ホームエレクトロニクス・カフェでは社会的に排除された人々(socially disadvantaged)の 自立支援を考えている人々のために無料開放しています。
ホームエレクトロニクス・カフェでは社会的に排除された人々(socially disadvantaged)の自立支援を考えている人々のために無料開放しています。
ホームエレクトロニクス・カフェで展開されるプロジェクトは、社会的に排除された人々(socially disadvantaged)が 社会的に認知される権利を擁護することを目的としたヒューマンライツ・アート・プロジェクトです 。
《展開中プロジェクト》
◎スマイルアート・プロジェクト
◎ポップグラフティー・プロジェクト
◎リボットクエスト・プロジェクト
◎一部屋アート・プロジェクト
これらの作品はアートとコモディティの統合表現として、現代アートの領域にこだわらず、商業ディスプレイやデジタル・サイネージなどのBtoBの領域において、アール・ブリュットを持続可能なアーツ・アンド・クラフツとしてアプローチを展開しています。そして、コスト意識を持って市場展開を図ることにより、アップサイクルによる「小芸術」=コモディティを持続可能な事業として取り組んでいます。また、疲弊地区や被災地区に集まって居住する被災者やスラッカーの雇用を促進し、アップサイクルによる持続可能な事業で自立を支援していきます。
障がい者の自立支援を考えるとき、一点30万円の現代アートの作家を目指すことは決して悪いことではありません。しかし、私たちの目指すのは1日3000円の収入を持続可能にするコモディティとしてのアートワークなどです。つまり、「生活の芸術化」と「労働の人間化」という、ラスキンやモリスの描いた理想社会を現代に具現化する壮大な芸術運動だと言えます。
パブロ・ピカソはようやく子供のような絵が描けるようになった。思えば時間がかかったものだという名言を残しています。障がい者や高齢者など無名な人々にとって、アカデミーやカウンシルなどを目標にすることは全く意味がありません。なぜなら、彼らのアールブリュットの表現がデフォルトなのです。私たちが彼らを教授するのではありません。彼らの独創や最後までやり抜く才能を教授してもらうのです。私たちが障がい者から学ばなければならないのです。
残念ながら、現在行われている自立支援に向けてのアート活動の在り方は、極めて教条主義での形式的で硬直的な取り組みが続いています。行政においてはアートを活かした障がい者の就労支援に向けた取組みの一環として、圏内に多く存在する優れた才能を発掘して、「現代アート」としての評価を行い、広く一般の方に作品を知ってもらうため、公募展や企画展等を実施しています。というような内容が正解とされ、行政の支援を得るためにはその活動内容は似たり寄ったりの表層的な形式主義の似たりよったりの活動にならざるを得ません。
そのなかでも最も重要なのは、自立支援におけるイネイブリングの関係の問題です。
何らかの援助を必要とする人をケアする立場にある人たちは、イネイブリングの罠にはまる危険があります。イネイブラーと呼ばれる人たちはほんとうは自分の足で立てるはずの人に手を貸してしまいます。
イネイブラーは、犠牲者は自分のほうだと思いがちです。この社会は「善人に見える人」を賞賛します。イネイブラーは、自分の並外れた博愛的性格だけでなく、その能力を見せつけます。他の人たちの責任まで引き受けることが出来るのは、実に格好のいいことです。こうして彼らは周囲からの賞賛を集め、うぬぼれを強めます。
とくに、アートの領域においては、アカデミーにおける教師と呼ばれる『人がはじめからもっている力』のエッジを覆い、協調性を持たせることにより均衡した社会基盤を形成する手法で現代を作り上げようとしてきたことにより、「『人がはじめからもっている力』」の存在を意識する感覚が大衆のなかで遠のいてきた」と語っています。
アール・ブリュットの世界においても現代アートがアール・ブリュットよりも高位にあるような錯覚の中で、技術偏重の意味のない教育サポートが行われています。残念ながら日本の社会においては、西欧のような現代アートのマーケットは将来に見渡しても存在することはなく、一部のアッパーをターゲットとした、アート以前のデザイン性に優れた雑貨の市場すら確率していないのが現状です。