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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ロマン派の時代61-ブラームス交響曲1番

2023.02.06 11:20

ワグナーは絶頂だったが、親しい者からは「バイロイトは友情の墓場だ」と言われたらしい。「もうたくさんだ」とこのときは崇拝者のニーチェは言い、親しい指揮者ハンス・フォン・ビューローも彼を離れ、向かった先が絶対音楽派の教祖扱いされていたブラームスのもとだった。

クララ・シューマンはワーグナーの音楽を嫌悪していた。「トリスタンとイゾルデ」を聴いて「一晩中こんなバカげた音楽を聴いていなければならないとは」と腹を立てている。この楽劇は終始不倫だが、してみるとクララはやはりブラームスと不倫関係はなかったのだろう。

そして1876年11月4日、待望のブラームス交響曲第1番が初演された。派を移ったハンス・フォン・ビューローは「ベートーヴェンの第10交響曲」と絶賛した。実際ブラームスはベートーヴェンを意識する余り、決して遅筆ではない彼が完成まで21年の歳月をかけてしまった。

クララ・シューマンは有頂天だった。それはこの交響曲がシューマンの交響曲第二番を意識した部分があるからである。彼女は57歳、夫の死からちょうど20年、そしてブラームスと会ってからも20年である。ブラームスはますます人間嫌いになっていったが、「世界で誰よりも愛しています」とクララに手紙を書いた。