読む時間。書く時間。(2023.1.19)
確かに、本を読む。活字を読む。そんな時間は・・・ない方も多い時代だ。
YouTubeのような動画配信サイト、SNS で流れる膨大な情報。
それだけで良い。のかもしれない。
しかし、その多くがその日、その時で消費される情報であり、エンタメに近いものであることを意識している人は少ない。
何のために、人は情報を目にするのか。
多分、自分の暮らしや将来に役立つものとしての知識欲ではないのだろうか。
なぜ、私たち大人は、子どもたちの学びを求めるのだろうか。
自己実現をなし、自分なりの豊かな人生を送る者たちは、どのように学んでいるのか。
そんなことを考える人は、少なくはあるまい。
書籍をじっくり読む。
自分のものにするためには、ただ読むだけでなく、読みながら自分の現在や今までの考えと比較しながら、思考し咀嚼することが必要だ。
ただ、動画を見流すのは、学校教育で教師が一方的に教える知識詰め込み型と同じで、知識はあっても使うことができなかったり、本来の主体的な思考とはならない。
また、その知識を使う場合、自分なりに咀嚼したものをアウトプットする能力が大切になる。アウトプットの簡単な練習は、書いてまとめること。
だから、昔から読み書きが、学習の基本とされてきた。
では、日常の中で、どのくらいの大人が読み、書きをしているだろう。
それは、仕事の資料を読んだり、報告書を書いたりという作業的なものではなく、自分の時間として、どのくらい投資をしているか。
話の内容が豊かな人。説得力がある論を展開できる人。
そんな方は、やはり、自分の時間の中で、読み書きの時間をつくっている人が多い。
これだけ、多様な時代において、自分さがしを強いられる中、じっくりフィットしたものを探すためには、まず、自分を知ること。
自分を知るためには、外に目を向けても、翻弄されるだけで、自分の内に向かい、自分を内観しながら、自分を見つめる静かな時間を送る必要がある。
そうした時間をとるためにも、読む時間、書く時間は大切だと、私は考えてきた。