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「理不尽さ」は俳句を活かすエネルギー

2023.02.04 07:41

https://news.livedoor.com/article/detail/15425475/ 【「理不尽さ」は俳句を活かすエネルギー。北大路翼×戦慄かなの】より

俳句甲子園や「プレバト!」をきっかけに、競技人口がじわじわ増えている俳句。その上達法を探るシリーズ「俳句hike」、第2回は「歌舞伎町の松尾芭蕉」こと北大路翼さんが運営するディープなバー「砂の城」が舞台。

大森靖子さんに見出され、「ミスiD 2018」サバイバル賞に輝いた戦慄かなのさんが来店。「ギャンブルをやったほうがいい俳句ができる」と語る北大路さんと、少年院時代に俳句賞を獲得した戦慄さんのパワフルすぎる異業種対談!

強烈な人生は句を作るエネルギーになる

北大路 対談に入る前に…はい、お祝い(花束を渡す)。こないだ20歳になったでしょ?

戦慄 わ〜!かわいい!

北大路 これで悪いことがなかなかできなくなったね(笑)。

戦慄 少年法の適用対象から外れて、晴れて大人になりました(笑)。

北大路 今日は、少年院時代の話とかしていいの?

戦慄 ぜんぜんできます。児童虐待を減らすNPOを立ち上げるから、自分の経験談もどんどん発信していきたい。

北大路 ぼくは、かなのさんみたいな人のほうが俳句に向いてると思ってるんだよね。だから呼んだ。最初に会ったのが、「SUGARと辛酸なめ子のあまから秘宝館」というネットの占い番組で。ふたり一緒にゲストとして呼ばれたんだけど。占い番組だから生い立ちを語るんですよ。

戦慄 そうそう。親に虐待されたこととか語った。

北大路 かなのさんの強烈な人生は句を作るエネルギーになると思った。

戦慄 わたしほんとにぜんぜん俳句やったことなかったんです。でも、少年院で俳句大会に参加しなくちゃいけなくなって。早く出所したいから、真面目に作ったの。ハートフルな句が受賞してるから…。

北大路 こういうのがウケるんだなって狙って?

戦慄 そうそう。そしたら、少年院の全国大会で金賞を取って。

で、この前の番組でも、北大路さんといっしょに俳句を作ったんですよ。そのときはアウトローに寄せて、わざとやんちゃな句を作っちゃった。

北大路 地上波ではとても放送できない句をね(笑)。

戦慄 ここでも言えないですね(笑)。

密室でのパニック体験

北大路 少年院に入ったのは何歳なんだっけ?

戦慄 入ったのが16歳で、2年間いて。18歳で出てきた。……やばい、虫がいる!イヤ!

北大路 ゴキブリだと思う。ちなみにゴキブリは夏の季語だね。ここ(砂の城)で作った句もある。

ごきぶりを笑へる飲食屋でありたい 北大路翼

戦慄 え〜〜〜マジで無理!無理無理!助けて!

北大路 (しばらくバタバタして)、もう大丈夫。死んだ死んだ。

戦慄 は〜良かった…。「少年院出身なのに?」って思われそうだけど、めっちゃ虫苦手で。

北大路 まあでも、この店よりは少年院のほうが綺麗でしょ?

戦慄 いやーでもね、単独寮でゴキブリが出たことありました。少年院って、普通は集団寮なんですけど、単独寮っていう…、

北大路 独房みたいなとこでしょ?

戦慄 そうそう。食べ物を受け取る小さな投入口があるだけで、窓も開かないようなところ。先生でも独断でドアを開けられないんです。そこでゴキブリが出たもんだから、「開けてー!」って叫んでも、無理で。会議して上層部の許可が下りないと開けられない。これでなんとかしてって小型の掃除機渡されて。頑張って吸い込んだんですけど、威力なさすぎてまた出てくるの。ほんとにパニックになりかけた。

壁を見つめる日々

北大路 単独寮っていうのは、懲罰房なの?

戦慄 「内省」って言って、ひとりになりたいときに自発的にそこに入ることはできます。でも、罰で入れられることが多いです。4畳ぐらいの狭い空間にベッド、机、トイレがあって、歩けるスペースがほとんどない。

北大路 じゃあベッドの上でぼーっとしてるだけなんだ。

戦慄 日課中はベッドにいちゃいけないの。謹慎中はなにもすることがなくて、机に座って壁を見つめるしかなかった。そうやってなにが悪かったのか、自分の心の内側を見つめ直すしかなかったの。

北大路 うんうん。

戦慄 だって壁しかないから。

北大路 いいね。今ってさー、考える時間がなさすぎじゃない。

戦慄 そうそう。

北大路 ぼくの句会仲間に、ムショ上がりのKAZUっていう奴がいるんだけど。彼はね、自分を見つめる癖がついていて、ツイッターで俳句を発表したあとも、何度も推敲を繰り返すのね。どこかに閉じこもる経験っていうのは、俳人におすすめ。

戦慄 少年院に入って、自分を見つめて、あれやりたいこれやりたい、だからそれを叶えるために具体的にこういう行動を起こそうって、考えることができるようになりました。入ってなかったら、ろくに就職もできなかっただろうな。

私、中卒だったんですよ。高校中退してたんで。少年院で高卒認定を取らなかったら大学にも行けなかった。

猛スピードで成功の道へ

北大路 でもさ、たぶん、入っても変わらない人もいるじゃん。変わる人と変わらない人の差ってなんだと思う?

戦慄 行動力!(即答)

北大路 やりたいことがあるかないかってことかなー。結局なー。

戦慄 でも、少年院に入ってる間に将来への期待がぱんぱんにふくらんで、理想が高くなっちゃう子も多いんです。出てきたときに、選択肢が膨大にありすぎて、逆になにから手をつければいいか分かんなくなっちゃう。理想の自分と、なにもできてない現実の自分。そのギャップを受け入れられなくて、またグレる。

北大路 かなのさんが少年院を出て最初に手をつけたのはなんだったの?

戦慄 法学部に行きたくて大学受験の勉強を始めました。

北大路 やっぱね、悪い奴は法律をやるんだよ(笑)。

戦慄 ちがーう! 少年院にいるときに、法務教官になりたいなーって思ったの。受験勉強と並行して、講談社のアイドルオーディション「ミスiD 2018」を受けました。サバイバル賞を受賞して、大学にも受かり。

北大路 いまやっているアイドルグループZOCはどういう経緯なの?

戦慄 「ミスiD」の審査員にいた大森靖子さんが私のことを気に入ってくださって、今年の夏にお誘いがきました。今、大森靖子さんと一緒にアイドルやってます。

北大路 まさに今がスタート地点、みたいなかんじだね。

戦慄 はい。それで、「ミスiD」のサバイバル賞を受賞したときには、フォロワーが3万人を超えてたんですよね。法務教官になるよりも、自分の拡散力を使ってなにかを伝えていったほうがいいんじゃないかって思ったんです。人に相談したら、NPOの設立を勧められました。

NPOの代表理事は、20歳にならないと難しいので19歳のうちにコツコツと準備してました。いまはbaeというウェブサイト(https://www.dear-bae.com/)しかないですけど、11月からクラウドファンディングをやって、年内にはNPOを設立する予定です。

虐待されているこどもたちの居場所を作りたい

北大路 NPOではなにをしたいの?

戦慄 私は親から虐待されてたとき、家から出るのが怖くて、誰かに助けを求めることもできなかった。支援の場所を知るすべもなかった。そういう子たちを救うにはどうしたらいいんだろう? って考えたところから始まりました。少年院って、家族関係に問題を抱えている子が多くて、そういった子って心理学に興味を持つことが多いんですね。

なので、少年院を出た子が心理学について学んで、カウンセラーになることができるような研修事業がしたい。虐待経験者が虐待児のケアをするサイクルを作りたいんです。少年院を出た人がカウンセラーになって、経験者として子どもたちに寄り添ったりできるような、そんな〈居場所〉を作れたらいいなと考えています。やりがい搾取はしたくないので、カウンセラーにはちゃんとお金を払いたいです。

北大路 うんうん。

戦慄 あとは、講演会などで自分の経験を話して、いろんな人に知ってもらえたらと思っています。

アウトロー俳句に触れて

北大路 そうそう、この本を読んでもらいたくて(『新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」アウトロー俳句』を手渡す)。

戦慄 これは、ここ(砂の城)に来てる人たちの俳句集? すごい世界観!(ぱらぱらと見ながら)、これ、だいすき。

駐車場雪に土下座の跡残る 咲良あぽろ

北大路 いいでしょ、それ。

戦慄 こんな句見たことない。すごい。いろんな想像のしかたができる。〈ホスト同士の小競り合いでよく見かける〉って注釈が入ってるけど、私はそういう印象は受けなかった。小競り合いっていうよりもっとハードな、北野武の映画のワンシーンみたいなのを想像して、カッコいいなーって思っちゃった。

北大路 土下座、最近あんまり見なくなったよね。

戦慄 うん。ってかふつうしないでしょ。

北大路 やっぱり土下座は100万円以上の利害関係がないとね。

戦慄 自分と感性が似ててびっくりしたのが、

軽トラで持つていかれたぬひぐるみ YUDU

注釈に〈泣いている女の子は作者自身か。トラウマな「ドナドナ」(仔牛の歌)〉ってある。私、ちょうど今日、インスタにぬいぐるみの写真をあげて「闇市に出荷。ドナドナ」って書いたんですよ。家に大量にあるぬいぐるみを、一昨日ぐらいからずっと洗ってたの。水を吸った、うつろな目のぬいぐるみが置かれてるのを見て、「ドナドナ」の歌を思い出した。

北大路 「ドナドナ」のテーマは、理不尽な親子の別れだからね。

戦慄 もうすぐ親から離れて引っ越すんです。それで、ぬいぐるみの里親会に送るために洗ってました。ぬいぐるみとの別れでもあるし、親との別れでもあって…。

振り切れてる人間のほうがいい

北大路 ぼくは、合理的な考えが嫌で、理不尽なことがすごい大好き。ギャンブルなんて理不尽の最たるものだから好き。運命って分かんないから楽しいわけじゃん? そのへんどう思う? 自分も理不尽な目に遭ってきて。

戦慄 大好きです。理不尽好きだし、理不尽な人も大好き。理不尽な人って、いらっとするんだけど、ちょっと愛おしくないですか?

北大路 うんうん。

戦慄 いいですよね。

北大路 理にかなった巧い俳句より、巧さを外れた理不尽な俳句のほうがエネルギーがある。やっぱり俳句もエネルギーが大事だと思うんだよ。人間は絶対値で見るべき。どっか振り切れたほうがいい。

戦慄 絶対値?

北大路 絶対値っていうのは、プラスマイナス関係なく数字を見るのね。たとえば、マイナス80も、プラス80も、「80」になる。ぼくは、60点の奴より、マイナス80点の奴のほうが、振り切れててカッコいいと思う。だからかなのさんも俳句に向いてる。

少年院俳句に挑戦!

戦慄 俳句を書くときのコツが知りたい。

北大路 やっぱ、寂しさだよね。

戦慄 寂しさ?

北大路 寂しさとか、悲しさとか、そういう負の感情。それこそ俳句にするべきだとぼくは思ってる。ちょっと作ってみる?

戦慄 やってみます!

北大路 今日、いろんな話が出てきたけどさ、理不尽な経験をしたこと、内省したこと、それはぜんぶ俳句にも繋がっているわけです。

戦慄 どうやったらいいの?

北大路 テーマを決めて自由に作ってもらったほうがいいかもね。自分の経験にもとづくことを575にしてもらえたら。お題、なにがいいかな。

戦慄 少年院のことでもいい?

北大路 いいね。ぼくも想像の少年院で作ろうかな。テーマ、少年院の思い出。季節感はあるといいけど、なくても大丈夫。

戦慄 お手本さー、見せてよ。先に作って。

北大路 わかった。いっこできた。

戦慄 お、はやい。

北大路 これね。

手錠(わっぱ)より丸が欲しくて文化祭 北大路翼

北大路 ま、こういうかんじで。

(そこに外国人客が飛び込みでやってくるが、価格が高いとゴネらて、店長のてんぐちん[天狗面をかぶった女性]が「二度と来んじゃねえ!」と追い返す)

北大路 今のセリフを拾ってできた。

渡り鳥ここには二度と来んぢやねえ 北大路翼

戦慄 あははは! ウケるんだけど〜!

北大路 少年院を出る人への言葉に変換した。

戦慄 最高!

北大路 こういうふうに、印象に残った言葉と季語を組み合わせるやり方もあるよ。

戦慄 なるほど。

北大路 取り合わせって言って、季節のイメージと、それ以外のイメージとを組み合わせる。たとえば、5音の季語とそれ以外の12音を組み合わせると俳句になる。夏井いつきさん(第5話に登場)とかがよく勧めてるやり方ね。

戦慄 急に書くとなると難しいな。

北大路 先生(法務教官)との会話とか思い出すといいんじゃない? あとは道具とか物品のことを書くとかさ。なにかアイテムを決めよう。

戦慄 決めてー。

北大路 独房はどう? 「独房や」ではじめようか。

戦慄 独房? オッケー♪

北大路 橋本夢道という、昭和時代に治安維持法違反容疑で逮捕された自由律の俳人がいてね。獄中句がいいんだよね。

うごけば、寒い 橋本夢道

すごいよね。他にも、

からだはうちわであおぐ 橋本夢道

とか。

戦慄 できました!

独房やしもやけになっても打つ手なし 戦慄かなの

北大路 おおー、いいね。しもやけ、冬の季語だし。

戦慄 なんか私、冬に問題を起こして、少年院で迎えた二度の正月を両方、独房で過ごしたんです。少年院あるあるで、冬の独房って、絶対しもやけになるんですよ。集団寮だと足湯に入れるし暖かいんですけど。で、しもやけで腫れて痛いのに、何もしてもらえない。靴下を履けって言われるだけ。でも靴下も配布されてるのは2枚しかなくて。

北大路 今の話を聞いてできた。

独房や壁より薄い掛布団 北大路翼

戦慄 これ、どっちかっていうと、留置場ですよね(笑)。

北大路 そうだね。あとね、ぼくの句で、

孤独死のきちんと畳んである毛布 北大路翼

っていうのがあって。ぼくはアウトローっていうより、意外と社会派ですよ。

戦慄 すごくいい。

出所したときの気持ちを句に

北大路 もう一句ぐらい作ろうか。「出所して」はどう? 出てきたときの気持ちを句にする。

戦慄 わかった。

北大路 できた。

出所して借りたライターポケットに 北大路翼

外に出て煙草を吸うんだけど、ライター持ってないから借りて、嬉しくてもらって帰っちゃうみたいな。でも、冬の季節感がないかな。

戦慄 うーん、悩むなあ。

北大路 なんでも俳句になるんだよ。だいじょうぶ。

戦慄 う〜…。はい。これはどうかな?

出所して牢屋の安心感を知る 戦慄かなの

北大路 中のほうがいいんだ。

戦慄 閉じ込められてたけど、その分自分を攻撃してくるものから守られてたんだって、出てきて初めて気づく。ただの罰だったわけじゃないんだって。外に出たら、自由だけど、いろいろなものに晒されて、戦わなきゃいけない。

北大路 そうやって外に出たかなのさんが、いま、NPOを立ち上げて誰かの居場所を作ろうとしてるわけだよね。

戦慄 はい。子どもたちの居場所を作りたい。

北大路 ここ(砂の城)でやってる屍派の句会も居場所なんだよ。大人の精神的孤児みたいなのがここに集まって、俳句で再生する。そういうイメージでやってる。自分の〈場〉を作る、見つけていく。それって大事なことだよね。

俳句歴30年以上の北大路さんと、句作は人生で3度目というかなのさんの対談は「振り切り」「寂しさ」など、重要キーワードが次々に飛び出す展開となりました。次回は俳人・佐藤文香さんが「スーパーニート」phaさんと一緒に「俳句の遊び方」を考えます。

<第3話の公開は10月23日(火)予定>

撮影/尾藤能暢 取材・文/与儀明子 監修/佐藤文香 デザイン/桜庭侑紀

撮影協力/砂の城(東京都新宿区歌舞伎町1-3-10)

【出典】

『新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」 アウトロー俳句』北大路翼 編,河出書房新社,2017

『無禮なる妻 橋本夢道句集』橋本夢道 著,未來社,2009

『天使の涎』北大路翼 著,邑書林,2015

北大路翼(きたおおじ・つばさ)

新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」家元。河出書房新社より『アウトロー俳句』発売中。

2018年12月に左右社より「いま死にたい人のための俳句入門(仮)」を刊行予定。

Twitter(@tenshinoyodare)

戦慄かなの(せんりつ・かなの)

アイドルグループZOC(@ZOC_ZOC_ZOC)、

姉妹アイドルfemme fatale(@femme_iDOL)メンバー。

bae(ベイ)にて児童支援活動を予定。


https://www.asagei.com/excerpt/104852 【アウトローも変心させた「仏教の名言」(1)煩悩とつきあうために】より

 週刊アサヒ芸能連載「カネを動かす実戦心理術」でもおなじみの向谷匡史氏が2008年に刊行した「ヤクザの人生も変えた名僧の言葉」が、このほど文庫化(幻冬舎アウトロー文庫)された。向谷氏は、安藤組組長から映画界に転身し、俳優や映画プロデューサーとして活躍した安藤昇氏(2015年没)らとの出会いをきっかけに、自身も週刊誌記者から作家となり、さらに浄土真宗の僧侶、保護司としてヤクザ社会の人々と交流してきた。仕事(シノギ)や組織の中での生き方、さらに生死と向き合わざるをえないヤクザたちの人生を変えた仏教の名句・名言とは何か。このことを探ることで、現代を生きるサラリーマンにも通じる心のサプリメントとしたい

 ヤクザを変えた仏教の名言を集めた理由を向谷氏は次のように説明する。

「ヤクザというのは、煩悩が凝縮した世界です。高級車に乗り高級時計を身につけ肩で風切って歩く。見栄であるとか、金や名誉という一般人の世界でも持っている欲だけれど、それが凝縮されている。そういう彼らが、名僧たちの警句に触れて考えるところがあるというのを、私は週刊誌の記者時代から目の前で見てきた。彼らでさえ変える仏教の言葉は、我々一般人にとっても意味を持ってくる」

 そのうえで、向谷氏は、

「ヤクザというのは、見栄を張るということがシノギに直結しています。一般のサラリーマンたちも同じことで、バリバリやっているヤツのところに仕事やお金も集まってくる。『ヒマで何かない?』なんて言ってたら仕事なんか来ませんよ。年を取って年金暮らしになったりするとジャージを着てゴロゴロする人も多いけど、あれは対外的に見栄を張るという意識がないからです。自分をよりよく見せようという前向きな意識があれば、見栄にこだわるし、見栄にこだわれば前向きな意識がついてくるものです。ヤクザもカタギも、男は見栄を張らなくなったら終わりです」

 見栄を張るのにいちばん手っとり早いのは、オシャレだという。

「別に高いものを着る必要はないけれど、オシャレをして自分を駆り立てていく。持ち物でも100円のボールペンじゃなく、ちょっと高価な万年筆を買ってみることで、テンションが上がって何か書いてみたくなる。気に入った見栄えのいい靴やズボンをはいたら歩きたくなる、出かけたくなる。男は中身が大事と言われるかもしれないけれど、見栄という煩悩は大事であり、生きる原動力なのです」(向谷氏)

https://www.asagei.com/excerpt/104856 【アウトローも変心させた「仏教の名言」(2)迷いから逃れたい】より

「煩悩があるから今を頑張ることができるとも言えるのです。そういう自分を知るということが大事で、その気づきを与えてくれるのが、仏教名句です。仏教名句に触れた時、ヤクザであれ一般人であれ、自分に引き寄せて考え「あ、これは思い当たる」ということが必ずある。読む人によってその解釈は違ってくるけれど、正しい解釈でなくてもそれでいい。私の本では、その言葉の由来や解釈を解説すると同時に、ヤクザたちが、勝手に解釈して生活の糧にしているというエピソードを書いています。大事なことは、そういう言葉に出会ったら、書き留めておくことです」(向谷氏)

 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや(親鸞)

 という浄土真宗の開祖・親鸞の有名な言葉。が、迷いから逃れられない煩悩具足の凡夫(悪人)こそが救済の対象。煩悩とつきあっていれば極楽に行ける、ということなのだ


https://www.asagei.com/excerpt/104860 【アウトローも変心させた「仏教の名言」(3)不平不満を収める】より

 人在世間愛欲之中 独生独死独去来 身自当之 無有代者(釈迦)

「『人、世間の愛欲の中にありて、ひとり生まれ、ひとり死し、ひとり去り、ひとり来る。身みずからこれを受け、代わる者あることなし』と読みます。人というのは一人で生まれ、またたった一人で死に去っていかなければならない存在。我が子が頭が痛いといっても、母親がその痛みを代わってやることはできない。自分の人生は結局、自分で引き受けていくしかないのです。私が盲腸になったとして、他人が入院して手術を受けることはできない。それはヤクザ社会でも因縁をつける時に『わしがイモ食うて、あんさん屁ぇこきまんのか?』なんて詭弁で相手を追い込んでいきますが、『独生独死』、そういう覚悟があって初めて人とつきあったり、笑ったり泣いたりできる」

 自灯明、法灯明──自分自身を拠り所とし、他の者を頼ってはいけない。法を拠り所とし、他の者を頼ってはいけない(釈迦)

 というのは、釈迦最後の説法とされる言葉。

「悟りは人から教わって得るものではなく、自分と法(仏法)を頼りにみずから至るものだという教えです」

 向谷氏はこの法を「ヤクザの法=任侠」に当てはめる。ひとたび抗争が起これば否応なく生死のはざまに身を置く極道として、自分と自分が信じる任侠道を生きる指標にしたという人物に、かつて出会ったことがあるという。

「仏教の『諸行無常』という考え方は、全ては移りゆき常に一定ではないということですが、現状を全て受け入れていくしかないということです。人間の細胞にしても考えにしても、全て日々刻々変わっていく。裏切られることもあるだろうし、裏切ることもあるでしょう。さらに『因縁生起(いんねんせいき)』といいますが、物事は縁によるということで、それもまた受け入れるしかない。私たちはなかなかそれを受け入れられないから、いろいろな不平不満が出る」

 例えば、朝、家を出る時に妻と喧嘩して頭にきたとして、それで財布を持って出るのを忘れたとする。

「するとカミさんがよけいなことを言ったからオレは財布をうっかり忘れたんじゃないかと思いたがるけれども、そもそもなんで喧嘩になったのか。すると昨夜も遊んで夜遅くに帰ってきたことだったり、さらになぜ遅くなったのかといえば仕事が忙しかったから。ではなんで忙しかったのか、なんでその会社に入ったのか、ずーっと遡って考えてみると、生まれた時にまで遡ってしまうわけです。いろいろな因縁や因果が網の目のように重なって、今朝女房と喧嘩して財布を忘れたことにつながってくる。私たちは一つの原因から考える『単因論』で見ていくから、女房が悪い、社長が悪い、部下が悪いというふうになるんです。ところがそこに至るには、この世に生を受けたところまで遡る因縁がある。一つの要因だけを追及しても無意味なんです」


https://www.asagei.com/excerpt/104864 【アウトローも変心させた「仏教の名言」(4)転職したいと思ったら…】より

 向谷氏は、僧籍を持つ前の50歳の時に地域の人の推薦を受けて保護司を引き受け、少年から60代以上のヤクザまでさまざまな人間に出会ってきた。

「その中で感じたのは、ヤクザでも暴走族でも、自分でアタマをとったことのある人間は、必ず刑務所を出てから、それを続けるにしろ再就職するにしろ、それなりにうまくやっていける。『独生独死独去来』の覚悟を持って、自分がはいずり回り、全て自分で引き受けていくという覚悟のある人間でなければ、うまくいかない」

 道心の中に衣食有り、衣食の中に道心無し(最澄)

「志を貫けば、日々の糧がついてくる──こういう仕事に就きたい、転職したいと思う時に不安を抱くのが人間ですが、道を究めようとする心があれば、おのずと衣食はついてくるということです。週刊誌の記者時代にある先輩がいましたが、有能な彼はやがて、フリーライターとして独立したものの、食うために居酒屋のアルバイトをしていました。それがやがて、ライターの仕事より生活のためのアルバイトのほうの比重が高くなっていった。つまり衣食のことを先に考えると志は挫折してしまうのです。私自身もこうして物を書いたりする仕事をやるには、さまざまな迷いがあったわけですが、好きなことをやるのに迷っていては、結果としてメシも食えなくなると知ったのです。サラリーマンでも、営業なら営業のノウハウを確立するという志を持って、嫌々ながらに仕事をするのじゃなく『天職』と思ってやっていく先に志がくっきりと見えてくるはずです。仏教は、今を考えるものです。『今、今、今』の連続が仏教の基本的な考え方ということも言えます。未来は、未だ来たらざるものと書きますが、過去も過ぎてしまって手の届かないもの。だから今をどう生きるかが大事なんだということです」

 その具体的な名句・名言をあげてもらおう。

 明日ありと思う心のあだ桜、夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは(親鸞)

「明日をアテにせず、今日一日を悔いなく生きろ──これがまさしく、今を生きる言葉。浄土真宗の開祖である親鸞が、9歳の時に幼くして両親を亡くし、得度(出家)するため中務(なかつかさ)省という役所の許可をもらい剃髪する時のこと。日も暮れたので明日にしようという先達の言葉に、明日はどうなるかわからない、夜に嵐が吹いて桜は散ってしまうかもしれないと、今すぐに儀式をしてほしいという思いを歌に託したものと言われています。『明日はないよ』と言っているのです」

 喫茶去(きっさこ)(趙州/じょうしゅう)

 ──人生の不条理を無心で受け容れよ──

 向谷氏の本に、ヤクザ稼業に足を踏み入れたばかりの新人ヤクザに対して、ある組の幹部が「オレたちゃ、今日は無事でも明日はわからねぇ。ヤクザは今日のことだけ考えてりゃいいんだ」と、この言葉を贈ったエピソードが紹介されている。

 唐代の禅僧である趙州が、訪ねてきた誰に対しても「まずはお茶をお飲み」とお茶を勧めた。人生は思うようになかなかいかない不条理なもの、そこで無心にお茶を飲み、明日のことは思い煩わず、今のことだけを考え無心に生きる、というふうに割り切ること。「オレはこのままでいいのか」と悩んでいたその新人は、迷いがふっ切れたという。

「今を大事にしないから、明日にいいことがあるんじゃないかと青い鳥を探して歩く、甘い期待をしてしまうんです。『今、今、今』の集大成、連続が人生であって、今をどうするかということに集中することが大事だと学んだんです」

 定年を間近に控えたり、年金生活に入るといった時期になると、年金がどうなるとか、経済的な生活設計をどうするか、という近い未来のことで思い悩む人も多いだろう。

「それもまた何かをアテにする考え方です。自分は生涯現役で働くのだ、年金とかそういうものに頼らないんだという気持ちをまず持つことだと思います。例えば電車に乗った時に座りたいと思うから、腹が立ったりイライラしたりする。初めから座らないと思っていれば、立っていたってなんともないわけです。将来の年金をアテにするから、気を揉むことになる。年金が入ってくるのなら、それはそれでいいことだけど、自分は自分で生涯働くんだという腹のくくり方も必要だと思うのです。人間には煩悩があるから当然、不安は消えないけれど、その飼い慣らし方を知ること。だから明日を思い患うのは、意味がないと知るべき」


https://www.asagei.com/excerpt/104868 【アウトローも変心させた「仏教の名言」(5)批判を受けたら…】より

 自分のやることには、常に支持が集まるわけではない。厳しく批判する人、快く思わない人、陰口を叩く人‥‥。そのストレスをどうさばくべきなのか。

<まず実践があってこそ>

 能(よ)く誦(しょう)し、能く言うこと鸚鵡(おうむ)もよく為(な)す。言って行わずんば何ぞ猩猩(しょうじょう)に異ならん(空海)

 平安時代に私度僧(しどそう)(みずから僧侶になった者)として中国・唐に渡り、日本に密教を伝え、真言宗の開祖となった仏教界のスーパースター・空海の言葉。密教以外にも書や灌漑・土木技術などの知識を伝えた天才は、言うだけなら鸚鵡でも言うが、言うだけで行動が伴わなければ猩猩(猿に似た架空の動物)と変わらないと言ったという。実践を伴わない言葉はむなしい。真言とはそういう意味もあるのかもしれない。

 いたずらにあかし暮らして、やみなんこそかなしけれ(法然)

 浄土宗の開祖で、浄土真宗を開いた親鸞のお師匠さん・法然の言葉。ただなんとなく日々を送り続けることこそ、悲しい──という意味だが、夢や希望を持って日々努力せよと命令しないところが、法然上人の偉いところだと感じさせる。

<失敗ばかりの時に>

 いまの一当(いっとう)は、むかしの百不当(ひゃくふとう)のちからなり、百不当の一老(いちろう)なり(道元)

 曹洞宗の開祖・道元が、禅宗の修行を弓矢にたとえて、いま的を射た一当は、それまでの百回の失敗があり、百回の失敗は一当の価値があると説いた。失敗は成功のもと、失敗を恐れることはないと解すれば積極的な生き方ができるのだ。

 貴きかな、茶や(栄西)

 平安末期から鎌倉前期に活動した臨済宗の開祖・栄西は「喫茶養生記」を著し、日本に茶を伝えた茶祖としても知られている。誰にでも分け隔てなく茶を勧めたという「喫茶去」にも通じる茶の効用を説いた言葉。

<悪口を言われたら>

 悪口は毒蛇と思え。受け取るな(蓮如)

 室町時代に浄土真宗の本願寺を再興した浄土真宗中興の祖と言われる蓮如が書いた「御文章(ごぶんしょう)」の中に記された釈迦のエピソード。釈迦が弟子たちと托鉢していると町の人々から、何もしないで布施をもらって生きていると非難されるが、その非難の言葉を毒蛇にたとえた。悪口を受け取らなければ、その毒蛇は言った者が持ち帰らなくてはならない。悪口に惑わされず我が道を行けと説いたものだという。会社や地域の中でいろいろ言われても、自分が正しいと思うところを進んでいく勇気が湧いてくる。

 石は玉を含む故に砕かれ、鹿は皮・肉の故に殺され、魚はあじわいある故にとらる(日蓮)

 鎌倉時代、仏教の革新を進めたゆえに数々の弾圧・迫害を受けた日蓮宗の開祖・日蓮ならではの言葉である。出る杭は打たれるというが、そうした批判や弾圧に屈せず信念を貫くことを説いている。この言葉に続いて「女人はみめかたちよければ必ずねたまれる」ともある。

 昨日は富みて、今日貧し(源信)

 平安中期に優れた学才をもって「往生要集」を選集するなど、浄土教の礎を築いた源信の名句。

 向谷氏はこう読む。

「うまくいかないのが人生。都合よくいかないからといって悩むことはない」

 そう悟ればどんな窮地に立たされても肝が据わり、思い煩うこともないのだと説いているのだ。

 人の身も応ぜざる荷物を持てば、身の船を覆すべし(沢庵)

 分不相応な荷物を持ったら、命の船まで転覆してしまうということ。沢庵は江戸前期の臨済宗の僧で、幕府の政策を批判して出羽(山形県)に流罪になるなど、反骨の人だった。過労死や働き方の改革が叫ばれる昨今、考えさせられる一句ではないだろうか。

<うまくいかない時>

 降れば濡れ、濡るれば乾く袖の上を、雨とて厭う人ぞはかなき(一遍)

 鎌倉時代中期の時宗の開祖・一遍は伊予(愛媛県)に生まれ、念仏往生を説いて全国を遊行して、「人間は等しく救われる」と救済のお札と踊念仏で全国に信者を得た高僧。雨に降られたら濡れて行けばいいというこの言葉は、「あるがままを受け入れよ」と読み取れる。

 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候(良寛)

 良寛は江戸後期の曹洞宗の名僧。かつて新潟の三条で地震が発生した際に、死ぬ時は死ぬというふうに覚悟をすることが、災難を逃れる方法だと言ったとか。自然の力に逆らえないのなら、それを受け入れる気持ちを持つことで、不安から解放される。


https://news.infoseek.co.jp/article/asageiplus_104872/ 【アウトローも変心させた「仏教の名言」(6)覚悟を決めるには】より

 朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり(蓮如)

 浄土真宗の葬儀などで読まれる「御文章」の中の「白骨章」の一節。身内の葬儀などで僧侶からこのお経を聞いたことがある人もいるだろう。

「われや先、人や先、今日ともしらず、明日とも知らず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風来たりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて‥‥」

 と続く長い文章の一節だ。人間いつ死ぬか、朝には元気でも夕方には白骨になっているか、先のことはわからないという無常観が突きつけられる。人が逃れることのできない死を意識することで、この刹那を生きようという気持ちになる。死を思うことで生きることができる名文だ。

 最後に、決して名僧というものではないが、自分の人生に正直に生きようと行乞の旅の中で模索し続けた放浪の俳人・種田山頭火の俳句を紹介したい。

 どうしようもない私が歩いている(種田山頭火)

 自由律俳句の天才は、その著書「行乞記」に、

〈所詮、乞食坊主以外の何物でもない私だった、愚かな旅人として一生流転せずにはゐられない私だった、浮草のやうに、あの岸からこの岸へ、みじめなやすらかさを享楽してゐる私をあはれみ且つよろこぶ〉

 と記している。解釈はひとりひとりにお任せしたい。