Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

逆のものさし講新聞 「後世への手紙」

市川秀行「書く・徒然なるままに」

2018.04.24 09:00

書いている時。それは。自分との対話のとき。

書いている時。それは。見知らぬ自分を見つけるとき。

書いている時。それは。あなたへの言葉を紡ぎ出すとき。


不思議ですね。

書くという行為は、とても一人称のような行為に思えるのですけれど、

書いている自分を見つめるという、二人称的な視点を持っている。

そして、出来上がった文章を見て、

これは一体誰が書いたのだろう?と思ったりもする。


ここで点を打とうかしら?と、思ってみたり。

ここで改行しようかしら?と、思ってみたり。

ここは漢字がいいかしら?それとも、

平仮名がいいかしら?と、思ってみたり。

そもそも、こういう文体は私の書き方なのかしら?と、思ってみたり。


必ず誰かの影響を受けている、自分。

一つ一つの言葉を選択する瞬間瞬間、

全くの無私な自分が、そこにいる。


最近読んだ本?

最近見たドキュメンタリー?

父親の、あるいは、母親の語り口調?

何かに引っ張られているような、

それはそれはもう私など無くなって、高貴な存在を感じるものです。


ある人は言いました。

歌詞を書こうとしたときに、言葉が<降りてくる>んです。と。

じゃあ一体、誰が言葉を<降ろしている>のか。

私が言葉を発しているのか?

言葉が私を使って、存在を表出しようとしているのか。


もしかして私、言葉に使われている???


書くということは、不思議なことですね。

そしてその不思議を感じることが出来るのは、やっぱり、

書くという行為があるからなのでしょうね。


やっぱり私、言葉に使われている???


書くということは、未知なことでしょうね。

大体これを書こうと用意したとしても、書き始めた途端に

未知の領域に足を踏み入れていて、大体予定から逸れる。


ほら、私、言葉に使われている!!!


だから私は、書くのでしょう。

未知なる自分の文章に、出会えるのだから。



ところでこの文章、誰が書いたのですか?



お終い。