「しみんけんきゅう」とは
恩師でもある末石冨太郎先生の「しみんけんきゅう」論文を再読。吹田市市民研究所をたちあげられた経緯などなど。なんども読んではいたのだが、あらためて。やはり、素人としての発想力や、学会や学者だけに閉ざされてはいけないという主張は今でも。ということは、変わっていないということかな。
とはいえ、ネット時代において、学会以外にも(むしろ学会の存在価値?)発表の場はあるので、しみんけんきゅうのアウトプットは自由になっている。フリーで読めない学会誌はほんとにその学会員だけに開かれているということか。
大学を離れると、「論文取り寄せ(複写サービス)」が不便になるのが困ったこと。まあ、私もしみんけんきゅういんな訳だが。大学図書館を通じて全国どこでも複写サービスを利用でき、論文や雑誌記事を取り寄せることができた(有料)。この複写サービスが、公立図書館を通じてするとなると、けっこう面倒くさい。できるのか?たぶん、保管図書館に対して郵送などで複写サービスを依頼しなければならない。。。大学図書館だと、こちらがリストをおくれば、複写手続きをしてくれていた。あー面倒くさいことしてくれていたんですね。怒濤の論文リストをがんがんと依頼したこともありました。ありがとうございます。
いやしかし、「既往研究のサーベイ」という、研究の初歩もたいへんな時代だなと思います。わたしたちの時代はまだネットがなく、アナログで先行研究をもとめていたのですが、どんどんと研究や関連書籍は爆発的に増えるので、同じテーマでも先行研究を追うのもたいへんですねえ。減ることはないのだし今は、近年に限るとか指導しているのだろうか。でも、古典にもヒントはあるので難しいところですね。
また、web上にあふれている言説にまどわされずに「問い」をたてられるのかということもたいへんそうです。昔は、wikiやweb にある情報は使うな ですみましたけれど、今はそうもいかないでしょうね。webの方が進んでいることもあるだろうし。。。
で、データサイエンスがはやっていますね。市民もデータを使えるようになると良いなと思います。「しみん向けのデータサイエンス」といったこともしていきますかね。ニーズあるかな。一方で、データのウソも意識しないと怖いですし。さらに、あるデータを利用するだけでなく、自分自身でデータを採取するといったことも知っておくとよいですね。データはオリジナルだと価値はあがるので。
データをいじる市民も必要だけれど、データを持っている市民もまた強いのでは。ああ、オリジナルデータもっているなら、研究者にも勝てる?し。