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偉人『アントーニオ・ヴィヴァルディ』

2023.03.10 00:00


17世紀イタリア生まれのヴィヴァルディは誰もが耳にしたことのある『四季』を作曲した司祭である。我が母もこの四季をこよなく愛し子供の頃から流れていた曲であった。そして小学生の頃に音楽室に貼られている彼の肖像ポスターを見ては、白髪の羊毛の毛羽だったようなカーリングした髪と広い額、モナリザのような口角の上がった笑みを湛えているように見える唇とどこか淡々とした表情が印象的だった。おそらく母が愛聴していなければ彼をまじまじと観察することもなかったであろう。そして彼がヴァイオリニストであることをこの肖像画から認知し、彼のヴァイオリン協奏曲を意識して楽しんだのは間違いない。母の好きな第1楽章よりも私が好んだのは第2楽章のもの静かな虚い的で柔らかな曲想と祖母の物静かな佇まいが何処か儚げで優しい印象が重なって好きであった。

西洋史・音楽・絵画・その他の芸術や文学・文化を学ぶと切り離せないのがキリスト教との関係である。そして今回取り上げるイタリアの音楽家アントーニオ・ヴィヴァルディもまた音楽家でありながら司祭でもあった。今回は彼の代表作協奏曲『四季』を感じながら彼の作品と人生、そして社会的背景と活躍について考えてみたい。勝手に幼少期を想像する記事から少し逸脱して彼の代表作をバロック時代のヴェネツィアの歴史と私の感性とを照らし合わせて読み解き、聴き耳を立ててもらえたら嬉しい限りである。


彼が生まれたのは1678年3月4日季節的にはまさに春の息吹を感じ始める頃である。イタリア水の都ヴェネツィアカステッロ区である。現代では観光業が盛んで昨今は街が高潮で水没していたが、モーゼ計画で高さ30m、幅20mの金属製の壁を78基を海中に沈め、高潮をこの壁で堰き止めるということが行われている。1月だったと思うのだがある生徒さんが突然ヴィバルディの春を鼻歌で口ずさんでいたかと思えば、翌日別の生徒さんがこのモーゼ計画をテレビで見たと言い、日本の津波もこれで防げるのではないかと話してきた。本当に不思議なのだが奇跡的なことは重なるもので別の生徒さんがまたヴェネツィアの位置するアドリア海の砂地の話をしてきたのである。同じ週で接点のない生徒さんがそれぞれにイタリアのヴェネツィアで共鳴している。実は子供は純粋なのでこのようなことは日常茶飯事に起きる経験をこれまでに何度もしている。生徒さんが純粋であればあるほどその傾向は強いような気がする。話が横道にそれそうなので話を本題のレールの上に戻そう。

この建物はヴィヴァルディが洗礼を受けた教会である。17世紀の建物が現存し今もなお使われていることが多いヨーロッパだが、偉人に関する掘り起こしは遅いようで20世に入りようやく彼が洗礼を受けた記録が発見された。難産の末に大変危険な状態で生まれた彼は、助産師が代わりに洗礼を受け誕生から2ヶ月後に本洗礼を受けたほど生命力の弱い子供であった。残念なことに彼の幼少期に関する記録はごく僅かである。父は理髪師兼町医者、そしてヴァイオリンの演奏家として活躍をしていた。ヴィヴァルディはその父からヴァイオリンを教えられ、父の音楽仲間から作曲法を学び才能を開花させたのである。10歳で教会付属の学校に入学し12歳で父と共演、13歳で劇場のヴァイオリニストとして父の代役を務め、15歳で剃髪し司祭の道に進むことになるのである。司祭の叙階を得てからは教会に付属する孤児を集めたヴァートリオの音楽教師となる。彼の音楽家としての活躍はこの音楽教師となってどんどん花開いていくのである。

ヴィヴァルディがなぜベネツィアの教会でたくさんの音楽が残せたかということであるが、これにはヴェネチア特有の地理的要素と人々の生活が深く関係している。

今でこそゴンドラに乗って優雅に水上観光ができ、サン・マルコ寺院をはじめとする歴史的建造物が見受けられる美しい街だが、当時運河を活用しての商業都市として栄えたヴェネツィアではとにかく捨て子が多く、彼らを保護し養っていたのが教会である。男子は読み書き算術を教え、女子には音楽的専門教育を施しヴィヴァルディはその音楽教師として活躍したのである。書き上げた作品をその保護されている音楽院の生徒達が演奏しオーケストラとして活躍していた。その養育院の生徒は音楽を嗜み、躾や教育も施されているとしてその演奏会で見染められ良家へ嫁ぐ者も現れたほどである。

彼の作曲する音楽はこの高度な音楽テクニックを持つ養育院の生徒のために書き上げられ、その評価が高まり彼は司祭と作曲家という二足の草鞋から音楽教師、そしてオペラの興行師と四足の草鞋を履くことになったのである。その忙しさは冬の第1楽章の冬の冷たさの中で目まぐるしく彼がオペラ興行に動き回る様子と重なってくる。最晩年は彼の支持者であったオーストリアのカール6世の逝去や興行の失敗と不遇の晩年を送るが彼の最大の功績は、音楽で行き場のない捨て子たちに音楽的教養を与え生きていく喜びを与えたことだ。第2楽章ラルゴでは寒さで震行き場を失った捨て子たちをヴィヴァルディの音楽が凍てつく厳しさを全てを溶かし温めて、どんなに外が吹き荒れても自分自身の中に温かな暖炉を持って生きていけば必ず安らぎを得られると語っているように受け止めてしまうのだ。

当時のヴェネツィアの現実的で目を覆いたくなるような子供達の実情を知るとき、ヴィヴァルディの音楽性がいかに社会貢献をしていたかを毎回反復思考している自分がいる。音楽に限らずあらゆる芸術の裏には読み解くと深いものが溢れている。それを一つ一つ自分のものにして解釈をできることが今の私の楽しみでもあるのだが、それを知識として終わらせるのは勿体なく子供達に少しずつ何かを伝えることができればと考えている。

再来週月曜(2023年3月20日)の子育てサジェスチョン記事は『関心を育むコツ』と題して話を展開するが、私は母のお陰でヴィヴァルディをはじめとする様々なクラシック音楽を楽しむ芽を育ててもらい、そして常に関心を持って音楽を耳にしようとしてすることを育まれたと実感している。子供に関心を育むことは与えることだということを記事にしたいと考えている。是非読んで子育てに活かしてほしいと思う春の彌生である。