封印した記憶
昨日は安雲さん主催のリリ数秘術オンラインシェア会でした。
シェア会のことについては後日改めて書きますが、シェア会が終わってからずっと頭の中である記憶が渦巻いています。
誰にも話したことがない子供の頃に封印した記憶。もう手放しても良いのかも知れません。
私は小学1年生の時に、担任だったおばあちゃん先生の言葉をきっかけに一時期、学校に行けなくなったことがあります。算数の時間、前に出て黒板で計算問題をしていた時のことです。突然、先生から「計算が遅い。あなたは、早生まれだから何をさせてもみんなよりも遅い」と指摘されました。その時のクラスメイトの笑い声と一人黒板の前に取り残された恥ずかしさ。私は、それをきっかけに翌日から登校拒否するようになりました。良い先生だと評価する両親には、本当の理由は言えませんでした。おなかが痛い、頭が痛い、学校には行きたくない。そんな理由で最初の数日、学校を休みました。でも、それが続くと、母は仮病だと決めつけ、学校に行くと言うまで叩かれ、引っ張られ、引きずられるように車に乗せられ、泣きながら毎朝、無理やり登校させられました。教室に入ると体のどこかが痛くなるので、それを先生に言うと早退しても良いと言うものの、早退する理由をみんなの前で言わされました。今でこそ、私は講師を仕事として人の前に立ちそれを楽しんでいますが、子供の頃の私は引っ込み思案で大人しく、知らない人とは話せないよな子供でした、そんな子供が一人で、30人近い子供たちの前で、なぜ早退するのかを言わなければいけないのです。それがどんなに苦痛だったか。。。理由を言った後、「明日はどこが痛くなるのかね」という先生のバカにした笑い声。それに合わせたように笑うクラスメイト。家まで一人泣きながら帰っていました。突然帰宅する私を祖父母は何も言わずに、温かく迎えてくれたのが唯一の救いでした。この時に、祖父母にだけでも学校で何があったのか話していれば、違っていたのかも知れません。でも、私は自分が惨めで自ら口にすることはできませんでした。今思うと、祖父母から両親に伝わるのを恐れていたのかも知れません。休むために母から暴力を振るわれるのも、早退するためにみんなの前で理由を言わされるのも地獄だと悟った私は、抵抗することを辞めました。40年近く経った今でも先生のフルネームもあのバカにしたような声もはっきりと覚えています。先生だって人間ですから、嫌いな生徒もいるでしょう。合わないと感じる子供だっていると思います。あの先生は、もうこの世にはいないと思いますが、未だに思い出すと悲しくて、悔しくて泣けてきます。私のことを嫌いだったとしても、なぜ私があんなに苦痛を与えられなければいけなかったのか理解に苦しみます。母も出勤時間が迫って焦っていたとしても、嘘と決めつけずにもっと寄り添って欲しかった。
子供は大人の所有物ではありません。小さくてもしっかりと感情もあるし、それぞれ人格を持っています。躾は必要ですが、そこに人格を否定する必要はありません。自分が発する言葉の力を考えてほしい。言葉には力があります。たった一言が誰かの支えになったり、力になったりすることもありますが、たった一言で傷つけたり、心を壊すことだってできるのです。私は長年、頑張っている自分以外を認めることができませんでした。頑張っていない自分には価値がないと思っていたからです。頑張る=無理をすることで、自分は存在しても良いと思っていたのです。ある意味、自傷行為に近かったと思います。自己肯定感の低さ、幼少期の家庭環境などが、大人になってからの生きづらさや多くの精神疾患と関係していることが明らかになってきています。元々の性格もあると思いますが、私自身パニック障害、摂食障害などを経験しました。私が今、もし先生に会えるなら、自分の発した言葉が子供の心に与える影響を感じたことがあるのか、私がいまだに封印したはずの記憶に感情をかき乱されることをどう感じるのか聞きたい。