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鉄拳/友人/苦しかった話/マスターカップについて

2018.04.22 23:43

澤村です。

移動先が箱根から山梨に変わり、移動中に時間があるので、僕と鉄拳の事でも書こうかなと(なんという自己満足……)。

本当に長文になっちゃいます……

4/21日が誕生日で、皆んなが暖かく祝ってくれたので、感謝を込めて記事にしたいと思いました。




僕が鉄拳というゲームを始めたのは鉄拳5DR末期、まだ新潟の実家に住んでいた頃です。

昔はただの素行が悪い、よくいる典型的な田舎ヤンキーって感じの人間でした。

たまたま学校をサボり、いつも通り行こうとしたバッテイングセンターが豪雪の影響で営業しておらず、友人と3人でクレーンゲームをやりに地元まで帰り、ゲームセンターへ行きました。

そこから鉄拳に出会いこのゲームを始めた訳ですが、本当に馴れ合いなんぞいらんという思考のスレた少年だった僕は人のいない時間にゲーセンに行き、コンボの練習をして友人をフルボッコにするという学校内の村勇者的なポジションでした。よくいますよね。


そこから鉄拳は6無印がリリースされ、僕はプライベートの都合でプレイすることは出来ませんでしたが、グラフィックが進化しバウンドシステム、レイジシステムが追加されてゲームとしても進化しました。

その後鉄拳6BRが稼働開始し、ロケテストをやりにわざわざ関東の川崎まで来てプレイしたのもいい思い出です(ゼウガルがラースでブイブイいわしてた記憶…)。


この頃、新潟も盛り上がりを見せていましたが僕は本当に人見知りな上に、人が寄ってこない要素を全て詰め合わせたような人間だったので、鉄拳勢の方と関わることは全く無いまま新潟での鉄拳人生を終わってしまいました。


その後、プライベートの人間絡みで、つるんでいた仲間達が全く成長せず、いつまでもダラダラと典型的な田舎ヤンキーを続けていた事に嫌気がさし上京を決めました。

当時付き合っていた彼女とは1年間遠距離を続けましたが段位戦が理由で別れました(今年は趣味が共通の子を見つけるんだ😤笑)。


上京先は東京都大田区蒲田。

住みたく無い街ランキング1位を独走する街です。

当時蒲田でプレイしていた人達はそりゃもう怖い人達が多かったもので、田舎ヤンキー出身で身の丈を何もわきまえていなかったクソガキの僕は、蒲田のゲームセンターで歳上との付き合い方や、年下に対する振る舞い、気遣いや挨拶や礼儀など色々な事を学びました。


ゲームセンターで道徳を学んだなんて言うと笑われてしまうのかもしれませんが、今の僕という人間性を作ってくれたのも、何がダメで何が大丈夫なのかをわからせてくれたのも、一緒に成長してきたのがゲームセンターでした。

僕はそんな大好きな大人達がいるゲームセンターに通いながら夜のお仕事をしつつ、TAG2というゲームが始まります。


以前記事で書いたのですが、僕は鉄拳TAG2というゲームで鉄拳王という段位まで到達しました。鉄拳をやらない方にわかりやすい例え方をすると空手や柔道で言う黒帯だと思ってもらえると。

そんな訳で、初めて自分のプレイしているホームの地域から出て、遠征を繰り返したのもこの頃が初めてでした。

僕は蒲田を出ていろんな人に出会い、人の関わりが増えていき、鉄拳で少しだけ名前が売れたこともあり、声をかけられる事も増えてきました。


ですが人間的にはまだまだ未熟で、お恥ずかし話、人から金を借りては遊びに使い、それを返さずにブラブラと遊び続けたりしていました。

あの頃は本当にひどい人間で、少し人との関わり方を知って浮かれていた部分がありました、俺の為なら貸してくれる、待ってくれる、なんてやましい事を思ったりもしたもんです。

ですが、そんな僕でも沢山の友人ができました。


その後鉄拳7が稼働し、以前記事でも書いた通りシステムが苦しく、全くといっていいほどプレイしなくなってしまいました。

その頃、死んだ父の多額の借金の返済を母が僕にだまって払い続けている事実を姉から聞かされました。

この事は、僕の友人の極一部にしか言ってこなかった事ですが、これ抜きには今の自分は無いと思っているので書かせていただきます。


父の借金の総額は2300万で、母と姉2人では到底返しきれんような金額でした。

母と姉は、僕が上京して毎日楽しくしている事を僕からの連絡で知っていたため、そんな中で伝えたく無かったそうです。

そこで僕は姉には伝えましたが母に黙って、取り立て先のフロント企業の社交飲食店で週8000円の給料で週7働きました。

僕以外のスタッフは月40後半貰っていたのでハネられている額を知ると折れそうにもなりましたが、親父の借金の残りが少ないのもわかっていたのでそこまでの辛抱だと思い続けました。

週8000円の給料なので(家賃は上が負担してくれました)、光熱費を払い、最低限の食事で事を済ます事しかできず、とても遊びに行くお金など無かったので、僕が唯一店から離れて心が休まる楽しい時間は、家で家庭用の鉄拳をプレイしている時だけでした。

こう考えると本当に鉄拳に生かされてきたんだな〜なんて思います。


そんな中、7無印でのマスターカップ(日本最大の鉄拳5on5の大会、以下MC)が告知されました。

僕は7をプレイ出来なかったので、

『MCに参加し始めてから、初めて出ないんだろうな〜』

なんて思っていました。

そんな中、いつも通り家に帰り、ご飯とバターだけを食べ配信をしようとしていた時に、遠方の友人3人、横浜の友人1人とMCに出ようという話になりました。

当然僕はプレイができないので実力も無かったのですが、できる限りのお金を使って、週8000円の給料の中から片道500円の交通費を振り絞り、ゲームセンターで少しでもと鉄拳をプレイしました。


僕はそんな仕事と生活をしていたためその時本当にお金が無く、その上マスターカップの為に休みを申請する事も許されないような状況だったため、当欠扱いで計20万の罰金を背負いマスターカップに出場しました。

本当に、本当に楽しそうな友人たちと通話するのが苦しかったです。


チームメイトの1人からいつ返せるか分からんお金を借り、借金を返す為に地獄の労働生活をしているのに当欠の借金を背負い大会に出場しました。なんの言い訳にもなりませんが、マスターカップはそれぐらい特別なんです、本当に。


結果はワイルドカード決勝で負け。

もし俺がちゃんと鉄拳を続けていられたら、もし俺の家族に借金が無かったら、もし俺がもっと強かったら、

なんて思うと自然と涙が出てしまいました。

マスターカップでは、ベスト8の壇上で負けた経験もありますが、こんなに思い入れのある人達に力不足の自分が貢献できず、勝手な都合でお金が無い自分に気を使わせてしまった事が本当に情けなく、何度も家に帰ってからも泣きそうになりました。

今ではもう連絡も取ってないけど、あの時借りたお金を返すのが本当に遅くなってごめんね。


そんなこんなで僕が苦しい生活をしている時に、母は都内の病院に入院を始めました。

仕事での過労とダブルワークの睡眠不足で体がもうボロボロで、新潟の実家には1人だったため、僕と姉の提案で東京の病院に入院することになりました。

ボロボロでしたが、僕が誕生日の日には、

『亮が楽しく生活できるように!』

なんて言いながらボッロボロの体で膝小僧に擦り傷を作りながら、わざわざ病院から遠い僕の家まで、誕生日プレゼントといって小さいパンのトースターを持ってきてくれました。

この事はきっと一生忘れないだろうし、今思い出しながら記事を書いてても、目頭が熱くなってしまうぐらい、本当に胸が苦しかった一件でした。

何度も何度も母をこんな体にした親父を恨んだと同時に、僕に気を使って元気に振る舞った母の事を思うと涙が出ました。


丁度僕と姉で合わせて父の借金を返し終えた1ヶ月後、母が他界しました。

結局僕はなんの親孝行もできず、ただただ悔しくて半年間は立ち直れなかったのをよく覚えています。

母さん、本当にありがとね、僕は将来母さんみたいな人になりたいです。


立ち直った頃には鉄拳も7FRになり、僕の生活も安定するように戻ってきました。

家も契約することができ、ようやくごくごく普通の一人暮らしを再開することができました。

そこまでも沢山の友人達の支えや、励ましがあったから頑張れました、それは皆鉄拳繋がりの友人です。

本当に僕がちゃんと成長できたのは皆のおかげだし、鉄拳のおかげなんだなと再確認できました。本当にありがとう。


最後に、

ゲームセンターやゲームで繋がった仲間と毎日一緒にいるなんていったら少し前だったら人に笑われるような事だったかもしれません、今でももしかしたら笑われるかもしれません。

でも、自分が好きな人達だったり趣味を、どんな人でも負い目を感じず人に言えるような風潮になったらいいなーなんて思います。


そんなこんなで僕はゲームもゲームセンターも仲間も本当に大好きです。

御涙頂戴感が強い記事になりましたがそんなつもりは無いので会ったら僕のこといじってあげてくださいね😘

長文失礼致しました。