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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

印象派革命3-モネとジャポニズム

2023.02.01 11:40

1876年、印象派の画家モネは、第二回印象派展に、「ラ・ジャポネーズ」を出展した。モデルは彼の妻だが、いかにも日本ブームに乗った絵である。この絵は、日本趣味のコレクターに売って金を稼ごうとして描き、2000フランで売れたが、画家はそのことを恥じて「がらくたの気まぐれ」と言った。

しかしモネは、それより前に日本の浮世絵などを収集しており、231点にのぼっている。西洋絵画は聖画から始まり、ダ・ヴィンチのように、目の前の現象ではなく、その奥の真実を描こうとしてきた。しかし色彩科学は、色とは光が網膜に映る映像にすぎないことを示した。

日本の浮世絵は、聖画とは別に庶民のプロマイドや観光案内として発達した。印象派の画家は、本質ではないただの風景が、いろいろな視点から変わって見えることを発見したのだ。そしてモネは77年「サン=ラザール駅」の連作に取り組む。これは北斎のさまざまな富士の絵の連作に影響されている。

実は、フランスも鉄道が延びてパリっ子達は週末には郊外でレジャー楽しむことができるようになった。サン=ラザール駅はその出発点である。印象派の画家達は、その列車に乗って郊外で余暇を楽しむ人たちを描くことになる。モネも「舟遊び」を描くが、舳先の大胆なカットはやはり浮世絵の影響である。