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池田 元

4. 社員教育結婚紹介所

2012.04.30 22:46

習作 未公開作品

社員教育結婚紹介所


平成十年当時、日本は全く先行きの見えない不況の最中にあった。

社員教育の仕事は激減し、私の勤務先も業績が低迷していた。

しかし当時私の上司であったA所長は楽天的な性格で、

「なに、長くて来春までの辛抱だろう。本業で食えないなら副業をやりゃいいさ」

と言いだして社長を説得し、結婚紹介所の代理店の資格を取った。

A所長は私にもブライダル・カウンセラーになれと言う。

「結婚は人間学だ。社員教育の講師をする上でも、きっと今後の役に立つよ。この際、君も人間の幅を広げなさい。」 

三十五歳で独身、イケメンでも金持ちでもなく全く女性に縁がない。どう考えても私は他人様の結婚のお世話ができるような器ではなかった。しかし所長の命令に逆らって会社に居ても社員教育の仕事は無いのである。

私は恐る恐る結婚紹介所の本部なる所に講習を受けに行った。

本部の会長は七十過ぎの男性で、短躯ながら柔道選手のようにがっしりとした体格。脂ぎった大作りの顔をいかつい肩に載せている。剃り残された顎鬚が針のように尖っていて、まるで古狸のよう。いかにも押しが強そうで、叩き上げの梟雄といった面構えだ。

この日は会長が直々に講師を務めた。

二十人余りの参加者の内訳は、着飾ったおばさん達がほとんど。稀に見かける男連中の年齢と服装はまちまちで、私も含めて全員が居心地悪そうにもじもじしていた。

会長の講習は一方的な演説で、熟練した一人芝居を見せられているようだ。

「結婚相談業は誰にでもできるんです。資金はほとんど要らない。自分で用意するものは名刺とゴム印だけ。あとは全部本部で用意してあげます。だから安心しなさい」

太くてビンビン響く声で喋り続けて、有無を言わせない。

「あんた達、この仕事に誇りを持ちなさい。立派な社会貢献です。少子高齢化社会の人助けですぞ」

とはいえ会費を貰ってやることだから、抜け目なく立ち回らなければいけないらしい。

「チラシを見て問い合わせがあっても、電話では多くを答えちゃいかんよ。必ず来所させて一対一で顔を見て話しなさい」

ここで会長は、教卓越しに私の顔をじっと見つめて言った。

「カウンセラーがいくら若くてもね、初対面から自分を“先生”と呼ばせなさい。相談に来た人がどんなに偉くても、年の差があっても、決してカウンセラーの側がへり下ってはいかん。それから相手に自由に質問をさせるな。こっちからどんどん質問しなさい。それが主導権を握るコツだから」

そして今度は、もう成人した孫がいそうな年輩女性の方を見て、

「じっさい貴女がどんなに暇でもね、忙しさを演出しなさいよ。世の中は忙しい人ほど信頼を得られるもんだ」

会長の話は佳境に入り、さらに細かい営業ノウハウにまで及んだ。

男性の会員は大卒で金持ちを選べ。

条件が悪い男を会員に抱えると、あとで自分が苦労する。

ハゲは良いけどチビはダメ。

相談コーナーには百六十センチの高さの間仕切りを立てよ。入る時そこから頭が見えていない男は、チビだから断ること。

女性会員は十六歳から六十歳まで幅広く受け入れよ。

離婚歴は気にするな。子供も一人までなら大丈夫。

女の値打ちは顔ではない。ブスでも良し、美人ならなお良しぐらいに思え。

結婚させるまでが仕事。後の事は本人達の責任。

成婚した会員が離婚したら、女性に限っては再度受け入れても良い。

カウンセラーは肝に銘じよ。男は結婚を甘く考えており、女は極めて厳しく現実を追及するという事を。これを履きちがえると、不良債権のように結婚不可能な男性会員ばかりを抱えて、紹介所は倒産する。

会長の演説が終わるとすぐビールと寿司が振舞われて、まだ日が高いうちに講習は終了した。修了証を受け取り、これで私も立派な?ブライダル・カウンセラーである。帰りの電車でメモを見直したが、やって行く自信は全然湧かなかった。

私がいる社員教育事業部は、社長達が常駐する本社とは離れた、新宿の雑居ビルの中にあった。社員教育の看板の脇に結婚紹介所の看板も出して、ホームページと電話帳広告にはたっぷり予算をつぎ込んだ。

客の反応は予想以上に好調。来訪した人達は、

「ここは交通の便が良いですね」

「結婚紹介所だけの事務所よりも、人目を気にしないで済みました」

と言ってくれた。

A所長はセオリー通りに着々と仕事をこなす。

忙しい忙しいと言いつつ、二時間近くもバラ色の成婚秘話をして相手を酔わせるのがうまい。もちろん全部作り話だ。勿体をつけて異性のお見合い写真を見せる頃には、ちゃっかり半年分の会費一万五千円を受け取っていた。

入会金さえ支払えば、会員は何度相談に来ても良いルールになっていた。しかしそうなると今度は要望や不満もちゃんと聞かねばならない。

そんな時、所長は私を呼んで客の相手をさせるのだ。

自衛官で四十過ぎの熊のようなオジサンが来た。この人は年俸が高く貯金もあったので、すぐに相手が見つかった。宇宙ロケットを作っている博士は、青瓢箪のように冴えない顔立ちだったが、隣県の女性会員からオファーがあって結婚した。彼らは男だけの職場と官舎の往復で、出会いがないからと言って悩んでいたのだが、我々にとっては売れ筋の良い商品であった。成婚すると本人達から多額の謝金が貰えるのである。

女性会員で、親子三人同時入会した家族があった。離婚したばかりの母親とその娘たち。

母親は普通だったが、姉娘が二十四歳、妹娘は十九歳、女優かアイドルかというほどの美人姉妹だった。彼女達の写真が台帳に載ると、日本中の代理店から、所属の男性会員がお見合いしたがっているとの電話があった。彼女達は相手の条件を大卒で次男以下、年収二千万円以上と決めていた。それはこちらの台帳にもちゃんと書いておいたのだが、何故か怪しげな職業の人達から、

「年収条件だけは満たしているから」

と、積極果敢な申し込みが相次いだ。

それで嫌気が差したのか、いつの間にか3人とも退会してしまった。

所長に代わって客の話し相手をする時、私は自分が結婚していることにした。こんなことは社員教育講師をする上で、全然役立ちはしなかったが、居もしない妻の話をしたり、ありもしない結婚生活の自慢をしたりしていると、巧みに嘘をつく練習にはなった。

結婚紹介の仕事に燃えていたA所長がこれを見限ったのは、変な男性会員に居座られるようになったせいである。

その男は区役所の窓口に勤めていた。

いつもうちの会社が退ける頃にやって来て、舐めるような眼で延々と女性のお見合い写真を見、下らない世間話をして帰るのだ。年齢は四十半ば、実家は資産家だと言うが、いつも同じ擦り切れたブレザーを着て異様な体臭がした。しかも吃音である。

最初は公務員でもあり金払いが良かったので、所長は喜んで相手をしていたが、そのうち彼を避けるようになった。

「池田君、あとを頼むよ」

押し付けられた私が仕方なく話を聞いていると、公務員氏は我儘ばかり言う。まれに女性会員からオファーがあると写真を見て、

「へっ、こんなブス。誰が……」

などとうそぶく。自分だってチンパンジーと同じ程度の顔なのに、

「一度お会いになるだけでも如何ですか」

と勧めると、

「向こうさんが会いたいと言うんだから、俺の交通費を前払いで負担して欲しいですね」

と宣った。

「とんでもない。男性側が最初からそんなケチなことをおっしゃると、女性側のイメージを損ねますよ」

と私がたしなめると、

「センセイは、どっちの味方?」

と文句を言う。こんな奴に無理矢理“先生”と呼ばせても、こちらのやる気は衰えるばかりである。

ある時、その公務員氏がベルも鳴らさずに、ドアの前でじっと立っていたことがあった。

トイレに行こうとドアを開けた女子社員がびっくりして悲鳴を上げた。公務員氏は何も言わずにニッと笑ったという。あいにく私は地方出張に出ていて留守。A所長が直接応対をしたがどうも様子がおかしい。話がちぐはぐで噛み合わないのだ。

「あの人、とうとう狂っちゃったのよ。目つきがおかしかったもの」

女子社員達はひどく怯えて所長に猛抗議し、我が社はついに結婚紹介所の看板を下ろす事になった。連盟本部には休会届を出し、公務員氏には手紙で休業を伝えて入会金を返還した。その他の継続していた会員達は隣接する代理店に預かってもらった。何でもそうだが、始める時に比べて畳むときはあっと言う間だ。

「もし押しかけて来るような事があったら警察を呼べ」

と所長は言ったが、幸い彼は姿を見せなかった。

その後、公務員氏がどうなったかはわからない。

私はと言うと「結婚は人間学だ」という教訓こそ身を持って得たものの自分自身の人間の幅は広がらず、ただ何となく、

「できる時にしておかないと、結婚なんて一生できないぞ」

と、焦りを感じるようになったのであった。


執筆時期|2012年

作品の舞台|社員教育研究所

媒体露出|非公開、習作



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