瀧原宮(たきはらのみや)・瀧原並宮(たきはらならびのみや) ~春のお伊勢参り⑧~
筆者が伊勢に参拝するようになって早いもので、35年が経ちました。
以前にも書きましたように、しかし、最初の内はお伊勢参りが目的ではなく、毎年、別の用事が12月にあり、その流れで、伊勢に通っておりました
なので、外宮と内宮を参拝して、それでおしまいでした。
しかし、ここ数年の間に状況は大きく変わりました。
それまでは古寺巡礼で、寺院を巡っておりましたが、それは、自身の本来あるべき姿ではないのだということに気が付きました。
その後、日本神話を本格的に学ぶようになり、さらにその流れもあって、日本の八百万の神さま、その神々をお祀りしている神社に参拝させて頂き、また、さらにもう少し大きな空間としての「聖地」と言われているところに訪問させて頂くことで、幾つかの流れが出て参りました。
それは、あるときは資料探しだったり、またあるときは予定外の場所の訪問だったり、さらに一番大きかったのはひととの出会いであったと考えられます。
そしてこれらはすべて必然であり、必要なことでした。
無論、自分の生きる道において、なのです。
しかし、一方で、自分の頭の中だけで先行して考えてしまうことには顕かに現実、実際との誤差が生じて参ります。
この修正は到底自分ひとりでは不可能です。
かと言って、放っておいたら解決するということでもありません。
なので、絶えず動くということが肝要になりました。
天地の運行も待ったなしです。
動いていることで、自然と次の位置が示されます。
そして、それに素直に従うことがいまの自分に一番しなければいけないことだと最近漸くわかりました。
その究極は、無条件な実行なのではないかと...
そんな域には生涯達することができないかもしれませんが、でも大自然の一員であるのだから、きっと近づくことはできるのだろうと。
人生とは修業ですので。
ところで、そんな、脳内学習の中で、突如、筆者に問いかける存在が現れました。
それが、明確に示された場所が、この、伊勢に二か所ありました。
ある意味、わたくしの本当の意味での巡礼は、そこから始まったのかもしれません。
しかし、それには、いくつかの今まで自身が「信じて来たこと」を捨てなくてはいけないのかもしれなくなりました。
そのひとつが、今回ご紹介する、この「瀧原宮」です。
〇度会の遙宮(とおのみや)
瀧原宮のことは過去に2回、「瀧原宮」と「伊勢おかげ参り2017」で2回ほど書いております。
今回はそのいずれにも触れなかったことを書きたいと思います。
実は、最初にここに参拝したときは、鈴鹿の「椿大神社」から高速道を走って参りましたが、伊勢自動車道から、勢和多岐JCTを経て、紀勢自動車道に入って暫くすると、なぜか分かりませんが、身体じゅうに脱力感がはしり、まるで魂が抜けていくような倦怠感に襲われました。クルマの運転でついつい休憩を怠って睡魔に襲われることもありますが、そんなレベルではない、自分でクルマを運転している感覚がないというのでしょうか??
同乗者の方も、この道路でそういう状態に陥ったことがあるそうでしたが、その方々も運転していないのにその脱力状態になられたようで、車内から一切、言葉も消えました。そしてトンネルをいくつか越えたあたりで、ふっと我に返ったような、普段の状態になりました。
※実際、この後、何回かこの道で同じ状態になりましたが、なぜか、昨年からはその状態にならなくなりました。
今回ははじめて、運転していない状態でこの道路を走りましたが、ワゴン車内全員が睡眠状態で、わたくしは青山和加さんと、その体験を話ながら、しっかり起きて自分の状態を客観的に見守ろうと思いました。
和加さんが
「瀧原さんはゼロ磁場ですから、それも関係しているのでしょうか」
と話され、なるほど、もしかしたらそういうこともあるのかもしれないと思いました。
しかし、和加さんは幾度もこの道路を通っておられますが、そういうことはないそうでした。
そしてクルマは無事、わたくしの懸念の区域を通り過ぎて、高速道から一般道へ、そして瀧原宮に無事到着しました。
瀧原宮の祭神は勿論、アマテラスさまです。
そして、正式には「天照大御神御魂」と記されています。
これは、皇大神宮も伊雜宮も同じです。
ですが、この三社は筆者に取ってはまったく居心地が違います。
皇大神宮はしっかりした場所です。
まさしくこの国の神様(うーん、この表現がちょっと微妙なのですが、所謂、国の代表者という言い方でしょうか??)。
伊雜宮は既に書きましたように、男らしい場所。
そして、ここ瀧原宮は、最初に参拝したときから優しさに包まれていた空間でした。
とても女性的な優しさでした。水も風も木々も、すべてに愛を感じました。
優しさに満ち溢れた愛でした。
なので、ここはまさしくアマテラスさまの空間だと思いました。
ところが最近、そうではないのではないかと思い始めました。
その理由は、まずこちらです。
わたくしが、いま、この世で一番好きな場所はここです。
最初にここに来させて頂いてから、今回で8回めになります。
春夏秋冬、すべての季節に参拝しております。
毎回ここで、お祓いをさせて頂きます。
ここはとても心に響きます。
ここには何時間でもいられます。
ですが、この上にも手水場があるので、実はあまりここに下りて来られるかたはそんなに多くないのです。
なんと勿体ないことでしょうね??
ですが、不思議といままで、わたくしがここで手洗いをしているときに、わたくしの知り合い以外のかたにこの場所で出会ったことはありませんでした。
何回めかの参拝のとき、ひとりで参拝していたときでしたが、ここで、誰かに声をかけられました。
はじめはわたくしのあとからこられた参拝のかたかと思いましたが、どなたもみあたりませんでした。
そのときは誰だか分かりませんでしたが、すぐに思ったのが、倭姫命さまが、速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)さまとここで出会ったとありますから、その神様なのかと思いましたが、いや、男神ではないと思いました。
もっと優しい声をかけられました。
そのときは、そのことがすっと気になってしまいましたが、そのまま、瀧原宮に向かった際に、その美しい社殿の姿、しかも瀧原並宮と並んだ荘厳な姿には、いつも感動してしまい、そのまま忘れてしまいました。
古殿地もなんと美しいこと。
〇瀬織津姫さまのこと
実は、最近とても気になっているのが、瀬織津姫さまに関してです。
瀬織津姫さまは、神話に出てくる神様ではありませんが、筆者はたいへん頻繁に触れることがあります。
それは、「祓戸四神」の一柱で「祓い浄めの女神」だからです。
祓戸大神(はらえどのおおかみ)とは、神道において「祓を司どる神」であります。
祓戸(または「祓所」、「祓殿」ともいいます)とは「祓を行う場所」のことをいい、ようするにそこに祀られるている神さまという意味です。
「祓詞」によれば祓戸大神とは、日本神話の神産みの段で黄泉から帰還した伊邪那岐さまが禊をしたときに化成した神々の総称ということになります。
そして、その筆頭である女神さまが瀬織津姫さまです。
瀬織津比売(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す
つまり、皇大神宮の遙宮であるこの瀧原宮に来られた倭姫命さまは、この場所をたいそうお気に召しましたが、アマテラスさまが海に近いところを希望されたので、いまの場所に移ったと言われてます。
ですが、実はそうではなくて、こちらではイザナキさまがそうされたように禊を行い、お祓いをして、それを瀬織津姫さまが、まさにこの川から海に流されたのだというのが、筆者の考えです。
つまり、最初にお声をかけてきてくださったのは、まさに瀬織津姫さまで、こちらにいらっしゃるのは瀬織津姫さまなのではないかと思っています。
ところが...
ところがなのですが、伊雜宮のこともあって、今回の伊勢参拝は、新たな多くの疑問。
と申しますか、筆者が正しいと思っていることが少しずつ揺らいで来たことも事実です。
それは天照大御神さまは女神さまかどうなのかということです。
事実、面白いことに、女神さまに声をかけられて以来、わたくしが出会った神道や伊勢、神社にお詳しい方々はみな、アマテラスさまは太陽神で陽だから男神だと断定されているかたばかりです。
ただ、いずれもこれらのことは推測に過ぎません。
したがいまして、もうすこし探索が必要だと思いました。
そこで、この流れにおいては、府中と神戸に行く必要が出てきました。
不思議なことは神戸には10月に行くのです。
府中はずっといかなくてはいけない理由がありましたから(東京都ですから、でもなかなか東京にはいないのですね、わたくし)これでしっかり背中を押されました。
所管社、若宮神社(わかみやじんじゃ)、長由介神社(ながゆけじんじゃ)、川島神社(かわしまじんじゃ、長由介神社同座)にも参拝しました。
いつ来ても美しいこの瀧原宮。
感謝しかありません。