星を見る目
昔どうしてもオリオン座をみつけることができなかった。
必死に親があれだ。と
何度も指差して言うのだけれども
「なぜわかならいのか。」と
いらいらして
言葉が乱雑になっていく。
結局これ以上親を
困惑されてはいけない。と、思って
適当に「あぁ、あれね。」と演技するが、
もう親には
自分が本当に見つけたわけではない。と、感づかれていて
親は何回も、あれだぞ。と繰り返していた。
星をみるというのは二重性があると思う。
一つは点である星のひとつひとつを見つけること。
一つはその点を線で結び星座として捉えること。
この後者が当時できなくて
親がいらいらとしていたと思うのだが
なざあんなにもオリオン座をみることを強調したのかわからない。
冬の代表的な星座だからだろうか。
僕は大人になっても
親のように
人をいらいらさせてしまうことが多かった。
そこで
「どのように現実世界で 人をいらいらさせないか。」と
いろいろ考え、紆余曲折があった後
宇宙を見ればいいのだ。
と結論にいたった。
(ここでいう宇宙というのは神様みたいな概念なのかもしれない。 )
自分が住んでいる現実が
全く自分の思うとおりにならないので
神頼みということで
宇宙全体を感じようと、
現実が全く察することは
できないので 思い切って、
捉えられるかどうかもわからない
全体のことを感じてみようと考えた。
こんな突拍子も無い事をしようと思ったのは、
現実的な自分の出来なさがもうほんとうにどうしようもなく、
現実的なとっかかりもなく
救いがなかったからだ。
また、周りの人が感じている入り口と
僕の感じている入り口がちがうから
怒られるのだと感じたことがきっかけだったかもしれない。
人は入り口が全てだ。
自分の認知が出来ること
仕事をうまくやる、給料を貰う。
恋人とうまく付き合う、家族を養う。
この辺が多くの人の意識の入り口、
これが関心事だと思った。
これに対して僕はいろいろ頑張るが
そもそも関心を持つことができなかった。
仕事もできなければ、
対人関係も下手くそだし、
どうにも「入り口が違うのだ」と漠然と感じた。
じゃあ、それに変わる入り口を探さねばと思った時に
僕はどこに所属しているのかという事が疑問として上がってきた。
多くの人はおそらく
自分の家、会社、趣味、あるいは住んでる場所を
テリトリーに感じるのだろうが、
僕はあまりそういうことを感じれない。
では僕はどこを所属と定義すれば安心できるのか。
この所属に対して自覚と安心感が産まれれば、
関心の入り口、僕の意識の入り口が近くにあるのでは、と考えた。
とはいっても
どこに所属してるかなんてわからない。
わからなければ
とりあえず間口を最大限に広げて徐々に収縮すればいいと、途方も無い事を考えた。
宇宙全体を自分の所属にして、
そこから何かを掬いとれたらいいか。というくらいの軽い気持ちで
意識を全体に届かせようとするところからはじまった。
おそらく4年ほど漠然と
感じようとすること
あるいは、足並みを揃えようとした。
(勤め先のルールや家庭内でのルールに沿うのと似た感覚で)
結局
明確な答えはみつからなかったが、
先日ふとものすごく自分が馬鹿になった感覚があった。
感じ方としては
「寝るのに失敗した」という感じなのだが、
(おそらく寝てる間に何かがまるっきりかわってしまったのでこう感じている)
その後何を失敗してどのように修正をかければいいのかわからなかった。
寝ている間に何かをいじられてしまった。
そんな風に思いながら
暮らしていたのだが
宇宙に意識を向けることで発達しかけていた目のようなものが
ふさがれてしまった事だとわかった。
この目が発達している自覚も
ほぼなかったのだが、
無意識に感じていたことが
遮断されたことで
私は星を見る目を獲得しかけていたことに 気がついた。
ここでもう一度見えにくい
空間、広がりを見ようとすると
その先には星があるのだ。とわかった。
そこからの情報がながれこみ
自分を構成していることなのだと思った。
現実であくせく他人に合わせて疲れるよりもよっぽど
自分に力があって、真っ当な状況だと思った。
この星をみることで
安定する人がもしかするといるかもしれないと考えて書いたが、
オカルト的な話だし、
すごく個人的な経験で、
かつあまり、秘儀的な派手さもない。
ただ、日常で普通の人が感じている
「入り口」がわからない人は
やってみて損はないと思う。
可能性は広がるし、
僕の頭の中の勘違いだとしても、
大きな宇宙や星との関わりが日常にあり、共に生きてる感覚が(錯覚だとしても)
落ち着いてあくせく生きなくていい根拠にはなると思うのだ。
ということで、
宇宙を感じてみようとすると
星を見る三つ目の世界が
開けるかもしれない。
補足
人間は3Dプリンターに似ているなと思った。
仕事を終わらせるという着地点のデータにむかって
現実を切り出していく。
何か、ほしいものがあって
それを買うために現在の行動を貯蓄というように モードをかえる。
これは全部未来という立体を切り出すための行為だと感じた。
星をみて、
何らかの方向を関知して行動を
変容させているというのは
同じく3Dプリンタなわけだが、
まったくいままでとやりくちが、
態度が、むしろ
僕の感じてたはずの気持ちや、
思考まで全てがちがっている。
(それは現実的な元の僕の感覚も、
のこっているのですごく不思議なのだが)
自分は誰なのか?という問いが
宗教の中で多くみられるけれども、
どこからデータを引っ張ってくるかで僕らは
まったく別人になるのだと思う。
どこのデータをいいものとして、
どこの未来を切り出していくかは
すくなくとも自分で試行錯誤して
見て、決めなくてはいけない。
あまりに遠い事だが、
ぼくたちはどこに所属して
どこに在るのか。
わからないながらも、
感じようとすることは無駄ではないと思う。