからだと、吉祥さんは話す。 「心愛さんが亡くなったのも、心愛さん自身に原因があったと考えているのではないでしょうか。心愛さんを立たせたのも押さえつけたのも、したくなかったのにさせられたという被害者意識です。それなのに自分は犯人に仕立てられ、逮捕された。そんな俺ってかわいそう、という思いです。だから、よく泣きます。法廷で被告が流した涙は、自分がかわいそうと思って流す涙でしょう」  勇一郎被告の暴力性、残虐性はどこからきたのか。吉祥さんは言う。 「勇一郎被告が育った家庭もまた、父親の権限・権力さらに威圧的で父が強かったという報告があり、家では男である自分が王様だと刷り込まれていったのではないか。そんな歪んだ価値観の虐待の連鎖が起きたのではないかと思います」 (編集部・野村昌二)

今回の事件も加害者の父親の頭は相当に認知が歪み切ってる事は疑い様も無く既に虐待加害者の父親も虐待する事自体が楽しくて既に快楽になっていたのかもしれませんし

父親が心愛さんに対して虐待してしまった事も自分の罪に向き合えずに自分に取っての理想的な

妄想・夢の中で生きている様な気がします。要はこの父親は自分のしてしまった事に対して責任を取る処か責任の取れない男だと思います

簡単に言えば現実逃避している様にも見えます。

これでは命を落とした心愛さんが浮かばれません。

私は基本的に死刑は反対の立場を取って居ますがこの虐待加害者の父親に関しては別です。

実質虐待と言うより完全に拷問を受けて弄り殺された様な物です。

更に一番許せないと思う事は、心愛さんを自分の手で虐待死させておきながら虐待させられたと言う被害者意識を持っている事です。心愛さんの死についても心愛さん自身の所為にしてる事にも一番腹が立ってきます。おそらくこの父親は死ぬまで自分は悪くないと思い込んでいるでしょうね。

この父親にとって心愛さんと言う存在は遠慮なく容赦なく虐待出来る玩具(おもちゃ)にしかすぎなかったのかもしれません。

小さい女の子を虐待死させ小さな少女の命を弄んだこの父親は人間の心を等一切無い最早人間の姿をしているだけのただの獣・怪物で理性の欠片も無い凶悪かつ凶暴なモンスターと言う裏の本性を持ってますよ。

心愛さんの死はこの男に取っては容赦なく残虐に虐待出来る玩具(おもちゃ)が壊れてしまっただけにすぎません。

だから心愛さんの死を切っ掛けに又抵抗出来ないちいさな子供をみつけに又新しい玩具(おもちゃ)を探しに行きますよ。

こんな卑怯極まり男を生かして置いたら出所したとき又同じ事件を起こしますよ。

刑期16年では温過ぎると思っています。それでも最低でも16年は刑務所に服役しなければならないのは確実ですから。

しかも刑務所に服役している間はあくまでも刑務所の中では真面目を装い真面目に刑務に励み模範囚を演じ良い人の演技を出所する迄演じ続けるかもしれません。そうなれば彼の名演技に刑務官はすっかり騙されて10年くらいで仮出所してくるかもしれません。

こんな人の皮を被った獣に生かしておく価値が無いどころか、

この父親を生かすだけで新たな犠牲者がが出て来る可能性があります。

もしこの男を生かせば又弱い抵抗出来ない虐待出来そうな弱い人間、新しい玩具(おもちゃ)をまた探そうとして見つけたら又同じ事を繰り返します。

この男にとって小さい子供や弱い抵抗出来ない人間は思う存分に遠路なく容赦のない虐待出来る獲物であり自分の玩具(おもちゃ)でしか無いのでしょう。

この男を生かして置いたらまた同じ様な事件を起こすかもしれません。

だってこの男に取って小さい子供や抵抗できない人間を虐待する事は既に楽しさ・快感に変わって要るんですから

だからこそ例え強引と言われようともこの父親に責任を取らせる唯一の手段は、自分の命を持ってして償う死刑が妥当だと私は思います。

この父親は生かしておく価値も無ければ生きる資格も無いと断言出来ます。

この男は真正のサディストであり根底からのいじめっ子気質でありサイコパスです。

心底性根から腐りきった男だと私は思います。

そして今の令和の時代はより凶悪な犯罪が段々多くなってきている様な気もします。

その原因は余りにもずる賢い大人達が増えて来た所為でもあります。

もちろん大人の中には誠実で優しい思いやりのある大人も沢山居るのですが、全ての大人がずる賢い人ばかりでは無いと言う事だけは知ってもらいたいと思います。

大人の中には本当に信用出来る大人が居る事も又事実である事に間違いは無いのですから!

しかし

子供や生徒はとっくに大人達のずる賢さ狡猾さ等とっくに見抜いていますよ。そんな大人達に幻滅しているかもしれません。大人を信用出来なくなってきているのも無理の無い事なのかもしれません。

でもそうさせたしまったのは、私達自分も含めて大人の責任だと私は考えます。

大人達こそ襟を正して全うに誠実で優しく思いやりのある人間として生きている姿を子供達に見せてやれば自然に子供の方も少しずつ変わってきます。

まず大人の方が先に変わるのが子供を変える為の唯一の方法だと思います。

前のブログでも書きましたがどんなに聖人君子・品行方正を装っていても頭の中には常に邪悪の種が頭の中に常にあるのだという事を常に意識して貰いたいと思います。

しかし同時に人間は理性と言う物を同時に備えてもいるのです。

普段はその理性でしてはいけない事、やってはいけない事を理性を働かせて抑える事が出来ます。

もしその理性と言う物が完全に外れてしまったらこの世は人間の欲望と本能だけで生きるだけの獣の世界になって仕舞うかもしれません。

完全に強い人間は生き残り弱い人間はさらに淘汰されていく時代がくるかもしれません、

結局人間社会も。動物の世界にある様な弱肉強食の時代になって仕舞うのではないのでしょうか?

と私は思います。

今の世の中を見ているとますますより凶悪でかつ巧妙な手口で金等金品を騙して奪い取ったりどんどん巧妙で悪質な犯罪が多くなってきていると思います。僅かなはした金の為に殺人まで犯す人も今では、そう珍しい事では無くなりました。

そして人々を見ていると少しずつ人間の理性が弱まってきている様な気がします。

先ほど上にあげた学校で苛め自殺にしても弱い人間を虐めたいと言う衝動が理性で押さえる事が出来なくなって来ているのかもしれません。

それこそが人間の理性が弱まっている事の結果なのかもしれません。

今回は以上となります

最後まで読んで頂き滝感謝します。

本間義昌でした