西瓜
夏、はじめてスイカのお手伝いに行ってきた。
朝の二時間だけ。日頃の運動不足解消にもなっていいし、それ以上に面白そうだから行くことにした。
わたしのお手伝いのイメージは、畑で麦わら帽子をかぶり、こまめに麦茶を飲みながら小ぶりのスイカを収穫する。
だが実際は倉庫みたいなところが作業場で、ベルトコンベアのようなものがあったりして、早々にイメージしてた世界観が崩れた。勝手にドラマを膨らませ、期待しすぎたわたしにしか責任はない。
持っていった麦わら帽子は、一度も被られないまま、一射しも太陽の光をあびることなく、首の振らない扇風機の風だけを一身にあびていた。
考えてみると、今まで外仕事をしたことも倉庫で仕事をしたことも、ましてや力仕事をしたことすらない。
ただ、「したことがない」と気づいたら、少しずつ心が弾み始めているのを感じていた。わたしはしたことがない、行ったことがない、未知なる世界に足を踏み入れるのが痺れるほど興奮する癖(へき)がある。心の持ちようで、こんなにも世界の見方も変わってくる。
未知なる世界への切符を掴んだわたしだったが、直ぐに「なぜ、来た、」と言われてしまうような壁にぶつかった。
スイカはとても大きい、とても重い。そして、わたしは肉体的なあらゆる力が欠けている。
それでも、うんとこしょ、どっこいしょ、と勢いをつけながら、ゆっくり持ち上げたりしていると、とんでもなく自然に怒られた。怒るまでのためらいが一切なかった。心では思っているけれど言葉を選んで言い出せない、そのもどかしさを何度も飲み込みながらもつい漏れでてしまうような、わたしが知っているあの怒りではなかった。あまりにも消化が早い。濾過もろくに済んでいない粗い怒りだったため、こちらとしても受け取れる万全な姿勢も整えられていなかった。
「おしのさんのペースでやってたら日が暮れちゃうよ!」
「ここが詰まってると、全部が遅くなるよ!」
田舎特有の強めのイントネーションも相まって、つい悲しくなってしまった。
ただ、彼女の言うことは正しい。図星であり、本当にそうだ。皆んなが待ってくれていて、わたしに合わせてくれている状態だ。
とても分かるが故に、迷惑かけまい、と、早くしたい気持ちで焦りつつも、焦ったところで我が腕力は上がらない。軽いもので五kg、重いもので十三kg。難しい。
うんとこしょ、を口にしなくなっても、スイカの重さもわたしの持ち上げる速さも変わらず。
「そんなこと言われたって、これが最大限だよ」
心で反抗し、心で泣いた。
わたしは無反応だった。開始早々、正論を言われて悲しかったのと目の前のスイカが重いのとで、愛嬌を振りまく余裕などない。うんとこしょ、とも、すみません、とも、うん、とも、すん、とも言わずに、わたしのできる限りの腕力で、黙って重たいスイカを持ち上げるしかなかった。
想像以上に遅かったのか、わたしは積み込みの担当から外され、シール貼りを担当することになった。
「彼女大変そうだから、わたしがやっちゃうね!」
わたしよりも倍以上生きている女性が代わってくれたのだ。ボーリングの球以上に大きく重いスイカをひょいひょいと持ち上げる速さはわたしの三倍くらい。「このままでは本当に仕事が終わらなくなってしまう」そう悟り、代わってくれたのかもしれないが、真意はおいといてとても助かった。
大真面目にやって日が暮れてしまうのではあれば、得意な人がやって効率よく済ませられる方が絶対にいい。ありがとう…、またしても心で感謝しながら、わたしはシール貼りに専念した。
数分の休憩、抜け殻になりかけていた身体に水分を注入していていると、先ほど好意で代わってくれた女性から声をかけられた。
「羽生結弦にならないとね!」
悪意のない笑顔だった。
悪意はないとはいえ、素直に意味が分からなかった。だから、「え?」「なぜ?」と、そのまま聞いた。「筋力をつけるということだよ」と、返ってきた。
ああそうか、なるほど分かる、とはならない。随分と話から距離がある独特な喩えだな、なんて思ったのが正直なところである。
それに、筋力は筋力でも、自らの自慢の筋力で飯を食べている、筋力の代名詞とも言えよう、あのなかやまきんに君には用はないようだ。「筋力(筋肉)=」の方程式によって脳内にやってきた彼には、自分の住処に帰るよう、静かに帰宅を命じておいた。
それにしても、スイカのお手伝いの為に羽生結弦(筋肉の方)にならないといけないのか…。どちらかというと、羽生結弦ならば美しい表現力のほうを倣いたいものだ。
ただ、外見(そとみ)は別として、彼女たちの内なる筋肉は羽生結弦仕様だ、と思うとまた見方が変わってくる。わたしは今、羽生結弦の意識をもった筋肉たちと共に仕事をしているのだ。うーん、プロフェッショナル。わたしさえ色眼鏡をかけてしまえば、ストイックなアーティスト集団にすら見えてきた。
わたしも最後まで諦めずにスイカにシールを貼り続けた。一つも貼り忘れることなく、常に正しい場所へ貼り続けた。
「うむ。実に美しいシールの貼り方だ」自分の作品を賛美した。我、羽生結弦の意識と共に在り。
その日の仕事は昼前に終わった。
「なんか色々と迷惑かけてすみませんでした」
「サポートとカバーしてくれてありがとうございます」
帰り際にそう伝えると、いやいやとんでもない、なんて言ってくれた。
そして、続ける。
「今のわたしの体力であれば、全然問題ないからね」
「通院なら、歯医者には行かなきゃなんないんだけど……」
たしかに、そう言いながら指先でなぞる彼女の下の歯は、ほとんど無かった、ように見えた。
どんな反応が正しいかも分からず、「そうですか…………」余白いっぱいに答えた。回収したい不安定な空気を呑み込むように、深めに息を吸った。こく、こく、吐く息にあわせ、ちいさく、ゆっくり、言葉の音が終わってもわたしの顎はしばらく揺れていた。
正午の倉庫。蝉の声。端で若い男がダンボールを豪快に解体している。それからわたしたちから新しい言葉は生まれなかった。彼女の口内環境に対して余韻を残すようなさみしげな相槌を打ってしまったのは、わたしとしても不本意である。