走る、がテーマの小説特集
こんにちは。
2月ですね。ご存知の通り日数が少ない月ですから、すぐに終わってしまいます。
そう考えれば冬ももう終盤。
冬のうちにやっておきたいなぁと思っていたテーマがそう、走る、です。
皆様も学生時代、冬にマラソンというのは定番だったのではないでしょうか。
自慢じゃないですけど、って前置きしてしまうくらいあまりにも並外れて、私は運動音痴です。こと走ることに関しては、短距離長距離問わず、小中高とどの段階においてもクラスのビリだった以外の記憶がなく、何度クラス替えがあっても学年で一番速い男子と同じクラスだったのを、バランスがあるもんだなと悟りを開いていたくらいです。
と、まぁ自分の運動音痴ネタなんて話せばきりがないんですけれど、だからといってこれから「走る」小説を苦々しく語りたいわけではありません。スポーツができなくても観るのが好きなように、競技の熱さを描く素敵な作品にのめりこんでしまいますし、自分が走れないからこそ走る登場人物たちに惹かれてしまうものもあるのです。
ということで今回は、走る、がテーマの小説から3作紹介します。
三浦しをん『風が強く吹いている』
2006年に刊行されて以来、漫画、ラジオドラマ、実写映画、テレビアニメ、舞台とあらゆるメディアミックスが展開されている、箱根駅伝に挑む傑作青春小説です。
正直、私はこの作品に出会うまで箱根駅伝なんて、正月に放送されているなぁというくらいの知識しかなく、多くの賑やかな番組がひしめくあの時期に、どれを差し置いてもみんなで駅伝を見ようという文化は理解できませんでした。
後に大河ドラマ『いだてん』でその重厚な歴史も知りますが、大学生10人が襷をつなぎながら走るスポーツに興味を持つというのはこの作品なくしてあり得なかったように思います。
『風が強く吹いている』の魅力は何といってもチーム・アオタケの10人の素晴らしさです。区間も合わせて10人諳んじることくらい、読めば簡単にできてしまうでしょう。
初っ端から宿無し万引き犯として登場する寛政大学1年の走(かける)は高校時代に暴力事件を犯し部活を追放された天才ランナーですが、その逃走中、どてら姿で自転車に乗る同じ大学の4年、清瀬灰二(ハイジ)に追いつかれ、ぼろぼろの格安学生寮「竹青寮」(通称:アオタケ)に連れてこられます。そこは飯の世話から何から寮を管理するハイジを含め既に他9人学生が住んでおり、ついに10人となったことを契機にハイジは、日ごろから彼に逆らえない面々へ箱根駅伝に出場しようと持ち掛けるのです。
決して走るのが得意な猛者ではなく、漫画を読むことが生きがいの美形オタクや、司法試験に合格した遊び人やモテたいだけの双子、二年留年している最年長ヘビースモーカーなどあまりにも寄せ集めの集団です。高校時代から注目を集める天才ランナーの走も、他の8人も、もれなく無理だと反論するわけですが、ハイジは半ば強引に彼らを引っ張っていき、やがて夢の舞台へ歩を進めることになるのです。
スポコンはちょっと、と思われる方もいらっしゃるでしょうが、彼らは熱意や根性で道を拓いていくわけではなく、ハイジの理論的なトレーニングと作戦、そして各々の聡明さと一途な努力が実を結んでいくのです。精神的な自立がちゃんとあるところも大学生らしく魅力的で、終盤、各区間ごとにそれぞれの一面が表れるところや、誰を組み合わせても仲がいいだろうなと思わせる素敵な関係性も味わえておすすめです。
壮大なドラマ性のあるストーリーで、数々のメディアミックスも納得ですが、私のおすすめはテレビアニメです。映像にするなら2クール(全23話)ないとこのボリュームは描ききれません。各キャラクター愛もあって後半は祈るように観てしまった。みんな大好きです。
もちろんまずは原作小説からで間違いありません、何せ1冊でこの素晴らしさが味わえるわけですので。
松尾スズキ『私はテレビに出たかった』
松尾スズキさん……と聞いて、俳優さんだと思われる方も少なくはないと思いますが、確かに劇団『大人計画』主宰の俳優の松尾スズキさんの書いた小説になります。
とはいえ、ご存知の方にはこのような注釈を入れることすら失礼に思われるでしょうが、松尾スズキさんと言えば芥川賞に3回もノミネートされている方で、俳優の方が書かれた小説なのねと色物扱いするのはさっぱり的外れなわけです。小説だけでなく脚本家でありコラムニストでもあり、本当に文章が巧いですし。
さて、紹介させていただく『私はテレビに出たかった』ですが、走るテーマじゃないんかい、と思われてしまった方、いやいや、この作品、冒頭からほぼずっと走っているのです。
主人公は43歳、有名な外食チェーン店『肉弁慶グループ』東京本社の人事部に勤めるサラリーマンです。冒頭から彼が走っているのは社内でされるCM撮影の為、牛若丸のコスチュームに身を包んだタレントの後ろで、割りばしでつかんだ焼き肉をカメラに突き出しなら、『肉弁慶グループ』のキャッチフレーズ「うまさに立ち往生!」を言う、というCM撮影に遅れそうで走っているのです。決してノリノリで「うまさに立ち往生!」を言いたいわけではなく、嫌がる部長の傍らで出世へのポイント稼ぎの為引き受けた役だったのですが、当日電車が人身事故による遅延となり間に合わなくなってしまいます。結果、嫌がるそぶりをさんざんしていた部長がノリノリで撮影して終了しCM出演は叶わなかったのですが、ふと二十数年前を思い出します。
陸上部時代、マラソンで部内トップクラスだった頃、地元のテレビ局主催のマラソン大会に出場することになり、テレビ取材を受けることになったのです。しかし当日なんやかんやあってそれは叶わなかった。
この繰り返しは、彼に自分の人生のレールにはテレビに出るなんて存在しないのかもしれない、という思いを巻き起こします。やがてそれは、タイトルに繋がる衝動へ結びつくのです。
過去に陸上部やマラソン、と触れましたが、その設定は走ってばかりの本作にあまりにもいかされています。滑稽ながら疾走感、爽快感がある素敵な一冊です。
伴名練『なめらかな世界と、その敵』
SFです。伴名練さんと言えば自作のほかに、「日本SFの臨界点」シリーズとして中井紀夫さん、新城カズマさん、石黒達昌さんなどの短編集の編者としておなじみ、あらゆるSF系雑誌に見ないことはないほど有名な名前で、本作は彼の代表作に違いない短中編集になります。
おっと思ってもらおうとは思いましたが、気を衒おうとし過ぎているわけではありません、何せ今回の「走る」テーマに紹介したいのは表題作「なめらかな世界と、その敵」です。
うだるような暑さに目を覚ますと窓の外は雪景色、両親揃った食卓で朝食をとった後母親から「今日は父さんの命日だから、早めに帰ってきてね」と言われる、この作品世界には起きたかもしれない可能性が同時並行的に存在しています。主人公は学校へ行き、先生に呼び出される一方で家で毛布にくるまってゲームをしていたりするのです。
先生に呼び出された主人公は中学の頃転校していった幼馴染・マコトが転入してくるから支えてやってくれと言われます。どうやら彼女は「事故」にあったらしいと。主人公は「転校していない」マコトとその事故について話しながら、転入生のマコトを迎えますが、彼女からは近づくなと拒絶されます。転入生マコトは事故によって「乗覚障害」を患ったというのです。つまり、あらゆる可能性の自分を乗り移れる主人公たちに対し、彼女は自分の身体一つで生きていくしかない。
あらすじとして説明しても難しいかもしれませんが、読めばその不思議な世界観の描写がスムーズにわかるようになっていきます。そして忘れてはいけないのが、主人公が現陸上部員であり、小学校の頃のマコトとの共通項が、走るのが好きであったことです。この文章の中でその要素を言えば、付け足したように思われるかもしれませんが、この「走る」が終盤異様な魅力を放つのです。
このSF設定ならではの「走る」描写はきっと心に残ります。ぜひ、味わってみてほしいです。
ということで、今回は以上になります。
走る特集は、スポーツ特集よりさらに幅があり、何ならこの小説の走る場面がよかったのように、本筋関係なく推しても面白かったかもなと書きながら思いました。
といったところで、今回選んだ3作が別に入れ替わることは難しそうで、それだけ走る印象の強い作品たちになります。
冒頭お伝えしたように私は運動が苦手です。そんな私が走ることが気持ちいいという文章に共感を覚えたり、感動したりできるのは不思議です。
まだまだ寒い時期が続きますが、心身ともに温まれておすすめです。
ぜひ、走る小説、手に取ってみてください。