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ささみのノート

電車への恐怖心

2018.04.26 23:45

元気な時はそれほどでもなくて、ふつうに生活できます。

調子悪い時に電車に乗るのが結構ストレスになるという話。



※内容がきつめなので閲覧注意






事の発端はNの死でした。それは生活圏内の、よくよく知っている踏切での事故だった。

その瞬間を見たわけではない。けれど、ニュースの内容で場所もすぐにわかった。家の場所からして、だいたいこんなルートで移動して、この時間のこの方面の列車ということはスッと入り込むだけで線路はすぐ近かったはず。

鮮明に想像ができた。

なんなら車体のどの部分がどう接触して人体がどうなるかまで想像した。これはよく知らないから本当に想像にすぎない。車体が轢く時の音。それから長い警笛が鳴らされて、事故の報せがなされる。


そんなことまでリアリティをもった映像、音が頭の中にできあがってしまった。


そのあと電車に乗る機会はたくさんあった。

その度に大きな金属の塊の質量に圧倒される。ホームの内側でお待ちください、そんなアナウンスがとても大切でもっともなものに思える。あんな危険が側を走っているのにホームギリギリのところをわざわざ急ぐやつがあるか。ホームの端からかなり下がって待つようになった。



Nの事故の直後は電車が怖かった。葬儀も本当は電車移動できたのだが車で送ってもらってしまった。

まず恐怖の直接の原因は音だった。車内のガタンゴトンっていう音、ブレーキの音、電車どうしがすれ違う時の音。それから何より怖かったのは警笛だった。長いと余計に。


電車の車体の質量、コントロール不能な存在を感じさせる。人ひとりくらいなんでもなく破壊して通過してしまえる大きなもの。それが身近に、触れられる距離にあること。

そんなことが実感されてしまって、電車そのものに恐怖を感じるようになった。


元気な時はこの限りではない。



少しずつ慣らして、今では乗ることには乗れるようになった。でも音が気になったり、それがストレスになることはままある。電車が人ひとりに対しては大きすぎるものだという意識は強い。



人が轢かれる瞬間のイメージの人が私にすり替わった空想を時々します。そうなりたいわけじゃ決してない。それに遺体はきれいにこしたことないという理由でそれを却下している。


電車がかつてのように何でもない交通手段だと思えるにはまだまだ時間がかかりそう。ひょっとしたら怖いままかもしれません。