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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

近代アジアの動乱28-江華島事件と朝鮮進出

2023.01.30 11:31

明治政府の征韓論はしばらくの間棚上げになっていたが、1875年9月20日、漢江河口の江華島で、日朝の武力衝突が起こったため、突然外交的注目を浴びた。実は釜山において、日朝は国交交渉を行っていたが手詰まり状態。そこで日本はペリーのように武力圧力をかけようとして極秘裏に軍艦を派遣した。

この威圧はそんなに効果がなかったが、9月20日に首都漢城付近の江華島に接近したところ、島の砲台から砲撃があり、この砲台を破壊して占領してしまった。この事件は偶発的事故としておさまったが、日本側は清国と公使森 有礼との間で協議を行った。71年にできた「日清修好条規」が試されたのである。

この条規の第一条に清国の「邦土」というものがあり、これは朝鮮をも含めると解釈されていた。日本側としては、清朝に朝鮮に圧力をかけさせて開国への足掛かりをつくろうとしていた。これについで清国側では、朝鮮は独立国だが、清国の影響下にあるとしてあいまいな態度を取った。

交渉の結果、1876年2月26日に「日朝修好条規」が締結された。朝鮮は釜山のほか2港を開港、日朝は双方に領事館を置くこととなった。そして日朝間の貿易は無関税が決められ、朝鮮での日本人の犯罪は日本が裁くこととした。日本にとっては外交的勝利であり、朝鮮への足掛かりを築くこととなった。