解放は、ありのままに見ること
FacebookTaiki Shimizuさん投稿記事
解放は、ありのままに見ること。分離というフィルターを通さず、ありのままに見ることです。
それは、もう一度、純粋さを取り戻すこと。それは、シンプルさにくつろぐこと。
ありのままはあまりにも単純。あまりにも単純すぎるため、「私」は見逃し続けます。
「私」が求めているものは「これ」じゃないと。
でも、その「私」が見逃し続けている、究極の単純さが、「私」が本当に求めているものです。
「私」は、「これ」を求めています。今ここにある「これ」を。
明らかで、単純で、当然すぎる「これ」を。目覚めは 「これ」です。
今この瞬間にある「これ」です。何の意味づけも持たず、ありのままに存在し続ける「これ」です。「これ」はいつも「私」を呼んでいます。
あなたは、表面や見た目にとらわれています。あなたは、動きに翻弄されています。
そして、本質である「これ」を見逃し続けています。
これとは、「これ」という言葉ではなく、 これ→ ←これ です。「 」です。
「これ」ではなく 「 」です。文章の行間である 「 」です。
言葉の背景にある 「 」です。何も無いけれど、全で在る「 」です。
あなたは「 」を見逃し続けているのです。
(※「 」を白色のエネルギーやホワイトゴールドの究極の愛のエネルギーとして体感される人もいる)
言葉が存在するためには、背景である「 」が必要です。
音が存在するためには、無音(静寂)である「 」が必要です。
私が存在するためには、空間である「 」が必要です。
全てが存在するためには、究極の存在である「 」が必要です。
「 」がないと、「これ」も存在できません。「 」がないと、「あらゆる現象」も存在できません。
そして、「 」こそが、「私」の正体であり、「神」の正体です。
「 」には、始まりも終わりもないので、生まれても死んでもいません。
「 」こそが、探し求めている「それ」です。
アセンションとは、「 」に目覚めることです。
このことを情報(インフォメーション)として知っても意味はなく、エネルギー的に理解することで、=変容(トランスフォーメーション)が起こります。
全文
https://ameblo.jp/taiki-ism/entry-12786155397.html
Facebook相田 公弘さん投稿記事
「こうなると楽しい」というお話です。
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「こうでなきゃ嫌だ」と思ったら、待っているものは「嫌だ」か「ゼロ」。
「こうなると楽しい」と思ったら、待っているのは「楽しい」か「ゼロ」。
「執着」と「おもしろがる」とはどう違うのでしょうか。
執着というのは、「こうでなければ嫌だ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。
それに対して「おもしろがる」とは、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。ならなくてもいいけれど。でも、そうなるといいなあ」「そうなるとうれしいな」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思うこと。
それが「おもしろがる」ということになります。
「こうでなければ嫌だ」と思ったときに、執着になります。
超能力の点から考えても、「こうでなければ嫌だ」と思ったときは脳波がβ波になって、実力でしかものごとを解決することができません。
一方、「こうなるとうれしい」「こうなると楽しい」「こうなると幸せだ」と思ったときは脳波がα波になり、不思議な力が助けてくれます。
超能力的な解決方法とでもいうのでしょうか。そういう力が、どこからか支援してくれるのです。
「こうでなきゃ嫌だ」と思ったときは、「嫌だ」か「ゼロ」しか待っていません。
「こうなると楽しい」と思ったら、待っているものは「楽しい」か「ゼロ」。
喜びが上乗せされるだけの日々になるのです。
宇宙を解説 百言葉
小林正観 著
イースト・プレス
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例えば「結婚」を例にとってみても、
1「結婚して幸せにならなかったら嫌だ」と思うか、
2「結婚して幸せになったら楽しいな」と思うのかで、その途中のプロセスが全然違うものになってきます。
1は、最後だけ幸せ。
2はいつも幸せ。
しかし、1が最後にたどり着ける保証はない。
多くの人は「何らかの結果」について「幸せ」か「不幸せ」かの判断しています。
でも、「結果」というのは誰も事前に100%の予測することができませんし、コントロールも難しいでしょう。
幸せを「結果」に求めてしまうと、誰にも予測したり、コントロールしたりできなのですから、あとは運任せ、博打みたいなものだということになってしまいます。
「結果」ではなく、「プロセス」そのものに幸せを見出せれば、そこに向かっているあいだ中ずっと幸せな気持ちでいることができます。
うれしい、楽しい、気持ちいい、すがすがしい、誇らしい、といったポジティブな感情が得られるものをゴールに設定すると、そこに向かうための「選択」は、必ず幸せを感じる選択につながります。
旅行の計画をたてるのも、そこに向かう飛行機のなかも、途中に遭遇するアクシデントも、嵐のような天気も、仲間との言い合いも、全てが「幸せ」に向かう行為になるということです。
結果だけを「幸せ」としてしまったら、大雨が降って「不幸」となり、仲間と言い合ってまた「不幸」となってしまうのです。
これは余談ですが、子どもの勉強も、「結果」をほめられて育った子は、次第に勉強しなくなったり挑戦しなくなったり易しい問題ばかりを解くようになるそうです。
なぜなら、「結果」をほめられるので、「結果」で失敗したくないという心理がはたらくからです。
逆に、プロセスをほめられて育った子は、勉強していること自体をほめられるので、結果に関係なく果敢に挑むことができます。
時間はかかるかもしれませんが、長い目で見たら「プロセス」をほめた方が最終的には良い結果になっていくのでしょう。
【大事にすべきは結果よりもプロセス】
プロセスごと楽しんで行く方法が、「こうなれたら楽しいな、うれしいな」ですね♪
※魂が震える話より