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富士の高嶺から見渡せば

安重根を「英雄」と称賛する限り、日韓の和解は成立し得ない②

2023.01.31 17:32

韓国で最近、話題となっているミュージカル映画『英雄』をきっかけに、伊藤博文を暗殺した安重根という人物、それにいまだに深い溝を埋められない日韓の歴史に改めて焦点が当てられている。映画では、伊藤博文は韓国を侮蔑する人物として描かれているようだが、実際はどうだったのか。

以下は、韓国出身のユーチューバー『キムチわさびチャンネル』の「反日英雄に熱狂する理由」と『WWUK TV』の「韓国国民、日本国民から正論を言われて訳の分からない反論をしてくる」から教えてもらった伊藤博文という人物像に関するエピソードである。

伊藤博文「朝鮮は朝鮮人の手で経営できる」

伊藤博文が当時の朝鮮と朝鮮人に対して、どういう考え方を持っていたか、伊藤と直接接し、話を交わした同時代の人物による証言記録がある。

それは新渡戸稲造が書いた『偉人群像』(実業之日本社1931年)という本だ。新渡戸はこの本のなかで、「伊藤公は世間でも知る通り、『朝鮮は朝鮮人のために』といふ主義で、内地人の朝鮮に入り込むことを喜ばれなかった。(中略)ゆゑにしばしば公に日本人移住の策を献策しても採用にならなかった」とした上で、

朝鮮統監として京城(ソウル)に滞在していた伊藤を、新渡戸が訪ね、その時に交わした対話の内容を以下のように記述している。

<「朝鮮に内地人を移すといふ議論が大分あるやうだが、我輩はこれに反対しておるのじゃ」といきなり述べられたから、

「然し朝鮮人だけでこの国を開くことが、果してできませうか」といふと、「君、朝鮮人はえらいよ。この国の歴史を見ても、その進歩したことは、日本よりも数倍以上だった時代もある。この民族にしてこれしきの国を自ら経営出来ない理由はない。才能においては決してお互いに劣ることはないのだ。然るに今日の有様になったのは、人民が悪いのじゃなくて、政治が悪かったのだ。国さへ治まれば、人民は量に於ても質に於ても不足はない。」>(同書310頁)

「朝鮮は朝鮮人のために」と言い、「朝鮮人が自ら朝鮮を経営できない理由はない」とし、朝鮮人の才能、統治力に信頼を寄せていた伊藤を、なぜ安重根は暗殺する必要があったのか、不思議でならない。

森林資源の開発は「朝鮮の独立」に資する

また統監府文書「朝鮮の是正改善に関する協議会第9回」の中で、伊藤は朝鮮の貧弱な森林資源と、はげ山ばかりだった朝鮮半島の国土に対して懸念を示し、朝鮮の官吏らと一緒に朝鮮の森林資源を開発するための具体的な計画を立てるため、日本から「今川」と言う名前の専門家を招聘し意見を聞いた。今川の話を聞いたあと、伊藤は資金を集め、鴨緑江と豆満江の森林資源を開発する株式会社の設立を提案、そこには必ず朝鮮人の資本がなければならないと主張した。

「鴨緑江の森林資源を開発すれば朝鮮人に莫大な利益が戻ってくるだろう。猟師や農民らがこの森林資源から小さな利益を得るためだけに山を燃やしているが、一度燃えた土地は栄養が減少し、木の生長も遅くなるので取り締まる法律を作らなければならないだろう。このままにしておけば、この豊かな資源が徐々に煙になって消えるだろう」

「人々はよく朝鮮人は怠惰だと言うが、私が見るに精神と身体が非常に健全である。したがってこの森林の開発について政府が6割を負担し、残りの部分については朝鮮人と日本人が合作して合同会社を組織することを日本政府と交渉するつもりだ」

「木材を国内で生産すれば、今のように他国から輸入せずに自己の木材を利用して家を建て、船を作り橋を建設できるようになる。そうすれば、朝鮮の独立もようやく完全につながるだろう」

すべて伊藤博文の言葉である。

「両班と奴隷」、歪(いびつ)な身分制社会

「朝鮮人は自分でできる」と信頼し、具体的な方法を伝授してくれた人を、韓国では侵略の元凶、資源収奪の張本人、大悪人だと断じている。

なぜか?「韓国社会は自らの力で何かを成し遂げること自体を嫌っている」とキムチわさび氏はいう。「自らの力で独立した国を作れるはず」と言っている人を呪っているのを見ると、そう解釈するしかないとも言う。

例えば魚を釣る方法を学ぼうとするのではなく、魚を口に入れてくれることだけを望んでいる。これは「両班病」という一種の病なのかもしれない。

朝鮮は、両班と奴隷という枠組みに閉じ込められた奴隷制社会だったため、日本人が国を経営していく方法を一生懸命教えても学ぼうとせず、むしろ嫌っていた。両班たちにとっては収奪の対象である奴隷たちに教育の機会とインフラが提供されれば、自分たちの既得権が崩れる恐れがあった。一方、奴隷たちにとっても、いくら良いインフラができても、それを通してむしろもっと両班から収奪が強化されると恐れた。

両班と奴隷という視点でしか物ごとを見ないから、良いチャンスが与えられても、むしろそれを“悪”と解釈する奇妙なことが韓国では起きていた。

安重根は「両班」の利益を代表していた

安重根の裁判記録はすでにネット上でも多く知られている。彼が裁判で語った内容やその生涯の足跡を詳しく見ると、朝鮮人が独立した個人個人として国を経営していくことを一度も望んでいなかった。

安重根は現在の北朝鮮黄海道海州(ヘジュ)市にあった両班の家の長男として生まれた。一家は資産家で、多数の土地から小作料を取る大地主であり、祖父は県のトップを務めるなど、地元の名家だった。

そうしたなか、安重根一家は黄海道一帯で軍隊を動員して農民たちから勝手に税金を脅しとったり、両班による収奪に抵抗する農民を討伐したり、むやみに殺すなど横暴な振る舞いをしたことが多くの資料で証明されているという。

また、彼は誰よりも「日本盟主論」を訴え、日本が先頭に立ちアジアを導かなければならないと主張した。日露戦争で日本が勝利すると「黄色人種が勝利した」と誰よりも喜んだ。

伊藤は「朝鮮人もやればできる、朝鮮人自ら国を導かなければならない」と主張した一方で、安重根は「日本がリードしてくれなければならない」と言っていた。今の韓国にとって、どちらの主張が正しいかは明白なのに、それでも韓国人は安重根を英雄と称賛し、伊藤を大悪人だと断罪する。おかしくないか?

「韓国併合」に反対だった伊藤博文

伊藤博文といえば、併合強硬派の山県有朋らとは違い、むしろ韓国併合に否定的だった。日露戦争を終えたばかりの日本は、戦費による消耗もあり、貧しい朝鮮を抱え込むような余力はなかった。当時の朝鮮は閔妃や高宗の贅沢三昧で財政は破綻し、ロシアからの巨額の借金を抱えていた。

実は明治政府はそれまで既に2回にわたり、返済の目処が立たない朝鮮の借金を代わりに返済してあげていて、併合となればまた再び天文学的数字の借金を背負うことになるのだが、結局、明治政府は併合前にその巨額の借金を完済したのである。

具体的には、最初に朝鮮の政府が日本に借金の申し出をしてきたのは、1882(明治15)年で、その金額は17万円だった。これ以後も何度も100万単位で借款を供与し、結局は、韓国併合までに日本は朝鮮の借金を1000万円以上、肩代わりしている。

日本政府が朝鮮に金を貸し続けた理由は何か。1895(明治28)年、伊藤が帝国議会で述べたのは、『朝鮮の財政を支援するのは独立のため』だとしていた。(『伊藤公全集』第2巻「朝鮮国の財政援助」第8議会衆議院に於いて)

反日勢力無力化ブログ2018/10/16「日本が朝鮮の借金を肩代わり→戦争へ|戦犯朝鮮半島」

伊藤は、強引に併合を進めれば韓国人から強い反発を受けることを予想していた。ロシアから韓国を守るために近代化を推進し、自立できるまでは日本が保護する、たとえ併合するにしても一定の自治権は与える、と考えていた。

しかし安重根の蛮行により、伊藤はこの世を去り、それまで伊藤に遠慮していた強硬派が主導権を握ることになり、一気に併合の話が進み、伊藤の死からわずか10か月後、韓国は日本に併合された。つまり、韓国にしてみれば、安重根の「義挙」は裏目に出たというのが歴史的事実なのである。

当時の朝鮮は、日本に併合してもらわなければ国家存続は不可能な状態だった。WWUK氏は、韓国側が安重根たちを唆(そそのか)し、わざと反日煽動をやらせたという可能性も完全には排除できない、という。

また、伊藤が併合について慎重で否定的だったという事実を、韓国側が知らずにいたというのは、当時の韓国人の情報リテラシー、情報分析と読解力が弱かったということなのか。

いずれにしても安重根はテロリストであり、民族の英雄として称えられるような人物でないことは間違いない。

息子同士で和解は出来ていたのに

そんな安重根には息子がいた。安重根の次男、安俊生(アン・ジュンセン)は、事件から30年後の昭和14年10月16日に、日本統治下の韓国京城の朝鮮ホテルで伊藤の長男、伊藤文吉と面会した。このとき安重根の位牌を持参し、父の追善供養をしてくれたことへのお礼と、事件について父の罪を自分が贖罪して全力で報国の最善を尽したいと謝罪したという。

これに対し伊藤文吉は「お互いに仏になれば空に帰することなので今さら何の罪を詫びることがありましょう。今後はお互いの間に何のわだかまりもないのだから日本のために尽しましょう」と返答。安俊生もこれに同意し、互いに和解したという。

産経新聞2015/12/26「伊藤博文と安重根、息子同士は和解していた…歴史秘話満載『華族のアルバム』」

韓国では今でも「安重根の次男は親日派になって贅沢に暮らした。日本全国に行き、伊藤を射殺したことを父に代わって謝罪しますと演説して回った」と非難され、安俊生は「親日行為」により「民族反逆者」というレッテルを貼られている。

大韓民国臨時政府主席の金九は「民族反逆者に変節した安俊生(アン・ジュンセン)を逮捕して絞首刑に処しろと中国官憲に頼んだが、彼らが実行しなかった」(『白凡逸誌』p619)と書いている。

以上の話は、水野直樹(京都大学人文科学研究所)氏の「博文寺の和解劇」と後日談 : 伊藤博文,安重根の息子たち の「和解劇」・覚え書き」(京都大学人文學報 2011年3月)に詳しい。

韓国にとって、安重根は今後も「民族の英雄」であり続け、伊藤博文を暗殺したことは「義挙」であり、正しかったことだと教える以外に道はないのだろう。しかし、日本人にとって、多くの客観的な文献資料を見ても、当時の伊藤博文の朝鮮経営に関する考え方がそれほど妥当性を欠いたものだとは思われないことも事実であり、そうした評価の違いは日韓関係の改善が永遠に不可能であることを決定づけている。