「フランスの守護聖女ジャンヌ・ダルク」①
フランス人で、世界中で有名な人物ナンバーワンの男性と言えばナポレオン。では、女性は?ジャンヌ・ダルク。一体彼女はどんな人物か?
1429年、ジャンヌ・ダルクが歴史に登場した時、フランスは王位継承をめぐるイギリスとの「百年戦争」のただなかにあった。しかも1415年以降、フランスはイギリスに連戦連敗。1418年にはパリも奪われ、北部フランス全体がイギリス側の手に落ち、正当な王位継承者であるはずの王太子シャルル(のちのシャルル7世)は戴冠式を挙げることもできぬまま、失意の日々を送っていた。そのシャルルのもとへ、「神の声を聞いた」17歳の少女があらわれ、対イギリス戦の命運を決するオルレアンの戦いを勝利に導く。そして、歴代フランス国王の戴冠式が行われてきたランスに赴き、シャルルをフランス国王として戴冠させた。長いヨーロッパの歴史の中でも、まれに見る奇跡的事件。しかしその後、イギリス軍の捕虜となり、宗教裁判で異端の宣告を受けたジャンヌはルーアンで火刑に処せられた。オルレアン解放から2年後のこと、わずか19歳の短い生涯だった。
今では、フランスでのジャンヌ・ダルクは愛国心とナショナリズム、篤いカトリックへの信仰という要素がミックスした民族の誇りと象徴になっているが、18世紀までは救国の英雄どころか、魔女扱いされたり、必ずしも尊敬崇拝の対象ではなかった。
「当時、多くの人がジャンヌについて語ってはいるが、それは感動や尊敬の念からではなく、単なる好奇心からだった」(歴史家ホイジンガ)
それが、フランス革命によって近代国家フランスが生まれる19世紀から、ジャンヌ・ダルクは救国の英雄として国民的規模で賞賛の対象になり始める。1803年、ナポレオンはこう書き記した。
「フランスの独立が脅かされる時は、優れた英雄が出て必ず奇蹟をもたらしてくれることを、あの有名なジャンヌ・ダルクは証明している」
ジャンヌの生涯は、あまりにも神秘的で謎に満ちており、合理的な思考では理解できない面があまりに多い。死後600年近くたった今でも強烈な光を放ち続けるそんな彼女を通して、フランス人の精神世界の一端に触れてみたい。
(ジュール・ルネプヴ「火刑に処せられるジャンヌ」パンテオン) 部分
(シャルル・アマブル・ルノワール 「ジャンヌ・ダルク」 個人蔵)
(ジュール・ルネプヴ「オルレアン包囲戦でのるジャンヌ」パンテオン)
(ドミニク・アングル「戴冠式のジャンヌ」ルーヴル美術館)
(ヘルマン・スティルケ「火刑台のジャンヌ・ダルク」エルミタージュ美術館)