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オン カカカ ビサンマエイ ソワカ vol.4

2018.04.28 04:16

結局、帰宅するのに朝までかかってしまった。

地蔵菩薩の真言を唱えていると、自分も同じく誰かを救えるのではないか、そんな錯覚を覚えてくる。


それで昨夜は歩きながら、迷える魂はいないかと念じていたところ、いつのまにか本来歩くべきルートから外れてしまったようである。


23時ぐらいだったろうか。道が違うのに気づかず歩いていると、突然、黒い影が横に見えたと思い振り返ると、塀の前に菩薩が祀られていて、名称のかかれてない建物にぶつかった。

こんなところに地蔵菩薩があるのか、と思いながら、菩薩の前に行き、オンカカカと唱えはじめると、再び背後に気配を感じたのである。

慌てて振り向くと、スーツ姿の女性が後ろに立っていた。

なんだろうと思いながらも私は早足でそこを過ぎると、その女性は熱心に地蔵菩薩に手を合わせていたようである。

私は気にせずスマートフォンで現在地を確認し、そこではじめて、道の間違いに気づいたのだった。

そして先ほどの場所が、江戸時代の処刑場であり、先ほど手を合わせた地蔵が、首切り地蔵という名の地蔵であることを知ったのだった。


いつのまにか、時刻は12時を過ぎている。それでもこのペースで歩いていけば、3時ぐらいには帰宅できる算段であった。

北千住で荒川を越え、橋の上から見た月は実に綺麗であった。

だが、この辺りから私の足にも異変が生じはじめていた。

足の裏に豆ができ、大地に足裏をつける度に、僅かな痛みを残していく。

やはりスーツや革靴は歩きにくい、そんなことを考えながら、それでもあまり深くは感ず歩き続けていた。

足の裏の豆には慣れている。剣道をやっていた頃は年間何度も皮が剥がれた。

次の皮ができる前から摺り足により皮が剥がれるので、いつのまにか足の裏はゾウの足ように固くなるのである。


そんなわけで、豆が潰れるなら潰れてしまえという気持ちを抱きながら、小菅の拘置所や西新井大師をこえて、いよいよ東京の東の端である、谷塚までやってきた。

ここを過ぎれば草加市、埼玉県の入口である。

両方の足裏にできた4つの豆はとうに潰れていたが、歩けないほどではない。

痛みをかばいながらも真言を口に歩く。

草加駅を越えて、綾瀬川を右手に見ながら歩く。

この辺りからだろう、腰と股関節に痛みが走りはじめた。

そう言えば、持ちやすいようにビジネス鞄を背中にしょっていた。

それが北千住ぐらいからやたらと重く感じていたのだが、気にしないようにしていたのだった。

オンカカカと口にだしながら、左足を前に出す。

すると左の股関節に痛みが走る。

オンカカカと口にだしながら、右足を前に出す。

すると右の股関節に痛みが走る。

一歩一歩が苦痛になっていた。

それでも歩かなければ進めない。

タクシーを呼んでしまおうか、だとか、最寄りの駅に行き電車が走る時間までどこかで休もうか、そんなことが頭をよぎる。

終いには、飲食店に並ぶ自転車を目につけ、1台しっけいしてしまおうか、などという妄想が浮かび始める。

人間の精神は肉体の痛みにより弱くなる。

己の未熟さを噛みしめながら、それでも何とか、歩くことはやめずに歩を進めていく。


残りはあと6㎞ほどである。

歩きはじめたときは6㎞を1 時間もかからず歩けたのが、いまや1㎞を1時間ほどかけて歩いている。

綾瀬川の対岸先から朝日が登ってきていた。

ジョギングする中年男性、若い男女などが、私の横を走り去っていく。

腰がいよいよ動かなくなりそうであった。

オンカカカ。

動いてくれ。

オンカカカ。

頼む。

オンカカカ。

動かなくなった腰を手で押し、肉体を騙しながら歩いていく。

オンカカカ。

オンカカカ。

オンカカカ。

私は何で地蔵の真言を唱えながら歩いているのだろう。

この真言の意味は「オーン、ハハハ」である。

オーンを「お願いします」と訳す解釈や、本来はオーンの響きには般若といわれる叡知であったりするが、意味のない響きだとも言われている。

そして、ハハハは、文字どおり笑い声である。

つまりは、オーンという意味のない音を響かせて、ハハハと自分で笑っているのである。

と考えると、何だか自分のやっていることが笑えてきた。

オーンカカカには意味があるかもしれないが、私がこうして歩くことには意味はない。

12時間歩いて分かったことはそのことである。

それは贅沢な無駄であった。

12時間、何にも邪魔されず、さまざまな思考を巡らせることができた。

東京や関東の道端に存在する、さまざまなお地蔵さまをインターネットの地図上に示す。需要はないだろうが、そんなことも実現したくなった。

ようやく家が見えてきた。

いつのまにか、腰が動くようになっている。

オンカカカ。

まことに面白い。

他の人にはまったく面白くないかもしれないが、それでもいい。

そうして朝7時、私は無事に帰宅したのだった。