友来りなば、語らん。(2023.1.28) 2023.01.30 09:30 1月28・29日と、様々な方とお会いし、語り合う機会を多く得ました。5年ぶりに連絡をいただき、お話をしたいと言われる方も。ふいに思い出し、会いたくなる。そんな関係こそ、友達といえる所以であろうと感じました。職場等で、どんなに会う機会や話す機会が多くでも、友とまでならない人は、数多くいることでしょう。機能や構成員としての私ではなく、人として私を見てくれる。それが、友なのだと思います。高校2年生の時に、普段はあまり話さない同級生から、今日、家に来ないか?篠原と前々から話したいと思っていて。そんな誘いをいただいたことがあります。何か嬉しく、気恥ずかしく、放課後、彼の家まで行き、部屋に上がり込み、彼が学校ではあまり語らない趣味や好きな音楽のジャンルなどについて聴いたことは、大切な私の人生の記憶として止まっています。あの後、それほどまでに、仲は親しくなりませんでしたが、彼の人生にふれることができた貴重なひとときであり、確実に人と出会えた貴重な機会でした。一期一会。会合や集まりに、たくさんいる参加者。当然、すべての方とは、時間的に物理的に均一には接することができない中、いずれ、親しい人ができる。いずれ、数人の仲良しサークルが生まれる。こうしたことは、どのようなプロセスを経て出来上がるのか。お互い何を認め合い、何に惹かれ、引き寄せあったのか。実は、そんなに深い理由などはないのかもしれません。つまり、人が人と単に出会い、仲良くなるというのは、そんなもんかもしれないのです。だから、初対面で、人と接することに対して、そんなに構えることもない。ただ、本来、出会えば、大変、仲良くなれる人も、そこにはいるかもしれない。この人は!?というインスピレーションは、平時から研ぎ澄ましておきたいものです。全ての人と仲良くする。嫌われないように振る舞う。べき!?確かに真であり、また、一面は偽でもある。人生何が起こるかわからない。故に可能性は残しておく方が得策と考える。