【深川②】深川海福寺門前町
2018.04.28 06:12
町名:深川海福寺門前町
読み方:ふかがわかいふくじもんぜんちょう Fukagawa-Kaifukuji-Monzenchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「深川」
後身:深川万年町二丁目
現町名:江東区深川二丁目
概要:「深川海福寺門前」が公称。海福寺が類焼し、同寺再建のため、1761(宝暦11)年から10年年季で許された門前町屋。起立当初より町奉行支配であった(備考)。化政期(1804~1830年)の家数13軒(町方書上)。
海福寺は1628(寛永5)年に創建され、1658(万治元)年に黄檗派に転じた禅宗寺院。1910(明治43)年に下目黒に移転するまで深川の地にあった。境内には1807(文化4)年、富岡八幡宮祭礼時に、永代橋の崩落に巻き込まれて亡くなった人々を供養するために建てられた永代橋崩落横死者供養塔があった。この事件は御座船が永代橋下を通過するまで足止めされていた見物の群衆が一気に橋を渡ろうとしたことが大きな原因であった。塔は海福寺と共に移転し、東京都の指定有形文化財となっている。なお、現在、江東区立明治小学校敷地内の馬頭観世音供養塔は嘗て海福寺の墓地にあったもの。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、「深川寺町」と俗称された地と合併し、深川万年町二丁目に編入となり消滅。
撮影場所:深川海福寺門前町