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「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 松平元康の裏切りと駿府に残された家族の運命

2023.01.24 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 松平元康の裏切りと駿府に残された家族の運命


 毎週水曜日は、大河ドラマ「どうする家康」に関して相変わらず好き勝手書いている。基本的に、「どうする家康」に関しては、私は何の関係もないただの視聴者である。戦国時代に関しては様々内容を見ているのであるが、しかし、今回ほど「情けない」というか「弱弱しい」徳川家康は初めて見たといえる。ある意味で、私ならば絶対にこのような内容は「書かない」であろうから、これはこれで「自分の感覚にはないモノを見せられている」という意味では非常に興味深い。

さて今回は、「三河平定戦」ということで、ある意味で徳川家康(松平元康)が、今川から織田方に寝返るまでお心の葛藤を書いている。従来の徳川家康像というのは、基本的に今川義元に人質として存在しており、そしてその前に人質になっていた織田信長との間に信頼関係が築かれていたというような内容で書かれていた。ある意味で「長いものに巻かれていた」徳川家康が、その「長いもの」である今川義元が織田信長に桶狭間で撃たれ、そのあとをうけた今川氏真が、またダメな君主であったがために簡単に裏切ったというようなことになる。それだけ駿府の今川の城下町では、松平の「三河者」は差別されていたということになる。

しかし、今回はそのような書き方にはなっていない。ある意味で「今川義元」にも、その嫡子「今川氏真」にも、徳川家康は慕われていた。慕われていただけに瀬名(後の築山殿)と結婚できたということになる。つまり、瀬名と徳川家康の結婚は、「政略結婚ではなかった」というような感覚になっている。

実際に、徳川家康は駿府において「人質的な扱いではなかったのではないか」というような感じになっている。実際に、徳川家康の名前を変える前「松平家」は、本来は三河国の国守でも守護でもない。基本的には三河守護は「吉良家」であり、今回出てきた吉良の家は、三河の国守である。松平は、その配下の一国衆でしかなく、地元豪族でしかない。その豪族の息子を人質にしたところで、今川にとってはそれほど大きなものではない。ある意味で、「人質」ではあっても、江戸時代の「参勤交代における江戸屋敷の大名の妻」のような感じで、それほど悲惨な生活ではなかったのかもしれない。

大河「家康」突然ラスト2分で地獄 家臣妻子13人処刑で悲鳴絶叫 ネット「鎌倉殿より地獄」「油断してた」

 NHK大河ドラマ「どうする家康」は22日に第3話「三河平定戦」が放送された。

 物語は、これまで気弱な松平元康(=家康、松本潤)のキャラクターもあって、非情な戦国の中でもどこか穏やかに進行してきたが、ラスト2分で事態急変。石川数正(松重豊)、酒井忠次(大森南朋)の三河重臣の命がけの訴えで、元康は今川から織田方に寝返った。知らせは駿府に届き、今川氏真(溝端淳平)が信じられない様子で「嘘じゃ…」と動揺。その後に、駿府に人質の形で残り、夫の帰りを待っていた三河衆の妻子らが連行され、瀬名(有村架純)が叫び声をあげる前で、妻らが処刑された。

 家康の家臣の妻子13人が犠牲になったと伝わる。

 ネット上では「いきなり処刑地獄」「『大丈夫、まだまだライトだ』と構えていたところにいきなりくる」「軽い気持ちで視始めた昨夜」「処刑シーンしんどかったな」「家臣の妻との交流がフラグだった」「鎌倉殿に比べて細部の描写がパワーアップしてて地獄みが深いな」「えぐい」「駿府のほっこりタイムから人質処刑をやるって鎌倉殿よりも地獄度が高い」「女性陣の処刑があるなんて、鎌倉殿よりしんどい展開」「1、2話とコミカルな締め方だったので油断してた討つか討たれるかの戦国時代なんだった…」と物語激変に驚きの投稿が相次いだ。

 【次回、第4回「清須でどうする!」

 松平元康(松本潤)は信長(岡田准一)が待つ尾張・清須城へ向かった。幼き頃に織田に捕らえられていた元康は、信長から再会のあいさつ代わりに相撲の相手を命ぜられる。くせ者・木下藤吉郎(ムロツヨシ)や信長の妹・市(北川景子)を紹介される中、信長から盟約を結ぶ代わりに、驚くべき条件を提示される。一方、駿府に残された元康の妻・瀬名(有村架純)は、今川氏真(溝端淳平)から元康と離縁して、側室になれと迫られる。

1/23(月) デイリースポーツ

https://news.yahoo.co.jp/articles/711d9a9fcc456d31cc4a71487b49144d3aeddfca

 さて、参勤交代の江戸の家族であったとしても、当然に幕府を裏切れば人質として殺すということは間違いがない。そのことを考えれば、今回の「どうする家康」の最後の場面で瀬名の周辺の三河衆の妻たちが殺されたのは、近いできる場面ではないか。一方、何故徳川家康の妻瀬名を殺さなかったのかということは、上記の記事のように「今川氏真自身が瀬名を好きだったから」ということになる。まあ、そのようなストーリーにしなければなかなかうまくゆかないのではないか。

そのような状況出なければ、瀬名が真っ先に殺されているか、少なくとも牢屋に入れられているということになるし、子供、つまり徳川家康の子供は先に殺されているということになろう。殺さないということは「また戻ってくる可能性がある」か、あるいは「今川氏真自身が殺すに忍びない」というような感じに思っていたということになり、そこが今川氏真の甘さということになるのであろう。

ある意味で、今までの徳川家康像がただしいかどうかはわからない。しかし、人質ではなかったというような感じのストーリーにしても、その内容はうまくつじつまが合うようにしなければならない。そこに今川氏真のような「自らの恋愛感情」を持つことによって甘さが出てくるというような形になり、結局「感情に流された人が潰される」というようなストーリーになってしまうということになるのではないか。

家康が「なさけない」ということは、そのまま「家康を支える人々がしっかりしている」ということになるが、一方で、「家康を支える人々の所に、戦国の試練が多く降りかかる」ということになるのではないか。

ある意味で「国衆」が将軍になるまでにはさまざまなことがあったと思う、その内容をしっかりと書けば変なストーリーにする必要はないような気がするのであるが、一方で、自分のオリジナルを作りたいと思う心もわからないではない。そしてイメージが違う「徳川家康」は、そのまま、周辺の名優の演技が目だって見える結果になるのではないか。まあ、それはそれで面白いのかもしれない。