「江戸っ子と初鰹」
いきといなせを絵にしたような縞の衣裳をまとった初鰹の魅力は、じつに大したもので 1匹2両(約12万円)とか3両(約18万円)、ときには4両(約24万円)もの大金を投じて江戸っ子町人や八百善(高級料理屋)は買った。今から信じられないが、幕末まで江戸庶民は金を惜しまず、一匹の初鰹に大金を投じてこれを食べたのだ。
「藤咲いて鰹食ふ日をかぞえけり 」(其角)
初鰹を待ちこがれる思いが伝わってくる。お花見の熱狂が終わって葉桜の季節ともなれば、江戸市民の関心はもっぱらホトトギスの初音と初鰹に集中した。
「 聞いたかと問われて喰ったかと答へ 」
初夏の合言葉だから、それだけで話は通じた。しかし値段は驚くべき高値。当時の下女の給料が年間で最高二両、下級武士の三ピンは三両一人扶持(現金三両と、大人ひとりが一年間に食べる米の現物支給)だったのだから。買う方も相当な覚悟がないと買えなかったようだ。
「 はつかつほ人間わづかなどと買ひ 」
「 清水に思案して居る初鰹 」
清水の舞台から飛び降りるぐらいの覚悟がないと買えなかったのだろう。こんなばかげたことを女房は許さない。
「 女房が留守でかつをの値ができる 」
伊勢屋はは江戸店の代名詞で大金持ちではあったが締まり屋で、食べ物や花火に大金をつぎ込むことなどしなかったため、川柳の世界では倹約家・吝嗇の異称。初鰹に絡めてこううたわれる。
「 その金で鯨を買ふと伊勢屋言ひ 」
「 伊勢屋から鰹を呼ぶやいなや雨 」
「 伊勢屋さんもう食へるよと鰹売 」
ひと月も立たぬうちに、五十分の一の値段になった。ところで、江戸っ子が狂喜した初鰹の食べ方は、腹皮部分を生かした銀皮造り。それを辛子醤油で食べた。
「 初鰹銭と芥子で二度涙 」
「 その面でからしをかけと亭主言い 」
高額な初鰹を買った亭主に怒った妻女へ向かっての言葉。怒ってかくと辛子がよく効くという俗信による。初鰹をめぐる川柳からも、江戸庶民のばかばかしいけど生き生きとした日々の暮らしが伝わってくる。
(三代豊国「卯の花月」) 長屋の住民みんなで買った1本の鰹を切り分けている様子
(江戸の初鰹売り 「守貞漫稿」)
(英泉「十二ヶ月の内 四月 ほとゝきす・かつほ」)
(上から、焼き霜造り、銀皮造り、刺身)