2つの人生
夢枕獏さんの『安倍晴明』に、「名」をつけることは「この世で一番短い呪(しゅ)」という表現が出てきます。
呪いというより、名前をつけるとその名にふさわしいエネルギーがその場に縛られるという意味のようです。
確かに、名前が決めるイメージや輪郭ってありますね。
私はヨチヨチ歩きの頃からおかっぱ刈り上げで、ごんたさん人形みたいと言われていました。
ごんたさんは「おしゃまでやんちゃな子」という意味なのだそうですが、小学生の時についたニックネームが「金太」。
金太郎のような髪型と、お転婆だった…かな。
まぁそのニックネームで、おしとやかな子どもはイメージされないでしょう?
学生時代の友人は今でも私をそう呼ぶので、本名はスッと出て来ないかもしれません。
私は、ニックネームのお陰で縁が拡がったり救われたりしてきたような気がします。
本名とニックネーム、どちらが本当の自分とかではなく、どちらも自分自身です。
でも、嫌なあだ名に縛られたり、一部の芸能人などのように芸名と素顔が乖離(かいり)し過ぎて苦しむ方もおられるでしょう。
肉体的にも、先天的な何かやケガなどで、左右差が大きな方がいらっしゃいます。
例えば生まれながら股関節に何かがあって、脚の長さも太さも強さも違うとか。
「あぁ、2つの人生を生きていらっしゃるのだなぁ。」
と感じることがあります。
何だか一度に2冊の人生問題集に挑んでおられるような気がして、頭が下がります。
不具合のある側とない側。
どちらもその方そのものですし、元気な方がかばったり、弱い方がストッパーになってその方を守ったり。
なるべく暮らしやすいようにと思ってケアさせていただきますが、差を揃えることだけが良いこととは思えないのです。
本名とニックネーム、右半身と左半身、心と体…。
異質なようで分かつことの出来ないもの…。
食後の洗い物をしながら、“水を含んだスポンジ”のようだと思いました。
濡れたスポンジを手に取って、
「これはスポンジと水だ。」
と思うことはほぼないでしょう。
それらは融合していて、1つのものです。
洗い物ならスポンジの機能を水が助けるし、マラソンの給水なら水を届けるためにスポンジが一役買います。
切り離したいところや忘れたい過去があっても、それもこれも自分。
融合したり並行したり色んな面を楽しんだりしながら、生きていけたらいいなと思います。