第7回:目の前の体験に誠実であること。現役バリデーションワーカーに聞く!【公益財団法人積善会 曽我病院・作業療法士、バリデーションワーカー 佐藤 良枝 先生編】
――作業療法士を目指したきっかけ、エピソードを教えてください。
私は高校生時代、児童文化部に所属し、影絵や人形劇を作って保育園や幼稚園を回るという活動をしていました。
けれど、ある時、市内の肢体不自由児対象に同様の活動をした際に、「この子達は本当に楽しいのかな?」と感じたのです。
その時が、ちょうど国際障害者年で。市内に横断幕も掲示されていました。
「障害をお持ちの方に対して、適切な援護、訓練、治療及び指導を行えているか?」といったことを見つめなおす機会には、最適ですね。
そこでリハビリテーションという言葉を知り、岩波新書で作業療法士という言葉を知り、「何か作ることが治療になる」って不思議、面白そうだと思いました。
その時に、市の広報に箱根リハ学院開校と学生募集の案内が掲載されていて、「よし、作業療法士を目指そう」と考えたのです。
ボランティア活動から、本格的な療法士への道へと歩みだされたのですね。
佐藤先生といえば、認知症のある方への対応のプロフェッショナルですが、特にこの分野に着目するようになったきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。
理由はありません。
臨床で目の前にいた方々が、たまたま認知症のある方だっただけです。
なるほど。
今、まさに目の前にいる方に少しでも良い対応を提供しようという思いから、知識を深めてこられたのですね。
――先生がこれまでに難渋された症例や、解決事例がありましたらお教えください。
たくさんありすぎて、語りきれません。表面的に「やった!」と思っても、後から思い返すと別の工夫の余地に思い至ったり、今ならもう一段階深い対応ができると思い至ったり。
恥ずかしく、また、申し訳なく思います。
――バリデーションワーカーを目指した理由や、バリデーションワーカーに必要な資質を教えてください。
バリデーションワーカーを目指していた頃は、とても辛い時期で、当時は提唱されていることはなんでも勉強してなんでもやってみました。しかし、「これは自分の求めているものとは違う」ということは明確にわかりましたが、「ならばどうしたら良いのか?」はわからない時期でした。
その時にダメ元で応募したのがバリデーションの一日セミナーでした。
これが自分の求めていたものだ。何があっても絶対に資格を取ると決心しました。
貴重なお話をありがとうございます。それでは最後に、バリデーションワーカーを目指す方、または作業療法士、セラピスト全体に贈る言葉をお願いいたします。
仕事をしていると、また生きていると色々なことが起こります。
(了)